『大菩薩峠』論つけ足し


 『大菩薩峠』について、五年ほど前、すでにわたしは謎解き「大菩薩峠」(解放出版社)一本を書いている。また直接、作品世界ついて書くに先立って、作品論・作家論を対象にして「『大菩薩峠』評価の諸問題」(廃墟の可能性 文学史を読みかえる1所収 インパクト出版会)を書いている。以上の二作で、ほぼいいたい論点は尽くしているので、そこにつけ加えることはあまりない。ただどちらも「戦後五十年」という時点で考察されたものであり、その意味ではいくらか時間の推移という要素を鑑みなければならないかとも思える。『大菩薩峠』のような巨大な作品世界が、状況の変遷によってそれぞれ別の解釈を生じさせる変幻をみせることはむしろ当然かもしれない。後代に絶えざる読み直しを強いる質を備えた作品が希有であることは言をまたないが、『大菩薩峠』をその希有な一例であるとする見解を否定する者はいないはずだ。
 しかし五年の歳月によって、とくにわたしは自分の論考を訂正する必要に迫られたわけではない。この小文に記すのは、修正であるよりも、いくらか心残りになっている点を補足するたぐいの事柄である。
 それはむしろ、わたしが『謎解き「大菩薩峠」』の結論部分を故意にあいまいにぼかして書いてしまったことに関わっているようだ。そこでわたしは、『大菩薩峠』を驚くべき「日本人論=天皇制論」と規定しながら、そこからさらに一歩踏みこんだ解釈を加えていない。解釈がとどかなかったのではなく、いわばとどきすぎて、あまり明快な断定をしめくくりに置くのを躊躇するところがあった。図式的な狭い結論に収束してしまうように思えて、その手前で断定を避けたのである。しかしそれは奥ゆかしいといえるようなものではなく、結局、優柔不断なミスティフィケーションに終わってしまったような気がする。過度に図式的だと思えた結論とは、『大菩薩峠』第三五巻「膽吹の巻」第八章〜第十四章(執筆、一九三三六月〜七月)の一シーンにおいて、戦後の象徴天皇制が予見もしくは予感されていた、という読みとりだ。
 あえて断定を避けたのは、自分の読みとりに確信を持てなかったからではない。逆に、その断定によって一本を閉じることが『謎解き「大菩薩峠」』の謎解きの最終行程として、あまり豊饒ではないと思われたからだ。――そのようにいうのなら、どういう解釈を置くにしろ『大菩薩峠』は、最終的な謎解きにはふさわしくないと思わせるだろう。結論的解釈があってはならないと思わせるテキスト、謎が解かれないまま開かれてあることを読者に強いるような非合理な作品。『大菩薩峠』の手強さとは、ある意味では、そうした野蛮な発信にかかっている。
 もちろん『大菩薩峠』論に挑戦するとは、非理性的な力への抗いであるはずだった。かえってそうしたフォースを感得すればするほど、論者にとって闘志は倍増していった。それもまた『大菩薩峠』のおびる不易の精気であると考えうる。どんな文章にでも、それが論考であるかぎりは、段階的な論証があり、順次として最後にくる考察は最終段階の結論となる。ならざるをえない。わたしは前記の結語を、いまだ途上にあるものと考えていたかったようだ。それを言い放つことによって決然と本の頁が閉じられるにふさわしい重みのあるものとは自負できなかった、というのか。発見として取るに足りないと思ったわけではない。ただ『大菩薩峠』論への挑戦の頂点に置かれるものとしては、それだけの質量に欠けると思えてならなかった。論述の都合で天皇制への言及がたまたま最後にまわってきただけで、それ以上の重大な意味はなかったともいえる。
 あえていうなら、結論部分はなくてもよかったと思えていた。論者の主観(あくまでわたし一人の主観という限定だが)においては、むしろ蛇足のようにすら感じられたのだ。こうして出来上がった意図的な曖昧化の周辺を、五年経った時点でいくらか補足してみたい。


