野崎六助は、頑冥なまでの執拗さをもってみずからの〈世代〉にこだわりぬく。生理的には野崎をはさんで上は一九四十年代はじめ生まれから、下限は、わたしなどもふくまれてくるほぼ十年の幅を有し、その内実の中心に、市民社会への総反乱のはじまりと内攻とを深く、鋭角的に刻み込んだ〈世代〉に、である。そして、そのこだわりようは、頑冥さ・執拗さといったなまやさしい形容では足りず、ほとんど痼疾ともいうべき趣を呈している、といっていいだろう。

 「一つの世代の物語」、たしかに全共闘世代論ではある。しかし、本書は、ここ数年来ブームとしてあった全共闘世代論――“オレらはやった、だからオマエらもやれ”と“ボクらにはないことを、アナタがたはやれた”という、まことにいい気な円環をぐるぐるまわっただけの世代論とは異なる。
 だいたいそうした意味における世代論は、全共闘世代によって完全に無効化されたのだと、わたしは確信している。全共闘運動が、市民社会における生のトータリティーへのトータルな反乱のはじまりの象徴だったとすれば、もはやその開始後、いかなる意味での特権性もそこでは根拠を喪う。むろん、〈世代〉という失楽園的イメージと進化論的イメージのはざまでうごめく特権性もまた例外ではない。したがって、全共闘世代論とは、世代論の解体と終焉をこそ語るべき世代論というパラドックスをひきうけざるをえない。
 野崎は、〈世代〉を徹底的に問いつめていく。たとえば、十数年ののち高橋和巳を批判する作家に対して、《私らが高橋和巳に負ったもの、高橋和巳に負わされたもの、そのかけがえのない聖跡についてどう思っているのか……彼の死を同士の喪失のように涙しなかったろうか……そしてきみは高橋和巳にどういう責務を負ったか。ごく初歩的に問うておきたいのだ》(「兵頭正俊と桐山襲の迷宮」)と、高橋の欺瞞と錯誤、無様さ・弱さをじゅうぶん知りつくしたうえでなお、問いかけている。野崎はこうした問いかけが、全共闘“聖跡”主義やらセンチメンタリズムやらといった非難をよびおこすことも知っている。知りつつなお、執拗に、過剰なまでに問いを発するのは、この世代が、いまだ世代論を語りうるほどの完結性を持っていないこと、いや、これからもけっしてそれを語りえないことを、彼が痛覚している(から)にちがいない。
 思えば、野崎の最初の著作『幻視するバリケード』(田畑書店)は、この世代を、聖化や感傷の完結性の家にカタリとろうとする、全共闘文学者や思想家に対する果敢なる戦闘宣言の書であった。現秩序の制度的な維持に向かって、ポジティブに“復員”を果たしたカタリ派に対し、だが、野崎も“復員”しなかったわけではない。彼も、世代の死者、おびただしい、性急な死者達と隔てられて「生かされ残った」。しかし、はたしてそこはどこなのか――という自問のなかで、本書の「亡命」という主題が浮上しただろうことは想像に難くない。
 ロスト・ジェネレーションに属するマルカム・カウリーの『亡命者帰る』を横目で見ながら、野崎は書いている。《だが私らには帰還する場所などなかったのである。……私らがしている土は最初からなかったのである。……私らにとって、亡命とはあくまで内的な属領へと至る過程だったのである。どこにもない土に帰することだったのである》。反乱とは本来、こうした過酷さの継続のことにほかなるまい。本書は、反乱が生なましい現在形としてある「亡命」の属領を、とりわけ亡命十五年の後山谷に帰還し殺された映画作家の死――浮浪者狩りをはじめた子供たちを結ぶ、時代の「亡命者狩り」という状況のなかで、じりじりと追いつめていく。その暴力的な暗い輝きの頂点に、読者もまた辿りつくであろう魅力に満ちた恐ろしい書である。

高橋敏夫 朝日ジャーナル 1986.4.4


 まず、違和感、というか、不思議に思った点をいくつか記しておきたい。そのうえでこの本のもつ積極的な面を考えていきたい。

 ぼくはこの本をはじめて手にしたときから、なぜ著者は笠井潔だの竹田青嗣だのを相手にしなくてはならないかがわからなかった。何か「いま・ここで」決着をつけねばならない問題がこの二人のどこを叩いてみても見当たらないと思っていたからだ。もちろん著者の問題意識は鮮明である。それは、この二人を論じた章の小タイトルにはっきりとあらわれている。笠井には「思想責任としての連合赤軍」、竹田に対しては、「在日新世代の自己主張」というように。

 (中略)

