第五回 十月四日〜六日 まだどこにいるのかわからない

 抗ウイルス剤、ステロイド剤、抗生剤、グリセオール、抗ケイレン剤などの点滴はつづいている。しかし「いっときに何本」とか明瞭な意識はない。薬の名前はメモしてもらっているが、薬剤名をここに引き写しても意味がないので省略する。
 常人の対応をしていたさいでも、本人の記憶に残っていない事柄が多い。
 尿管をつなげられ小水は自動的に排泄されている。大便は出ていなかったのか。紙オムツをあてられている。大便は出ていたとしても、病室内に簡易トイレを運びこんでした。記憶が消しているのだ。
 意識がもどるとは、もどっているあいだ尿管と紙オムツに連結されている恥辱感に直面することでもある。外界との接続がそのようなかたちでしかないのだ。点滴は不思議と気にならなかったが、尿管にはほとほとうんざりした。尿道はペニスよりも長い。その理屈からいえば尿管のチューブはペニスの根元以上にさしこまれている。これに鎖のようにつながれて身動きできないのだ。
 そして意識がもどると、自分はまともであり、ベッドに縛りつけられていることの不当さを強く訴える。全身の痙攣や暴れていたことなど少しも憶えていないのだから、これはこれで許されるだろうか。もどった意識に食いこんでくる腰ベルト、手首固定帯、尿管の圧迫感は経験したことのないものだ。ずっと仰向けだったことからくる疲労も、もどった意識を直撃してくる。昏睡から醒めても苦痛だけが待っているという耐えがたさだった。
 四日、長男がHCの病室に泊まってくれる。Jに限界がきたからだ。ところがわたしの記憶では、三日に意識がもどったときに長男がいたことになっている。ずれているわけだ。わがまま言い放題で手を焼かせた情景はわりと憶えているが、何日だったかは正確さを欠いている。どちらにしろ、途切れとぎれでしかない。ひどくゆっくりとしか経過していかなかった時間のことははっきりと憶えている。夜中に眠れなかったのだと思う。何日だったか。およそ病室らしくないHCの雑然としたたたずまい。それはかなり鮮明に残っている。だが、どこだかわからない。そして自分がここにいる、それもベッドに縛りつけられている理由もわからない。夢は見ていない。現実が恐怖だった。恐怖が迫るほど眠れなくなった。ここの記憶では、だれも側にはいなかった。
 もう一点、醒めた意識に残っていること。因果なもので仕事のシメキリが頭に浮かぶ。今日が何日かわからなくても、来週のシメキリは忘れないらしい。というよりも、こういうことか――。病院で入院生活を送らなければならないことは頭の隅で納得した。そこから想念が跳んだ。予定外の入院費を算段しなければならないという焦り以上に、病室の空白の時間を埋めたいという気持ちが先立った。夜中に目覚めてしまった恐怖がこたえたのだ。何もしないで過ごす時間を想像することが恐ろしかったのだ。シメキリは口実にすぎなかったかもしれない。入院とはとんでもない贅沢に思えた。滅多に転がりこんでこない経験だ。利用しない手はない。そこで優雅な読書をしてみたいとかいう願望が募った。つまり自分が脳の病気である(はっきりと説明を受けていなかったし、またそれを認められる状態ではなかった)とは想ってもみなかった。病室に縛りつけられているのは不当だが、それが仕方ないにしても、自分は正常であると思いこんでいた。だからちょうどシメキリがくる書評の仕事は時間もかからないから、病院でもやってしまえると見込みをつけたのだ。
 仕事を忘れなかった生真面目さを示すよりも、病気を認めたくない意地みたいなものが先行していると思える。
 とにかく最初にこの相手をさせられたのが長男だった。本を四冊と、ディスクマンとCDを持ってくるように病人は要求した。替わりに返ってきた小言の数かずを、わたしはいっさい受け容れなかった。
 この応酬と病室での長い夜の記憶とは、わたしのなかでは三日に「意識がもどった」時のことだったと錯覚されている。再現してみるとそれは事実とはかけ離れている。時間の経過はその通りには頭のなかに残っていない。長男は「相変わらずワーカ・ホリックの困った頑固おやじだ」と思って帰っただろう。
 五日、朝よく寝ていた。
 昼食、全部食べる。兄夫婦が持ってきてくれたおにぎりも食べた。
 夕方、四人の先生の検診がある。この病院では、グループの医師の受け持ちとなり、随時、上の医師やインターンが検診に同行する。寝ているところを起こされたのと、格上の先生による長い問診のために緊張度が増す。
 その後、夕食。かなり手がふるえる。おかゆと「刻み食」のおかずなのでスプーンを使って食べる。それが困難なほど手がふるえるのだ。いちおうは全部食べた。
 食後しばらくして興奮状態になる。
 それがおさまらず、安定剤を二度投与する。効果なし。
 さらに強い薬を打って、夜中の二時にやっと寝る。
 六日、九時すぎ、朝食全部食べる。少しだけふるえる。
 昼食も全部食べる。
 食後、7Bの28、個室に移る。
 兄夫婦、来てくれる。
 本、CD、ディスクマンを持ってくるように要求。原稿用紙、計算用紙を買ってくるようにも。長男に言ったことの繰り返し。途切れとぎれの「正常時」においては充分にまともだと自認していた。安らかな就寝となかば昏睡状態との違いは本人にはわからない。時計とカレンダーも頼んだ。
 個室は「特別療養環境室」になるので、申込書を書かされている。

to be continued