第十回 十月十六日〜二十日 長い道のり

 入院という環境にふさわしい退屈な繰り返し。
 ――一行で済んでしまう。
 痙攣止め、血糖下げの投薬はつづく。
 抗生剤、抗ウイルス剤の点滴もつづいている。点滴は最低二週間はつづけないといけないと言われた。医師はかなり慎重に見守っている。
 病状が急変したのも珍しいケースなら、あれだけの重症で何の後遺症も残らずけろっと回復したケースも珍しいのだ。口には出さないけれど「まだ一山あるのでは?」と構えていることは確かだ。
 自分では治っているつもりと、周囲の心配とが何度もぶつかる。「また無理をすれば悪化する可能性がある」と言われては、さまざまの(というか、ほとんどの)行動を制限される。
 新聞、週刊誌はかろうじて読ましてもらえる。けれど戦争のニュースばかりだ。けっこう刺激は強い。強いと言うとそれらまで禁じられてしまい、活字全滅になるから黙っている。
 「ここはどこですか、今日は何日ですか」テストも毎日ある。きちんと答えられるようになった。病状が良好になることも関心事だったが、それを認めてほしかった。逆に、あまり良くなっていないと思われることを怖れた。重症だったことの自覚はまったくない。強いて「あの時」のことは聞かないようにもしていた。聞くのは恐ろしかった。
 家の玄関先に住みついた仔猫のことを聞かされる。そういえば、幻覚のなかで家は新居に建て替えられていて、わたしの居場所はなかったな、と思い出す。Jは、その仔猫がわたしの身代わりのように思えてならないと非合理なことを言い出す。わたしは「命を拾った」「第二の人生を与えられた」というのがJの言い分。そう言い張って涙を流す。看護の疲れか。いろいろと納得しかねる。身代わりなら仔猫は死んでいるはずだが……。まあ、細かいことはどうでもよかった。
 十九日から、おかゆでない普通のご飯が出る。おかずはまだ刻み食。
 トイレも自分一人で歩いて行っていい許可が出る。それまではいちいち横についてもらっていた。その前は、ベッドの上で尿瓶を使った。
 筆記用具も許される。
 はじめは字がぎこちなく、指の動きも気になる。後で見ると、漢字の間違いが多い。
 食事の内容とか、検査の数字とか、投薬の時刻とかをメモするだけ。筆記するだけでもリハビリかと思えば、やはり自分は病人なんだという気もひとしお強まる。
 個室の夜には恐怖が残る。というより悪夢がまたもどってくることが怖いのだ。眠りのなかでまた終わらない悪夢に蹴り落とされることへの恐怖。これはかなりしつこく尾を引いた。
 自分がか弱く無防備にさらされていることを強く感じた。
 十九日夜、テレビで『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』を観る。主人公が危機に次ぐ危機を脱していくスリルが見物なのだが、それが不快な刺激になる。今は平気でも、「命を狙われる」というシチュエーションが夢のなかで再現されるのではないかと思えて、不安になる。明らかに意識が過敏状態だった。主人公が「命からがら逃げ回る」という設定は、娯楽物の定番コースだ。それすらも怖い。自分に引きつけすぎてふるえが起こるような予感がするのだ。――これでは映画も観れないし、小説も読めないではないか。
 孤独だった。だれにも打ち明けられない恐怖。まだぜんぜん治っていないことを決定的に示している。
 いったいいつまで、このベッドにいなければならないのだろうか。
 二十日、眼科検診。恐れていた合併症はなし。

to be continued