 さて状況の変遷ということをいったが、この五年のあいだに、何か事新しく決定的な変化が訪れているのだろうか。端的にいうなら、ポスト冷戦構造がどんな「世界システム」に向かうかの答えは、数年前には、それほど鮮明だったわけではない。しかし、二〇〇一年九月十一日を境にして、というかこの日のワールド・トレード・センタービルへの攻撃に象徴される歴史的断絶より「以降」、世界は明確に一極集中の度合いを強めている。世界最強の帝国による軍事力支配の傘下に入るか否か――というこの上なくシンプルな選択肢しか許されない「世界システム」が現実化してきた。
 十数年前の湾岸戦争のときジョージ・ブッシュは「新しい秩序」を呼びかけたが、それほど広範な実効性を持ちえたとはいえなかった。現在、ブッシュJr。(容貌も好戦性も石油資本とのコネクションもきっちり受け継いだ、世襲性で国家元首の椅子を委譲されたとすら思えるような「将軍」)が、アメリカのドクトリンとして獅子吼している戦略は、その焼き直しだとはいえ、はるかに具体的かつシンプルな世界観であり、イエスかノーかの答えを他国に強制している。イエスでもノーでもない第三の道を選ぶことは「アメリカの敵」とみなされかねない。事実、アメリカにたいする日本政府の対応に何らかの自主性・主体性を見出すのはかなり困難だろう。ことは、いわゆる「同時多発テロ」への断固たる報復をなすのか否かで、第一に試された。軍事力の行使は民主主義体制において多数の支持を得ることができた。報復=「宣戦布告なき戦争」を支持することは一歩進んで、「悪の枢軸国」への毅然たる先制攻撃を支持するかどうかの選択肢にまでエスカレートしてしまった。イラクでは湾岸戦争に使用された劣化ウラン弾による「放射能被害」が今もあとをたたない(劣化ウラン弾とは、核廃棄物を武器へ再利用したもので、核兵器と同質の放射能災害をもたらす)。その国が今ふたたび先制攻撃の標的にのぼっている。世界を領導する暴力のとてつもない物量は一国に集中し、ますます集中しつつある。テロリストはトム・クランシーの軍事サスペンスとハリウッド映画を模倣したともいわれるが、トム・クランシーのベストセラーと(その映画化もふくむ)ハリウッド映画はさらに勇壮な進軍ラッパとともに戦争になだれをうっている。リドリー・スコットの『ブラックホークダウン』はソマリア「紛争」への「介入」を題材にした戦争映画だが、そのドラマ構造は半世紀前の(騎兵隊が「インディアン」を駆逐するタイプの)西部劇そのままだ。アメリカの「正義の力」は、北アメリカ大陸の辺境から今や世界大に拡大している。
 日本の状況は、国内的には、一九四〇年代前半の翼賛体制下に似てきているとも考えられる。ただ拡大のおそれがあるのは、かつての大東亜共栄圏の夢ではなく、アメリカの「正義」に追随していくだけの日和見主義だ。戦後五十年の時点と現在とを比べれば、たしかに変化は著しいともいえよう。
 だが、最初にことわったとおり、そこからひるがえって『大菩薩峠』への読解が根底的な改定を迫られることはないように思える。


