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 「わしは頑張りたいと思います。もっとナンヤラになるしか道はないと信じます。わしはもう後戻りはできんのです」
 日置高志は、いった。
 すると拍手に入り混じって、近くから、馬鹿たれが何をいっとるんだ、という罵声が聞こえる。拍手とか励ましの声らしいものは次第に遠のき、ほんとうに近くの耳元で、このまだらが何を戯言をほざいとるんだ、という声がする。

 「まだらボンチがまた悪い夢を見てくさる」
 カウンセラーの栗島が、いや栗島じゃなくて、栗島に似ていると思えた女の患者が、心配そうに覗きこんでいる。またカウンセラーごっこをしたいと誘っているのだろうか。いつでも遊んだるで、と愛想のよい顔をしたいのだが、おれの全身は何かおかしな具合にこわばっている。大阪弁の極道者が憐れみと嘲りの半々になった表情で、こちらを見ているのがわかる。他にもいくつか、よく見知ったいつも見慣れた顔が、こちらを取り巻いている。おれはこいつらに向かっても、決意表明をしなければならないようだ。どうしておれが天馬団に入団するにいたったか、おれの個人史を語りつつ、みんなに表明しなければならないのだ。
 ……待てよ、こいつらの顔は違っている。こんなやつらではなかった。もっとべつの……。顔が薄れて見えなくなった。あとは声が。声が。声、が。遠巻きにしてさざ波のさえずりのように、低いけれど途切れることなく、ひたひたと絶え間なくすきまなく、言葉・音・音響となってかれを取り囲んで、退路を断ってくる。目をふさがれ、耳をふさいでも、その音からは逃れられない。どこまでもどこまでも。

 「あんたは虚構と狂気をとりちがえているような気がするな。うん、どうもおかしい。無神経な言い方を許してくれよ。あんたは狂気を安全弁に使ってるみたいだな。少しわかりかけてきたぞ。患者たちで芝居をしたとき、そのときの芝居のフィクションはもう一つの安全弁として無意識にはたらいたんじゃないかな。つまり、いわばもう一人の真の自己というものを防衛するためにだな。ほんとうは真の自己を見つけだして追いつめてやるのが、わしらの求める芝居なんだが。追いつめてどうなるかは、わからん。そこで立ち往生しているのがわしらの現状だと認めたうえで、なおかついいたいのはだな、やはりあんたは狂気を鎧のようにまとおうと選んだ、ということだ。それではあかんと非難できるような偉そうな権利はこちらにはないよ。わしらの状態が壊滅に近いから、この際だからさ、いわしてもらうまでだ。ふつうならここまで考えもせんし、言いもせんけど、そうだな。――あんたは虚構によりかかっとるよ」
 「わしがキチガイいうフィクションに隠れてる、いうんか……」
 日置高志は、いわれたことが不本意で反論を試みたが、すぐに言葉がつづかなくなった。
 相手は清次郎だったか、熊沢だったか、露人だったか。あるいは、この三人がこもごもに、同じ意味にせりあがってくる、かれへの批判を口にしていたのか。
 つまりは、かれは狂気をフィクションと混同していると指摘されたのだ。それは、かれの貼りついて離れないペルソナなのだと、暗い秘密を暴かれたようなものだった。もっとも仮面という明瞭な自己意識があったのかなかったのか、かれには把握することもできない。狂気は虚構だと、そういうわけなのだろうか。あまりといえばあまりの攻撃だったが、かれには狂人という自覚がおよそ薄かったので、たいして気にとめることもなかった。ニセ患者呼ばわりされても、今さら何の痛手でもなかった。
 「わしはニセキチガイか……」
 「それは重要な問題提起だよ。わしらは芝居で何をやったんだ。虚構は現実状況に少しでもくいこんだのか。芝居のなかで投げられた火炎瓶はフィクションのうちに回収されてしまったから、だとしたら、わしらは虚構のなかで、現実には闘わないで済ますことのアリバイを完済したのではないか。……だとしたら、わしらのするべきことは、もうたった一つしか残っていないはずだ。芝居の外に出て行くことだよ。あのオペラのフィナーレのとき、テントをはぐって外は戦場だと叫んだのはだれだったんだ。けれども芝居が終わってみると、元どおりの白々しい日常の時間がわしらの足もとに死にかけたニシキヘビのようにだらしなくとぐろを巻いていて、あれは戦争ではなかった、<戦争の芝居>にすぎなかったんだよ、さあ、同志、酒を酌み交わそうと誘っているんだ。くそったれがーっ。いったいどうしてそんなまやかしが通用するんだ。すでに戦場の光景を見てしまったわしらは、硝煙の臭いを嗅いでしまったわしらは、今こそ、己れらのケツっぺたにへばりついているうじうじと真綿のような怠惰をぶちきって、退路をとことん断ち切って、ほんとうに<芝居の外>へと出て行くべきときなのだ」
 いつしか対手は、特有の性急な話しぶりは、鬼首に変わっていた。
 おれはどうして狂ったのか。だが順序立てて考えることなどできない。ずっと出来ないままで来た。
 鬼首の声がつづける。
 「伴内よ。ニセの狂人なんてどこにもいない。ニセの人間がいるだけだ」
 こいつはとてつもなく暴力的なゼノンなのだ、かれは想った。<飛び・飛ばぬ矢>なんてこいつには我慢できない。そんな面倒な矢は、片端から引っつかんでへし折ってしまうのがこの男だ。
 「あんたは行ってしまったから、もう戻れないといってるだけやないか」
 すると鬼首は、恐ろしげな顔を崩してニヤッと笑った。子供のような眼に優しさが浮かぶのを、かれは初めて、そしてそれが最後だったが、見た。
 「おれにはわからんけどなぁ。そういうことかもしれん」
 日置高志が決意表明したその夜、かれは初めて二人きりで鬼首と言葉をかわした。劇団のメンバーがどれだけこの男を支柱にしていたかが、話してみてよくわかった。そして支柱は抜けて、大きな穴を残しているのみだった。この夜を境に、鬼首三郎は、みなの前から消えた。ぷつんと消息を絶った。
 芝居を究極に否定することがこいつらの命題だったとすれば、見事に鬼首はテーゼを担ったということではないか。末路がいかに悲惨だったとしても――やつはもう芝居を捨て去ったのだから――それを引き受けていくほかないのだ。それ以外はまやかしだ。全共闘が好んで使った自己否定の精神は、まだまだそこらに石ころみたいに転がっているから。てめえの立脚点を力をこめて引っくりかえそうとする者がいて不思議はない。ニセ役者になるのはかんたんなことだ。
 やつが今後どこで野たれ死にしようと、それはやつの栄光なのだ。やつが自分で提起したらしい爆弾闘争をほんとうに実行するのかどうかは、またべつの問題だ。

