深谷忠記『目撃』解説

深谷式・二重交叉

 本書『目撃』のタイトルには、二重の、重層的な意味がかかっている。一の事件(四年前)の被疑者関山夏美を現場近くで見たという目撃証言。二の事件(三十九年前)以来ずっと曽我英紀に刻みこまれてきた目撃記憶。時空を異にする二つの事件は、単純に並列されるのでも、縦軸と横軸といったふうに整理されるのでもなく、次第にその全貌を顕わしてくる。最初は「一」が主であり、「二」はそれを照らし出す「窓口」であるような印象だ。だが両者の照応関係が単純に割り切れるものではないことが暴かれてくる。
 二つの焦点が突如として交叉し、不可思議な火花を散らす。一見なんの関連もない二つの事件の深層が魔法のような論理によって結びつけられ、解明される。――これはミステリに備わり他の小説にはない独自の効用だが、とりわけ深谷忠記のミステリに特徴的な魅力である。
 『目撃』の作品解説に入る前に、あまりだれも指摘しないようなので、この作家の全体像について軽くスケッチしてみよう。


 二つの焦点の交叉・照応。これが深谷ミステリのキーワードだ。

 証明@ 旅情ミステリの人気シリーズと重厚長大なノンシリーズを書き分けてきた、というのが従来の作家イメージ。しかし「アリバイ崩し」のA深谷と、重厚長大のG深谷と、二つの顔が別々にあるわけではない。作者の顔は単一だが、こちらの都合で分類がなされているにすぎない。両者は互いに入り組んで交叉し、照応し合っている。交叉点をとりあえず記号で表わすと、「・」になる。これは深谷旅情ミステリのほとんど全編に共通する、地名と地名とをつなぐあの「・」と同じマークなのだ。

 証明A 深谷旅情ミステリの系列は、「殺人ライン」「逆転」「プラスマイナスの交叉」「殺人交点」などの違いはあっても、タイトルのアタマに必ず「・」マーク付きの二つの地名が冠される。なぜ二つか、なぜ「・」か。ここに作者のこだわりとプライドはあますところなく示される。旅情こそ交叉する――これが深谷式の基本。
 ミステリにおけるアリバイ・トリックは「点と線」の考察だ。二点間を結ぶ線は算術的には豊かなイメージをもたらさない。ミステリの想像力によって始めて二点を結ぶ「線」の複雑さが見えてくる。とりわけ深谷ミステリは点と点が交叉する「・」に独特の設計図を書きつづけてきた。

 証明B 初期作品の『成田・青梅殺人ライン』では、物理学の不確定性原理の導入によってアリバイ破りがなされるのだった。二地点を結ぶゆるやかな曲線が二本引かれる。「輪」ができる。そしてその「輪」をひとひねりすると――そこに現われるのは交叉点「・」なのだ。二つの地点の謎がそこで解明される。交点の発見は、以降の深谷作品においても、一貫してアリバイ崩しの原理となっている。

 証明C しかし作者の二つの顔の使い分けは明らかではないか、という感想もあるだろう。最新作『審判』G深谷、その前作の『十和田・田沢湖殺人ライン』A深谷。Gのほうは本も分厚いし、タイトルも素っ気ないし、難しそうだ、と。素朴な感想まで否定するわけにはいかないが、少し待っていただきたい。私見では、作者の一つの転機は、『人麻呂の悲劇』あたりに訪れている。これは歴史推理もののシリーズ四作目でもあるが、大胆な野心作でもある。作者自身も「ミステリの枠からはみ出しすぎたのではないか」とあとがきに記しているほど、構成的な冒険が試みられている。だが古代史のミステリと現代の謎を重層的に交叉させる方法は、いつもの深谷式。それはここでも見事に貫かれ、成功をおさめた。G深谷A深谷とが分岐してくる以前に、作者は自分のなかの交叉「・」を発見したのである。サブタイトルは「『人麻呂・赤人同一人説』殺人事件」――そう、ここにも「・」マークがある!