 そこで『大菩薩峠』が示した予言性にもどってみよう。
 膽吹山(伊吹山)のシーンは、お雪の夢に訪れる惨劇だ。お雪の幻想であるにもかかわらず、そこを支配しているのは、お銀様だ。お銀様は伊吹の山中に牢獄をつくり、机龍之助を幽閉している。夢のなかで闘われる二人の女と一人の男の死闘。『大菩薩峠』の中心人物である三人がこうして相まみえるのは、この幻想シーンだけだ。勝ちを征するのはお銀様のようでいて、お銀様ではない。
 小説の全体(というか以降の部分)に照らし合わせてみると、この三人の行動は、幻想の死闘を通過することによって著しい矛盾をはらむことになる。かんたんにいえば、現実相と幻想相とのつじつまが合わなくなるのだ。机龍之助に関しては、存在そのものが幻想領域に舞いあがってしまうので、行動の整合性を求めても仕方がないともいえる。しかし幻想内でのエピソード相互にも齟齬が生じるため、いっそう(最後まで読み通せないという)『大菩薩峠』伝説を補強する要素となった。
 それはともあれ、この幻想シーンは『大菩薩峠』後半、中段のクライマックスともいえる異様な衝迫力にみちている。幻想のなかに次つぎと像を結ぶ観念とイメージの奔流は類をみない。一大幻想ファンタジーとしての『大菩薩峠』の魅力をいかんなく発揮していて見事である。ここでお銀様は、絶壁をはさんで向こう側の牢に閉じこめられた龍之助に、自分かお雪かどちらを選ぶのか迫る。龍之助は「鈴慕」の曲を尺八で奏でるのみ。
 これに関してわたしは結論的に、次のように書いた。
 《なぜお銀はあれほどまでに龍之助を追いつめながらも(この夢のなかで)最終的には「男の肉欲に投降」して自らを閉じてしまうのか、なぜ龍之助は完璧な幽閉状況にあるにもかかわらず悪辣に「自由」でありえているのか、そしてなぜお雪は自分の夢を喰い破られてかれらの血の争いを映し出してみなければならないのか。作者はそれらの疑問を何一つ解決していない。できなかったのである。(中略)
 なぜ龍之助は膽吹山の牢獄で徹底的にお銀の弾劾を受けながら、それを「ははは」とせせら笑うことができたのか。龍之助の受動性とは、作者が自ら問うた難問へ思想的光明を見出していないことの、消極的な表われにすぎない。だがかれの「自由」とはどこまでも受け身に問題をすり抜け、無限無責任で己れを防衛するトリックなのだ。受け身であるかぎり、答えられない攻撃を答えずに済ますポーズを装うことはできる》
 しかしながら――。
 案外に、お銀様の論難は、二人の女をてんびんにかける浮気男をつるしあげる一種の痴話喧嘩の一幕と、下世話に読んでしまうこともできないではない。じっさい『大菩薩峠』の女たちの実在モデルはだいたい判明しているわけだから、伝記的事実との照合もたやすい作業である。机氏は(作者と同様に?)色悪であり、嫉妬の焔を燃やす女の瞋恚ごときではビクともしないようである。膽吹山のシーンは、そうした豪胆な男の「戦果の記録」と読めばいいだけのことで、大げさに天皇制人間の本質をいいたてるのは当たらない、という女房的リアリズムもあるだろう。べつにわたしは、そうした読解を一蹴するつもりはないが、それに終始するのでは、『大菩薩峠』が完成後も数十年、読み継がれてきた深みをくみとりそこねるだろうと思うだけだ。お銀様の弾劾は非常に錯綜したものであり、その全体像を限られた枚数で伝達するには無理がある。『大菩薩峠』全編とはいわないまでも、せめてわたしの『謎解き「大菩薩峠」』の該当部分を読んでいただかないと不充分にとどまる。机氏の無限無責任はたしかに何かの雛型なのだ。何かといえば、それは戦後の日本社会を規定した制度としての象徴天皇制である。
 小熊英二単一民族神話の起源 〈日本人〉の自画像の系譜(新曜社)は、津田左右吉や和辻哲郎といった歴史学者が象徴天皇制論のモチーフを戦中期からいだいていたことを示唆している。システムとしての象徴天皇制が、占領国アメリカによる押しつけであるとする、あるいは、日本の旧支配層が延命を画策した結果として生まれた妥協の産物とする議論は、一般的なのかもしれない。もちろん日本人の多くがそうした制度を欲したと証明することは無理だろう。しかしいく人かの「日本人論者」の思考が、その萌芽を戦前戦中の時期にとらえていたとする考察は、非常に興味深い。
 天皇個人のみならず皇室を支える日本の統治システムが敗戦によってドラスティックな転換を迫られたことは何人も否定しまい。政治体制の要請によって(天皇の戦争責任を免ずることもふくめて)、延命策は講じられたが、それをすべてとする議論はいかにも便宜的にすぎないように思える。天皇制というこの日本人に骨がらみの底流を掘り下げられないだろう。天皇を象徴として、あるいは生身の職能的存在として受け入れるという選択。それは、すでに戦前・戦中期の日本人の心性に深く無意識に眠っていたのかもしれない。そしてわたしが注目した『大菩薩峠』の一場面は、はからずもその無意識を掘り起こした数少ない証言でもあるのだろう。ジョン・ダワー敗北を抱きしめては、青い目の将軍の君臨(マッカーサーを頂点とする米軍の占領統治)と、それに連続した天皇の現人神からの失墜とを、敗戦期の日本人がさしたる混乱もなく受け容れたことに「国民性」の特徴をみている。それらは急激な総転向なり総懺悔ではなく、むしろ日本人のなかに眠っていた意識の発露であったかもしれない。
 中里介山は『大菩薩峠』において、その心性に深々と迫ったのだろう。膽吹山の牢獄(これ自体が物語のなかでは二重にも三重にも虚構性に覆われた磁場だ)において凄絶で空虚な高笑を放つ机氏の姿は、さまざまなコンテキストから切り離してみると、あまりにも日本人そのものの無責任性の〈象徴〉であるにとどまらず、敗戦を契機にして制度化したその〈象徴〉と天皇制との合体を予見していたとも思えるのだ。――といったことを、わたしは考えていたのだが、『謎解き「大菩薩峠」』の最終結論を天皇制に結びつけて終わるのは、どうにも貧しいような気がしてならなかった。それは終点となるわけではあるまいと……。
 『謎解き「大菩薩峠」』で、わたしは『大菩薩峠』全編に鳴り響いている基底的な旋律は「鈴慕」の曲だと書いた。この点はだれも指摘していない。「鈴慕」と同等に重たく残っているのは、「地蔵和讃」の唄だが、これは内田吐夢の映画(とくにその第三部)の印象が強いせいかもしれない。「鈴慕」にしろ「地蔵和讃」にしろ――たびたびこの言葉を使って自分でも辟易するが――日本人の心性(わたしが日本人であるという否定しようのない牢獄)に深くふかく突き刺さっている。それは統治システムとしての天皇制とは明らかに別の位相にありながら、しかし、それと骨がらみに引きずられている。
 その意味では、『大菩薩峠』の謎とは、解けたと同時にさらなる問いかけの罠に誘いこむ永続的なものであるかもしれない。

『大菩薩峠』1

『国文學』2002.11