後裔の歌

 神の杖(鄭棟柱-チョンドンジュ著、根本理恵訳、部落解放研究所発行、解放出版社発売)は、韓国の被差別民「白丁-ペクチョン」の歴史を、現代女性の視点から再構成した啓蒙的な小説である。白丁は、朝鮮における牢固とした差別身分でありながら、植民地化過程を含む近代化の歴史のなかで制度的には(と限定しなければならないだろう)解消されている。ご多分にもれず、隣国も、「差別なんかない社会」らしい。
 日本の読者に白丁差別の実態をアピールする意図が明瞭なのだが、それでいながら、『神の杖』は複合した質感をもった作品であり、そのことによってたんなる「歴史小説」から免れている。しかしそれだけ著者のモチーフが沸点をこえて、かえって明快な力強さを欠く結果になったことは否めない。
 基本的には、後裔の物語だ。白丁の後裔。
 最初に人物関係を覗いてしまうと、主要人物はすべて、四代約百年前の白丁女性の血を引いていることがわかる。一方の後裔は、自らのルーツに目を向け、一族の歴史を小説のかたちで発表する。それはベストセラーになるが、モデル問題で告訴事件まで引き起こす。被差別民の子孫であることを暴露されたと反撥したひとたちがいたのだ。作者は、ここに、現代の差別問題の根深さを見よ、といっているのだろう。
 ところが別面で明らかになるのは、この小説を書いたヒロインの冷たい偽善性でもあった。彼女は告訴騒ぎによって、失われた青春に立ち戻らされる。
 反体制運動に散った仲間から離れ、愛のない結婚に逃げこんだ。アカデミズムで成功し、二十五年が過ぎる。小説は自殺した妹をモデルに使ったが、その妹こそは彼女の実現しえない可能性をひめた存在だった。「きみは妹の死について自分の知りたい面しか見ていない」と、かつての恋人が彼女を弾劾する。こうしたラインは、ごく普通の自己形成小説の苦味だが、これが構成の統一感を殺いでしまっている。
 作者の筆が最も冴えるのは、祖先の女性の、惨憺たる運命を追っていく「自然主義文学」的な部分だ。四代の女性の年代記としてまとめ、そこに差別の実相を描きこむことに徹しても充分だった、と思えた。それに安住できなかったのは、作者の誠実さでもあるだろう。「破綻」の苦さがかえって捨てがたい作品である。

週刊金曜日1997.6.17