アフマドのために  読書日記として
 帝国との対決 イクバール・アフマド発言集』を読む。
 この数年で、比べるもののない豊饒な読書体験をもたらせてくれた。
 イクバール・アフマド。彼は何者なのか。

 彼が何者なのかという問いにはおそらく充全には答えられない。その問いは、問う者の根拠を揺るがせずにはおかない。
 エドワード・サイードは大著文化帝国主義をアフマドに捧げている。その事実によって、答えに替えることはあるいは可能かもしれない。しかしこの答えには膨大な注釈が必要であるから、答えにはとてもなりえないと認めるほうが手っ取り早い。『文化と帝国主義』という書物については、文学研究が一般的に持つ意味を明らかにするとともに、文学研究というそれじたい西欧的思考のカテゴリにあるものを逆用して西欧文学の支配構造を暴露するというサイードの果敢な戦闘の意味まで分け入っていかねばならないだろう。それは、多分サイードを凌駕する本文を書くことにも近い、困難な試みであるようにも思える。とくにポストコロニアリズムを先験的に理解できない可能性の強い日本人としては。
 アフマドが何者かを問うていくためには、まず、彼が何者でないかを考えていくことが近道になりそうだ。

 彼はふつうの意味での著述家ではない。
 『帝国との対決』は、彼の一冊目の邦訳著作だが、成り立ちはインタビューの記録であり、書かれたテキストではない。われわれはすでに故人となった著者の書物を手に取っているわけだ。
 書く人ではないから、彼は詩人でもないし、哲学者でもない。
 しかしアフマドの発言は詩のように凝縮されている。言葉の素朴な意味でのフォース、最も原始的な喚起力は、『帝国との対決』のいたるところにみなぎっている。

 彼は学者ではない。学問の体系は、どんなものであれ、彼の思索をおさめきれない。
 彼は啓蒙家ではない。
 彼が社会にたいしてそう振る舞う意図はあったにせよ、アメリカ社会は彼に知識人としての敬意をはらわなかった。
 彼は認識者ではない。

 彼の言葉は、今日の世界の混乱を明晰に解いてみせてくれる。しかしてなお、それは世界を解釈するためのものでは主要にない。かえって数かずの困難が彼をして正確に世界をとらえることを学ばせた、その犠牲の雄弁な証拠なのである。
 同じ意味で彼はジャーナリストではない。彼がさまざまの国の現状について語るとき、何よりそれはたんなる報告とはかけ離れた、生の声なのだ。
 インド、パキスタン、カシミール、アフガニスタン、パレスチナ、スリランカ、セルビアなどへの彼の発言の表層をながめ、彼を紛争地域に関心を持つ軍事アナリストといったいかがわしい人物とみなすことは間違っている。状況分析家でもない。《すべての社会現象には必ず歴史的由来がある》ことを倦まず弛まず語りつづけているだけだ。

 彼は革命家ではない。若き日のフランツ・ファノンやマルコムXとのエピソードは印象的だ。この二人を共に直接知っているということそのものからして驚かされる。またレーニンやグラムシに関するさりげない意見にも豊かな洞察がある。しかし革命家と呼びうる経歴は彼のものとは遠い。
 彼はナショナリストではない。
 帰属すべき祖国から遠くに隔離されていた。祖国は独立からほどなくして分断された。その根はガンジーの非暴力主義にあったと、彼はいう。暴力的分断の根源に他ならぬ非暴力主義があったという断言には、どれだけの痛みが満ちていることだろう。人は傷つくことなしに、こうした透徹した認識を手にすることはできない。《抑圧された人間の集団こそが闘争をとおして、彼ら自身を、彼ら自身の力を、そして彼ら自身の人間性を発見する》105P

 彼は亡命知識人ではない。アメリカに典型化したパーマネント・エグザイルの肖像(やはり西欧的人間像だ)との共通項は少ない。植民地インドに生まれ、生を終えたのは分割後のパキスタンだが、そのほとんどは国外で過ごした。「故郷をもたない人間」として、彼は驚くほど広範な世界に足跡を残した。だが漂泊者でも放浪家でも亡命者でもない。
 相似するタイプは、やはり同様の出自を持つサイードやガヤトリ・スピヴァクやトリン・T・ミンハなどのアジア系のアメリカ在住知識人だ。
 インタビュアーはその「航跡」について質問している。

 《あなたは並はずれて遠い距離を旅してきました。マイルに換算しても、また思想的な意味においても。育ったのはインドのビハールの村落です。パキスタンに移住しました。プリンストン大学で学びました。その後、革命的動乱のさなかのアルジェリアで働きました。合衆国にもどりました。その後、反戦運動の活動家でした。ここで大学教員として経歴をつみました。いま、あなたはパキスタンで対抗的教育機関設立のために腐心しています。このかなり長く変化にとんだ旅路について、あなたはどのように考え、どのような感慨をおもちですか?》168P