 『目撃』の一方の主人公は、曽我というミステリ作家。「寡作で売れない」という点を別にすれば、作者と重なってくる性格を付されている。最初の仕掛けは、彼の目から三年前の、主婦によるアル中夫の毒殺というありふれた事件が再構成されてくる、というものだ。曽我のもとに、その主婦夏美から手紙がくる。彼の冤罪事件をあつかった作品『蒼の構図』(これは作者自身の『自白の風景』に対応する)を読んだ。力添えしてほしい、というものだ。曽我が事件を少し調べてみると、担当弁護士服部朋子は彼の大学時代の文学仲間だった。
 しかし一審は終わり十年の求刑がなされている。控訴審にとりくんでいるところだが、これといった新しい証言も証人も出てきていない状況だ。彼らのゲームはかなりスコアの悪いところから開始されてくるわけだ。
 曽我には、少年期の忌まわしい記憶があるのだが、ここに照明が当てられてくるのは、物語の中盤以降だ。控訴審に協力する曽我は事件について重要な示唆を語る。だが弁護士はその場では失望をみせるだけだった。この伏線が効いてくるのは、ずっと後のことだ。
 構成は三部立て。第二部の後半にかかるあたりから、曽我の過去の事件が大きなウェイトを占めてくる。夏美の事件を照らし出す便宜的な観点を与えるにとどまらず、メインの物語に躍り出てくるのだ。二つの目撃譚は、思わぬところで交叉し、また互いに照応し合う。
 二つの事件は、同一構造、同一の盲点を持っていた。それは一つの事件を単独に追うことでは見つけられない盲点だった。
 八歳のときに彼が目撃した真実はいかなる逆転を呈するのか。
 第一部の裁判場面で、記憶の生成に関する長々しい専門的記述があるが、これは後半に生きてくる一種の伏線といえるだろう。題材は、曽我を中心に置くと、トラウマ・サスペンス(このほうが昨今の流行りだろう)を予想させるが、深谷ミステリにおいては、あくまで論理的に記憶メカニズムは解明されていく。これは作者の人間観というより、ミステリ観からくるものだろう。また毒薬についても、わずらわしいくらいに繰り返し詳述されるが、これも逆転への布石なのである。
 場所と時間を隔てた二つの目撃と記憶の物語。それらが深い一貫した深谷式交叉を達成していることに読者は驚くだろう。
 なるほど『目撃』はG深谷の典型をなす作品だ。初めての読者にはとっつきの悪さが先立つかもしれない。ここには「0・096の逆転」「48秒の逆転」「180秒の逆転」「3Sの逆転」などはない。美男美女の探偵コンビがいつゴールインするかとやきもきさせながら謎解きに挑む快さもない。だが先に書いたように、形式的な区別は無用だ。面白さはこれまでの深谷作品同様、保証できる。「・」マークは目に見えないだけで到るところにばらまかれているし、逆転の連続技ももちろん期待してよろしい。
 『目撃』は法廷ミステリに分類されるが、この形式は作者としては二作目となる。先行するのは『房総・武蔵野殺人ライン』。じつに周到な構成と考え抜かれた叙述法を備えた秀作である。「明白この上ない犯人」を裁判シーンにおいて引っくり返してみせ、その後さらに別の逆転劇を繰り出してくる手際の鮮やかさは本作にも通じる。『房総・武蔵野殺人ライン』はタイトルからして旅情シリーズのあつかいで紛らわしいけれど、(あえて二分法にこだわる言い方をすれば)A深谷時代(初期)に隠されたG深谷作品である。

 つけ加えておけば、初期の三作品は作者の後の航跡をたどる上で興味深い。『成田・青梅殺人ライン』は、トリック作法の原理をナマなかたちで示す。『0.096逆転の殺人』は大技トリックを景気よくぎゅう詰めにし、まさに「青春ミステリ」そのものを感じさせる。『信州・奥多摩殺人ライン』は、トリックのイメージ豊かさが黒江壮・美緒の探偵コンビのデビューにふさわしい。

 

最後に、深谷ミステリ・ベスト5を。

 『目撃』
 『審判』
 『房総・武蔵野殺人ライン』
 『人麻呂の悲劇』
 『自白の風景』
角川文庫05.10