 そして「亡命」である。プロローグで著者は書いている。《だから私らには帰還する場所などなかったのである。(…)私らがしている土は最初からなかったのである。(…)私らにとって、あくまで内的な属領へと至る過程だったのである。どこにもない土に帰することだったのである》。こういうもの言いはとても好きである。しかしまた、かつて誰かが「建国-建軍」といったとき感じたようなウサン臭さも、感じてしまうのだ。「復員」とか「亡命」とか著者の引き出してくる言葉は輝きに満ちている。「復員」はおそらくありえた。帰るべき地はあったとしても、やはり往き着く先など、どこにもなかったのではないか。闘う者の矜持は闘い続けることの中にしかないのだから。

 (中略)

 本書の大マカな構成を紹介しておこう。全体は三章に分けられていて、1が映画作家・佐藤満夫の死(山谷における)からヴェンダーズへと続き、2が笠井、竹田、そして兵頭正俊と桐山襲への論及、3が横浜「浮浪者連続殺傷事件」から相米慎二の歴史総括へと連なり、トロッタ『鉛の時代』への美しい言及となっている。

 どの文章も、鋭い直感と類推、斜めによぎってゆくスピード感など、著者の本領が十分に発揮されていてたのもしい。ぼくがとくに共感をもって読んだのは、山谷における佐藤の〈死〉と、横浜での少年たちによる「浮浪者連続殺傷事件」とを同質のものであることを直感し、それらをこの時代の特徴的な姿として描き出そうとした点である。

 著者は横浜での「事件」を代理戦争と規定する。《一方に、帝国資本制の総体的矛盾を圧縮して身体化した基幹産業従事下層プロレタリアート=寄せ場労働者が置かれ、もう一方に、高度な管理社会システムの発信者と受信者を併存させるという機能によって肥大する帝国市民が置かれ、寄せ場労働者を差別・排外する市民社会の倫理(テロル)が、その子弟たちによる直接的な暴力の行使において顕わに現実化》するというわけである。

 たしかに寄せ場をめぐる状況はそのようなものである。山谷に限ってみても、八十年代に入ってから、地域ボスによる「環境浄化」の扇動は露わになってきており、それが市民らの差別・排他意識と結びついて日雇い労働者たちを排除・圧殺してきている。実際に八三年には野宿していた労働者が地域住民にバットで撲殺されているし、少年らによる暴行も数次にわたってひきおこされているのだ。また、大阪では野宿者への対応策として、残飯に毒物を混入することが見当されたりもしている。その中で、寄せ場の映画を撮っていた佐藤満夫が84年12月22日に、寄せ場の運動を全面的に担っていた山岡強一が86年1月13日に、権力に名指しされて虐殺されたのである。

 著者は随所に、75年6月25日、沖縄で焼身決起した寄せ場の闘士・船本洲治の文章を引用している。そして《船本は、下層労働者の死がどんなかたちであれ、政治的に合法化された殺され死であるといっているのである。(…)船本はその形によってはまだ救いようのある死もある、という段階をつくっている。それで、彼が死んだあとで知らずに済んだ襲撃死という事実が加算項目になったことについて、彼はどういう言葉を持つだろうかと考えてしまうのである。(…)船本の不在の十年を生かされ残った私らの荷重こそが明らかにされねばならないだろう》と記している。まさにそういうことだろうと思う。そしてその「不在の十年」をじっと考えてきたのが、ほかならぬ山岡強一であった。

 山岡はこの「事件」について、「高度成長経済下で経済侵略と下層社会の苦しみに無自覚で」あった民衆が、いまや自己保身的な気分を国家利害と一致させ「皇民化の道」を歩んでいる、ということを背景に、それがまさに社会防衛意識としての〈選別と分断〉の実体であり、少年たちが手にかけたのはまぎれもなく「自らの未来」であることを明らかにしている。少年たちは「自分の未来を撲殺して回った」のだ。なんという「代理戦争」だ!

 そこではもはや「市民社会」と「下層」を対立的に捉える図式は成立しないのではないか。市民社会と下層との隔たりは確かにある。しかしその距離は大きくなったのではなく、逆に縮まってきたことによって差別・排他のイデオロギーが増幅されてきたのである。だからぼくたちは、下層の視点をもち、価値を逆転させる地点にはじめて立つことができたのである。それが著者のいう「亡命の十五年間」におこってきたことである。

 ぼくらは、だから、佐藤満夫の死を、寄せ場で無言のうちに死んでいった、そのような者たちの中に正当に位置づけなければならない。それらの声をしかと聞くとき、おそらく野崎六助の先鋭な問題意識は大きな物理力となるであろうし、この本の第二章は死滅するに違いないのだ。

池内文平 インパクション41  86.5