 彼はテロリストではないし、テロリズム・グループと交渉があったわけでもない。この本の冒頭にある、テロリズムへの彼の簡潔にして正確きわまりない意見を読むがいい。これほどまでに言葉が凝縮され力を帯びるにいたる現実経験の犠牲を想像し、粛然としなければならない。
 一冊を読むにしたがって、読者は彼が原則的なまでの非暴力主義者であることを知る。
 彼は人道的な平和主義者なのか。

 ちがう。彼は、いわゆる「人道的なヒューマニズム」などとは最も遠いところにいる。それは何より彼の履歴が語ることだ。
 彼は口達者なポストコロニアルの研究家ではない。
 ポストコロニアルとは研究対象ではなく、日々生成していく生の現場なのであるという真理を、彼ほど鮮烈に体現している者はいない。
 「ポストコロニアル国家は旧植民地の改悪版にすぎない」と彼が断言するとき、そこには二十世紀後半に散乱した無数のポストコロニアル国家の失敗が累々と横たわっているのだ。

 彼は国際政治の闇のネットワークに関わる「影の交渉人」なのか。これもちがう。
 彼がPLOのアラファトに進言した助言の話は出てくるが、政治の舞台は彼にとって本質的な場ではない。範疇としては、やはり書斎の人、知識人なのだ。

 こうしていくつかの点検項目をおいてみると、いちばんふさわしい答えに近いものが浮かび上がってくる。
 ――彼は言葉の大きな意味において、教育家だったのだ。
 しかしこの事実は、彼を書物によってのみ知る者にとっては、あまり意味のないことだ。語られた言葉は強い力をもって読む者をとらえるにせよ、依然として「言葉」にすぎないからだ。

 彼は、サイードが「革命的知識人」といういささか古びた観念を言揚げしたとき、おそらくその脳裏に強固にあったような人物なのだ。この種の人間は当該の支配社会からは決して歓迎されることはない(どころか身の危険にさらされさえするだろう)が、いわば社会の強い負性に強いられて成長してくる。こうした個性がいだく想念は、詩や哲学に収束するためには全体的すぎる。
 アフマドの発言集を一読して浮かぶ感慨は、また『文化と帝国主義』の献辞にたちもどらせることになる。献辞はふつうの献辞たる以上の意味をもって使われていることに気づかざるをえないのだ。

 そしてこんなふうにも考える――。サイードは一人の力では、あの浩瀚な文学研究を完成させることができなかったのではないか。この点は、サイードの批評家としての力量を低くみるとか、ましてや何らかの共同作業があったのではないかと推測をはたらかせたいためにいうのではない。そうではなく、精神的なバックボーンを与える位置に常にアフマドが存在していたということだ。サイードは「全世界の友」「世界がまさに汝を欲している人物」と書いているが、それだけではまだ不充分と感じていたにちがいない。愛惜は、この本にサイードが寄せた序文に吹きこぼれるように横溢している。

 《彼は帝国主義の惨状を、また全世界にはびこる不正をつぶさに吟味しただけでなく、とりわけ他の誰にもまして雄弁に、イスラム文化やイスラム国家が生み出した固有の悲惨さや、お粗末な実績を列挙し記録したのだ。けれども、そうしながら彼が必死にわたしたちに伝えようとしたのは、彼が嘆いているのは、西洋でまちがって表象されているたんなる狂信的な風潮とか文化的動向のことではなく、地球上広範囲にわたる普遍的な運動の消失である》57P

 サイードの仕事が全世界の被抑圧民族とポストコロニアルの状況の結晶であるという位置づけも、また可能だ。だとしてもその仕事はサイードという類いまれな個性をもってしても、独力ではなしえなかったと思われる。多くの助力が介されていることは言をまたないにしても、その最もめざましい精神的・思想的・人間的支えといったものは、アフマドによって変わらず供給されていたのではないか。そう思わせる。
 彼の存在、影響力が、これからの世界にどう貢献していくのか測定はできない。しかし希望の源たる思索がここに厳然としてあることは確かなのだ。「知のペシミズム、意志のオプティミズム」を。

 《現代のもっとも危険な特徴は、たったひとつの大国が、対抗勢力なしに世界を軍事的に支配し、国際平和維持や司法をつかさどる諸機関を牛耳ってしまうことです。このことによって現在の世界システムは、とくに弱小国や貧困国にとって、冷戦中よりもはるかに危険なものとなっています。わたしたちは冷戦中よりもずっとひどい時代にいるのです。……現在の国際システムには公式のものであれ非公式のものであれ、抑止(チェック)もなければ均衡(バランス)も存在しません。それゆえになおさら危険なのです。……アメリカは正義の根本原則に背く存在です。裁判官にして検事にして執行官であると主張する単一の強国なのですから》225,226,227P

 彼は予言者なのだろうか。
 その問いは最も強く打ち消されねばならない。アフマドを予言者として読むような受け取りこそ、彼の発言の、哀しみにみちた希望・希望にみちた哀しみに反する奴隷精神だといわねばならない。


2003.3.30記
未発表