<ポスト革命>情況における語り口の問題 

 いずれにしても、わたしなどにはとうてい結論を下しえないことだ。
 ゆらぎについて、あるいはつぶやきについて、もしくは口ごもりの激しさについて、明晰に分析することは手に余る営為である。語ることが語らないことと等価であるような記述は不可能性のうちにあるのだろうか。
 革命のサイクルが一巡して、世界を混乱と圧制と新たな殺戮とが覆ってしまっているような時代。とはいえ、この世紀の終わりを一つの美しい完結体の用語でまとめきることは間違っている。それが未来を確実に指し示すかどうかはわからないが、ある種のディスクールのスタイルが混迷のなかに光明を放っていることを否定できる者はいないだろう。ガヤトリ・スピヴァクの口ごもり、 トリン・T・ミンハのゆらぎ、李静和(リー・ジョンファ)のつぶやき。いくつかの模索は、特有の苦しげな、言説ならざる言説の痕跡を残してきている。
 しかしながら、「それらに学びつつ」というような欺瞞的かつ傲慢きわまりない身ぶりを、ここでわたしは演じようとするのではない。ポスト‐コロニアニズム‐フェミニズムから何事かを学び取ることができるほどに、わたしは利口ではない。むしろ彼女らの仕事に誠実に向かい合おうとするかぎり、それらに敵対的な言説をぶつけていくことしかできないようにすら思える。正確に語ろうとすればするほど、わたしは自分自身にしか加担できないし、自分自身にしか加担できないことにおいて、わたしのなかの男性原理を動員せざるをえないだろう。その点を偽ることはできないはずだ。フェミニズムにたいしてやたらに譲歩したがる左翼版ポリティカル・コレクトネスの蔓延(きわめてローカルな流行り病いのような蔓延)には、根深い不信感がある。
 サバルタンは語ることができるかというスピヴァクの命題は、彼女の大方のもってまわった、時折り理解不能に思える言い回しにもかかわらず、まったくのところ、「サバルタンは語ることができない」という絶望と、「サバルタンのために語りたい」という希望とのあいだを不安定に往還し、どちらともつかない綱渡りの言説スペクタクルを(ごく慎ましくであるにせよ)ふりまき続けている。
 サバルタンは知識人とはもっとも遠い存在だ。スピヴァクのたたずまいは、屈折した代行主義とも名づけるべきものなのだろうか。
 知識人による代用の言説について、どれだけの不信を抱いていようとも、スピヴァクの知識人性は軽減されることはない。彼女は、サバルタンのために語ることなどできないのだが、そうであればなお「サバルタンのために語ることができるか」という命題を立てなければ一歩も進めないのだ。
 六〇年代的な意味における自己否定の思想はさんざん消費されてきたのだと思う。それらが落着するところは、「自己言説の自己否定」という自己言及性の一つの身ぶり、一つの枝葉でしかなかったのではないだろうか。人は望んでサバルタンとして生まれるのではない。もちろんそうだ。サバルタンとは他の何であろうとも、自分について語ることのできない、語るべき言葉を持っていない存在だ。何かを語ろうとする者は必然的に、サバルタンから離れなければならないだろう。言葉を持つことは共同体からの背反を意味する。言葉を持った者はすでにサバルタンではない。つまり別の言い方をすれば、代理人となる他なく、代理人は裏切り者たることを宿命づけられねばならない。語りうる者はサバルタンではないし、語りうるという能力において出自から切り離され、宙吊りの途を選ぶしかなくなるのである。
 素朴にいってしまえば、サバルタンが自分のために語ることのできない人間である以上、サバルタン・スタディーズとは、一面において帝国主義の学問、インペリアリズム・スタディーズたることを免れないだろう。――おそらくこのように断言することは、ある種の良心的な左翼を不快がらせるに違いないのだが、事実はそうであらざるをえない。誰かのために代行して語るというヒロイズムが相変わらずに魅力あるものだとしても、それが自らの立脚点を瞞着するためのポーズならば否定されなければならない。
 とりわけ例えば、被抑圧人民のために「存在を賭ける」とかいった発想は、七〇年代の全般を覆っていたようにも思う。三里塚闘争にしろ、水俣闘争にしろ、そこに連帯するのか、あるいは支援にとどまるのか、という命題は、変わらぬ綱領論争のテーマでありつづけた。連帯したいという欲求(絶望)と、連帯など不可能だという現実感(希望)との巨大な二律背反は、一貫してある種の思考圏内に身を置いた者を縛りつづけていただろう。連帯への希求に「絶望」を結びつけ、連帯の断念を「希望」と同一視する書き方は、反撥を与えるかもしれない。ただこれは「党派政治」のかたちへのきわめて現象的な印象から言葉を選んだにすぎない。「われわれは被抑圧人民に成り代わることができない」という表明は、新左翼特有の「あれか、これか」の二者択一の衝迫にさらされてみると、なんとも無力な日和見主義にしかならなかったのだから。
 絶望とは代行だった。身近な他者のことすらわからず、救うことのできない者が求める抽象的な連帯の空しさは、直視してみれば格別だった。七〇年代は、そのことに気づくための長い道のりだったのかもしれない。自己をことごとく否定しながらも、どこかに逃げ道をこしらえている自己許容の方法といえば、正確さに近づくだろうか。絶望に脅かされながらも求めた「連帯」は一つの苦々しいロマンだった。
 だが……。こうした語り方も、もうやめよう。やめねばならない。
 『サバルタンは語ることができるか』の末尾は、こうなっている。

