昨年一一月、月に一度の映画を語る会で取り上げた作品の批評と、その年の「この一本」の特集による、『映画時代』という雑誌を発刊した。
その創刊号特集映画「ゆきゆきて、神軍」の監督原一男さんにこの雑誌を持参した時、他の作品の一時的な感想をまとめた部分を読み込む、原さんの姿が印象的であった。
 あらゆる雑誌や媒体で、映画について、これほど多くのことが語られてきた時代はないと思う。しかし、一部の仕事を除いて、ほとんどの映画批評が、現在の監督や映画そのものに何も影響も与えないものだとしたら。
 さて、野崎六助氏の映画批評『アクロス・ザ・ボーダーライン』は、氏の幅広いフィールドと豊かな映画体験を背景として、個別映画評にとどまらず、一人の人間が一本の映画を見て何を語るのか、語ることができるのか――という立場で書かれていたことに興味をひかれた。その意味で『ホワイト・ドッグ』や『グランド・ゼロ』などの作品を含めて語られる「略奪された映画のために アフタヌーンテイク」、ビデオ論でもある「(同)ミッドナイトテイク」、そして一九八二年以来、毎年のベストテンにおいて、日本映画の現状と重ねながら、一九八九年の項で、日本映画を「ただの外国映画のひとつ」として宣言するくだりなどが、とくに印象的であった。
 こうした氏の一貫した立場に対してわたしの読後の感想を言えば、映画は、映画と観客の存在で充分成立するものではあるが、一方で、映画とその創り手たちは、その観客の存在と優れた批評によって支えられ勇気づけられていくのではないか、ということである。もちろん、このように言えるのは、映画批評というものが成立するという前提の上に立てばだけれど。
 その意味で、今、批評は、観客のおもしろい、おもしろくないといった率直な感性に充分拮抗し、読み手と作家に返す力を持つことができるかどうかが問われている。
しかし、そのことへのひとつの試みとして、監督自身に映画評を書かせていこうとする(私は少なくともそう思っている)雑誌、新生『映画芸術』でさえ、評論家等によるベストテンという権威づけから解放されようとせず、いまだに大新聞の夕刊には匿名の映画評が掲載され続ける。今、底がぬけているのは日本映画だけでなく、映画批評そのものであるのかも知れない。
 私たちは、いつもおもしろい映画、面白い批評に出会いたいと思う。
 そして、映像作家かわなかのぶひろ氏の映画への言葉のように、プロというあいまいな外套を脱げば、映画(批評)はもっと自由になれるのだろうか。
 映画を語ろうとする方々の、この本への感想をぜひ聞きたいと思う。

