夢野久作の一族について

 小説家とは要するに、小説のネタにもならないつまらない連中だ――というのは斉藤緑雨の警句だが、逆にいうなら、すぐれた作家は残した作品と同等の伝記的興味をひきつけてやまない存在でありつづける。夢野久作はその数少ない名前の一つだ。しかし夢野の実人生への興味は父親茂丸との確執を中心にしたものだった。在野の右翼政界の巨頭杉山茂丸の高名さを考えるならそれも当然の結果だろうか。加えて、久作は、実父の破天荒な政治生活の後始末に疲れ果て、その死の八ヵ月後にあとを追うようにして倒れている。父性への反抗、それは近代日本文学の一テーマだ。久作は志賀直哉とは対照的な作品を残してそのテーマを担った。反抗者久作の像、ある意味ではそれは、夢野研究のアポリアであり、一つの固定観でもあった。
 最近書き下ろされた夢野一族多田茂治著、三一書房)は、そうした従来の視点の限定を打ち破る方向を指し示している。これはサブタイトルにある通り、「杉山家三代の軌跡」を対象にしたものだ。とくにこの書では、久作の三人の子息の戦後が初めて明らかにされる。長男龍丸は久作研究の資料提供者としてよく知られている。しかしかれ自身の苛烈な生涯は、それに比して後景にあった。祖父茂丸のフィクサー的な資質を最もよく受け継いだといわれる。帝国軍隊の下士官として戦争を闘い、重傷を負って復員した。茂丸の孫、久作の子という役割を全うした人物といえるだろう。次男鐡児は学校教師の道を歩み、同和教育に力を尽くした。三男参緑は「生命派」を自称した詩人だった。
 この三人の対照的な戦後に、著者は、久作の夢の持続を見ようとしたのだろう。ドグラマグラはその文学的価値をいかに過大に評価されようと、「子の文学」であり「成熟の文学」ではない。その意味では、暗夜行路よりも絶対的に優越しているわけではない。『夢野一族』は、それが実子たちに継がれ、実生活のレベルで試練を受けた様相を追いつめていく。著者が最も愛惜をこめて描くのは参緑の生活だ。無名のまま貧窮のうちに死んだ詩人は、久作の優しさも脆さも純粋に受け渡されたかのようだ。その詩語は暖かい温もりにみちているが、周縁にまで伸びていく荒々しさはない。

多田茂治『夢野久作読本』

週刊金曜日1997.7.25