  サバルタンは語ることができない。グローバル・ランドリー・リストに恭しく「女性」という項目を記載 してみたところで、こんなものにはなんの値打ちもない。表象=代表(リプリゼンテイション)の作用はいまだ衰えてはいない。それが証拠に、彼女についての異種混交的な情報検索がなされてきたにもかかわらず、「第三世界の女性」という固有名をあたえられた一枚岩的な主体が――ナルシシスティックな他者にたいする欲望を強化しつつ――依然として大手を振って罷かりとおっている。ポストコロニアルの女性知識人には――知識人として――この証拠を記録するというひとつの限定された任務が課せられているのであって、それを彼女は自分のものではないと麗々しく言い募って否認するようなことはすべきではないのである。

 じっさいの書物の末尾は、もう少し整理されて短いものになっている。「女性知識人」という立脚点についての表現が、より整序されたのである。スピヴァクはこのように、口ごもりを乗り越える文体を意志的に選び取っていくようでもある。だから口ごもりそのものの痕跡を、そのディスクールから見つけだすことは容易ではない。しかし見えにくいからといって、彼女が口ごもりの文体を捨てていると断言するのは間違っている。
 李静和のつぶやきの政治思想は、より方法的に語りうることと語りえないこととの峻別を意図して提起されているように思う。ここでは明晰に語ることが回避されているわけではない。けれども語ることへの不信、語りすぎることへの敵意が、しばしばセンテンスの完結を途中で阻んで、意図された断章をかたちづくっていく。そこから見えてくるのは一種の抗いだ。彼女が批判しようとする勢力への抵抗だけでなく、彼女がともに歩もうとする戦列にたいしての不信、もっといえば自らの歴史理解の限界にも違和は表明されていく。そのために李は、論理によって滑っていくことのない、つっかえつっかえの「つぶやき」のスタイルを試行していく。

  「慰安婦」ハルモニたちの語りを、完全に完結した物語として、証言として問題化するとき出てくる問題。網に引っ掛かってくるものと、網から抜け出していくリアリティ。網に引っ掛かってくるもの、つまり社会が要求する必要性に応じたもの。そこから抜け出していくもの、つまりリアリティ。抜け出していく、網からずるずると抜け出していくリアリティ、それは言いかえれば、まだ語れない、語ることのできない、あるいは語ってしまった場合生きていくことができなくなってしまうもの。(後略)

 テーマは、近年浮かびあがった歴史論争の大きな問題に関わっている。李は、歴史存在として慰安婦たちの位置を測定するような姿勢を取らない。常識的にいえば、証言を集め、量化された体験に歴史を与えようとする方向が知識人の任務と考えられるだろうが、そうした選択を採らない。問題を整理するよりも、問題を整理しない意志を明らかにしていく。証言からすら抜け出していく「リアリティ」を執拗に追っていく。語ってしまったことが、語られるべきだった歴史の総体を裏切っているとしたら、すくえなかった「リアリティ」とは何なのか。 普通の論文が追うようには、李は「リアリティ」を探っていかない。むしろ意図された断章を並べることによって、考察の素材のみを提供していくのだ。