小川孝雄 ほんコミュニケート 91.10


 『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』とは今年二月に公開されたばかりの、ニコラス・フンベルトとヴェルナー・ペンツェルという二人のスイス人監督による音楽映画の題名である。国境はもちろん、ファンク、ジャズ、エスニックといった音楽の境界をも易易と越えてゆくフレッド・フリスの行動を追った即興的映像に満ちた映画であったが、本書のタイトルからそのような身の軽さを予想していたら、見事に肩すかしをくわされた。
 著者がいう「アクロス・ザ・ボーダーライン」の「ボーダー」とは、何よりもまず「国境」である。例えばヴィム・ヴェンダースの映画『パリ、テキサス』。著者は、映画が示す「テキサス州のパリ」という地名に因んだこの題名を飽くまで、パリとテキサスに分割する。ドイツ人ヴェンダースが通いつめたシネマテークの存するヨーロッパのパリと、多くのアメリカン・ヒーローを映画の中で生み出しつづけてきたテキサスと。著者にとっては、ボーダーとは、この二大大陸間の間に横たわる深淵のことでなければならない。それが映画の冒頭において「故郷喪失者」の男がさすらい歩く「モニュメント・バレー」(著者はそう錯覚した)の荒涼たる風景から、著者が読み取ったことだ。だからそこではもう、サム・シェパードが書いた母親(妻)探しのドラマは「通俗家庭ドラマ」と指定ともあっさり斥けられてしまう。観念的にも地上にも、国境の上に宙吊りにされたヴェンダース。
 もうひとつ、裴昶浩(ベイチャンホ)監督の韓国映画『ディープ・ブルー・ナイト』。在米韓国人を描いていたこの映画もやはり冒頭、「荒野を引き裂くように走る一本のハイウェイ」を舞台に始まり、結末でふたたび、この「デス・ヴァレイ」に戻ってくる。永住権取得のために偽装結婚をした男が相手の同国人の女を殺すために。著者は書く。《ここはアメリカでも韓国でもない。ボーダーに宙吊りにされた死の谷》であり、《死に絶えたアメリカの夢の捨て場所。韓国映画が最も遠くにきた場所である》と。
 繰り返しになるが、本書の中では、ボーダーとは軽々と越えられるべき対象なのではない。曖昧で茫漠とした深い闇の世界なのである。「ボーダーレス」などといった今風の言葉は、こうした視点の前では吹き飛んでしまうだろう。
 このことは、本書中で一貫して、一種の通奏低音をなしている。在日朝鮮人少年と日本人少女の恋愛を甘やかに描いた小栗康平の『伽揶子のために』への批判は、いわれるように作者の「社会意識の欠落」にあるのではなく、日本と朝鮮半島の間の深淵を簡単に理解可能なものとして提示した「方法論」にこそ問題があるということに尽きるのだ。同じことはたやすく映画産業資本とそれが必要とするプログラムに編入されてしまう、在日朝鮮人監督・崔洋一らに向けられた視点においても言えるだろう。
 少数の観客を相手に厳しい条件の中で映画づくりを進めてきた「ピンク映画」への言及が目立つのも、韓国、中国、香港、トルコ、ブルガリア、オーストラリアといった映画後進国の映画に多くの紙数が費やされているのも、さらには山谷労働者の闘いを描いた、故佐藤満夫と山岡強一によるドキュメント『山谷(ヤマ)』に多大なページが割かれているのも、メジャーとマイナー、大国と小国、抑圧者と被抑圧者の間に厳然として存在するボーダーあってのことなのである。
 そして言うまでもなく「映画」そのものの立場。レンタル・ヴィデオの普及によって、「作品の自立的時間」が鑑賞者によってバラバラに解体されてしまう、ということへの危機感。これもまたボーダー上にいる者のもつ焦燥とはいえないだろうか。著者もいうように、映画批評という、映画と観客の間に立つその領域そのものが、いまや“痛み”と“自己憐憫”なくては成り立たなくなっているのだから。

七字英輔 図書新聞1991.7.6


 野崎六助のいいところは、思想が世に受け入れられないと岩に抱きついて憤死するような男だということだ。書くことに賭けている。十ページ読んだ者は彼を才気ある皮肉屋と思い、百ページ読んだ者はその闘志に感服するようにこの本は出来ている。全体は五百ページだ。
 十年間の映画評論集である。前史にさかのぼると一九七三年の冬、「後期やくざ映画と初期日活ロマンポルノの退行の結節点」で、日本映画は「暴力と階級対立にかんする表現欲求の本源的蓄積を使い果た」す。第三世界映画のエネルギーを輸入して売りに出しながら、内容すかすかになった日本映画は、旧日本軍隊の残虐行為とマンコの毛だけは国民にお見せしないという日帝文化の特殊な歪みの形態に刈り込まれたのが一九八三年だ、と結論する。
 うん、そうだ。前者は暴力映画の空転と赤狩りの果てに、後者は性表現の「後進性」の果ての毛狩りだ。後進性という語を野崎がカッコに入れているのは卓見だ。毛を出さないのは遅れているからではない。かくすべきものはかくしとおす天皇制国家の本性という指摘だ。ために、日本ポルノ映画はとほうもなく助平なものになった。
 国家権力の好色性は日本近代の一特質だと俺も思っている。高橋お伝の女陰を標本にしてとっておく明治国家の変態性からだろう。明治十二年、首切り浅右衛門による最後の斬首、司法解剖の最初のケースというどさくさのなかでだ。(法医学者清野謙次による『阿伝陰部考』というとんでもねえ本の復刻が昭和五十年、萩書房からあり)。
 日本映画瀕死の一九八三年から、さらに風化が進行する。レンタル・ビデオの普及だ。「映画はかつて、多情な女のように暗闇に大きく見を投げ出して誘惑するものだった」が、娼婦(オンナ)は借りられるものになった。早送りもストップも自在。かくして映画は自律的な構成から離れ、観客は作品との格闘を止める。場のない映画なんて、レンズは節穴、頭骸は暗箱。
 本のタイトルを一番よく示す文章は、本書中一番短い文章「一九八九年度ベスト&ワーストテン」に出てくる。「わたしに関しては、日本映画もただの外国映画だから、垣根を取り払うことにする」。
 野崎六助は毎日のように映画と、その背景の帝国主義的日常の分泌物につきあった。そしていわく。どこかよその国の映画。彼は小説や映画につきあって一章を書きおえる毎に、暗いいい顔になる。

平岡正明 ミュージックマガジン1991.7