  脱植民地、ポストコロニアリズムとジェンダーの問題では、韓国のいくつかの米軍基地における売春と軍隊の関係、さらに六〇年代以降続いている都市労働者との関係も含めて何重もの構造になっている。外部から来てすでに内在化されているコロニアリズム。その現状。

 問題は立体的に呈示されようとして、またしてもメモ書きのように断ち切られる。「その現状――」とだけ書いて、李は、論文の下書きを連ねるといったほうが相応しい構文で、アメリカという外部の圧力が影響を与える「内部の植民地主義」の現状に注目する。書かれた内容や情報の切り取りがそうなのではなく、彼女は文体そのものに生理を刻みつけていく。金石範が『つぶやきの政治思想』を評して「ほとんど分泌液のように」組み立てられているといったのは、まったく正しい。生理から外れるものは、言葉として必要であっても、拒まれているのだ。「つぶやき」はポーズではなく、思想のたたずまい、男の論理が侵入することのできない域なのだ。
 歴史を語ることが、どこまでもジェンダー支配を補完するものであるなら、言説そのものに男性の支配原理がはりめぐらされているのなら、いかにしてそれと抗うことが可能なのか。帝国主義VS植民地主義という審級とは別に、しかし不可分に絡まり合って、男の論理、男の歴史観への女の屈伏がある、と『つぶやきの政治思想』は提起している。
 外圧と内部のねじれから再生産される韓国の「ポストコロニアル」。それを李は決して論理化するのではなく、感性のレベルで訴えかけようとする。問題を解きほぐす糸口は文体そのものの中にもぐりこんでしまうかのようだ。あるいは名詞で止められたセンテンスは、その先の迷路を選び取ることもなく、ずっとそこに佇んでいるかのようだ。

  語れない記憶。歴史化することのできない、そうさせない記憶。破片のような記憶。いま続いている本人たちが生きることにつながる記憶。つまり、証言に、歴史になっていく過程ではない、歴史化できない記憶の破片を抱えていま現に続いている生。その生には大事な破片。

 これらは完璧な文章を呈さない。覚え書きが投げ出されていないのだとしたら、これらの断片は、一つひとつが触手を伸ばして、やがて大きな書物を、大きな物語を語り出していくのだろうと思わせる。そう予感はさせるけれども、触手は伸びていかず、物語はつぶやきの中で充足するのだ。
 これと似た音声をどこかで耳にしたことがある。懐かしいような響きだと感じていたところ、それは映画のナレーションだったと思い出す。トリン・T・ミンハのドキュメンタリー・フィルム。例えば、トリンがアフリカで最初につくった『ルアッサンブラージュ』の画面にかぶさる音楽と語り。《リアリティは繊細である》と、彼女は、映像に語りかけるように、また、映像を切り離すように言葉の断片を打ちつけていく。
 トリンが、戦火を生き、故国を追われたヴェトナム人女性たちに取材したドキュメンタリー作品『姓はヴェト、名はナム』に、彼女の映画の基幹が余すところなく表われている。それは、対象との距離、そして表現主体としての作家を結ぶ線上にある「ゆらぎ」といってよいものだ。画面はしばしば、中央にいるべき話者から逸れていく。映画は彼女たちを「直視」するのではなく、常にずらして捉える。語りの途中で、作者のナレーションが入る、歌が挿入される。時には話者の足元までゆっくりとパンしていくカメラ。《これは書かれた言葉なのか、語られた言葉なのか》とトリンは問う。画面に向かってなのか、観客に向かってなのか……。
 口ごもり、つぶやき、ゆらぎ。親しく触れることのないディスクールの特色と共通性は、あらためて指摘するまでもなく、明らかだろう。だが、そうした「発見」によってわたしは、論理を組み立てるつもりはないし、その論理の優位に自足するつもりもない。
 ポストフェミニズムの言説形態が、いかにして語りえぬものに言葉と人間的共感の手がかりを与えうるかの未だ試みられることのなかった試行だとすれば、ポストジェンダー思考の孤島に漂着したままの男性原理は、いったい、何をどう語るべきなのか、不断の問いを問われているだろう。
 連帯を求めることは苦い絶望につながり、連帯を断念する市民意識は七〇年代的延命の倒錯的な希望を映しだしているかもしれない。それを転倒できるほどに賢くなったわけではないし、ざらついた傷口が癒されたとも感じられないのである。

インパクション2000.7