 「おまえはほんまもんのキーサンじゃ。ごちゃごちゃ寝言いうとらんと、さっさと起きて、散歩でも行ってこい」
 耳元で怒鳴り声がした。
 鬼首の、ニセの人間がいるだけだという言葉も、テープに流れるように反響してくる。
 声が声が声が。
 遠くで、近くで鳴る。耐えられない。耐えられない、と思った。
 どうしておれは、藤堂院長とカウンセラーの中山とが院長室でかわした会話を知っているのか。院長はかれのことを学生運動崩れだと思っていたらしいが、中山はそれを訂正した。
 ここは誠心会病院ではない。わかっている。それとも……。おれの状態がもっともっと悪くなっているのだろうか。

 身体の芯が削られ、消耗させられるような会議は予想をこえて長引き、冬をむかえ、さらに年を越してしまった。天馬団を継続するかどうかの会議。広いだけですきまの多い稽古場の寒さがことのほかこたえたのは、話合いの中味に左右されている。京都の冬の辛さが身にしみているかれに、東京の冬がきつく感じられるわけはない。心の寒々しさが肉体から熱量も奪っていくのだ。秋口に稽古場にやってきた日置高志は、無為のまま、そこで年を越すことになった。一九七五年、昭和の五十年が暮れて、一九七六年が来た。
 それが話合いと呼べるとしてだが、結論の出ない宙ぶらりんの会合は、永遠につづくと感じさせるほど長く長く引き伸ばされた。どのていど進展があり、次回に光明がともるかという見通しなどない。ただ次に集まらなければもう集まる機会はめぐってこないだろうという怖れに引きずられて、だれもが参加しているようだった。日置高志にとっては、信じられない見聞だった。あれほど人を畏怖させる舞台を形づくり生き死にを共にして当然のはずの芝居部隊が、互いのコミュニケーションすら言葉をもって取りえなくなっているさまを目の当りにしたのだから。かれらのあいだをつなぐ――そういってよければ、再度つなぐ――ために、言葉がこれほどまでに無力であるとすれば、新参のかれごときに、いったいどんな強力な言葉があったというのか。
 寝につくと、まるで集会の沈黙の反動でもあるかのように、だれかれのしゃべり声が渦を巻いて迫ってくる。あの声、この声。すべてがかれを取り囲んで詰問してくるのだった。夢のなかの舞台すらが変質してしまっていた。眠りながら、日置高志は、鬼首が劇中で唄ったテロリストの唄を、声を張りあげて追いかけた。
  累々たる屍人の群れ
  魂 凍る 冬の冥府に
  燃える人形 見たか。
  焼け落ちる塔の下で
  幻の戦士たちが甦る
  炎の舞踏会を見たか。
 唄はしかし、どういう理由からか、一行目より先に進まなかった。累々たる屍人の群れ、が終わると、次の歌詞もまた、暗鬱に、累々たる屍人の群れ、がつづいた。そのうち耳ざわりな罵声が驚くほど近くで響いてくるので、かれは唄いやめねばならなかった。
 うるせえぞ、まだら! 
 いつも、そこで。

 日常に稽古場に居住することは、一人のときも何人かいっしょの日もあったが、俗世間と切り離されている点では、誠心会病院にいたときと大して違いのない暮らしだった。異なっているところは、院長もカウンセラーもおらず、日々のタイム・テーブルを自分で決め、食事も自前で用意しなければならないことだけだった。飯は一日一回でも不足はなく、食べる行為によって現実につなぎとめられることもあった。
 芝居か闘争かを突きつけた鬼首はいなくなった。あの男の提起はもちろんそれほど単純に帰せるものではなかったけれど、本人が不在になった以上、単純化をこうむらずにはいかなかった。他の主要なメンバーもいく人か、脱落していったが、理由も一様ではなく、もはや鋭く追求される道も喪われていた。
 芝居をやりつづける根拠を己れのなかに見つけるすべを喪ったという共通項はあった。脱落した者がどんな道を選ぶかは問われなかったし、またおよそありえないことだとしても、鬼首の政治行動に同調していったのかどうかも詮索されなかった。劇団から去ってすぐに鬼首はアパートを引き払って何処かに移り、その先を知る者、知らされた者はだれもいない。
 かといって、残った者が断固として芝居をやりつづける根拠を持っているわけでは全くなかった。それなら事態はかんたんだったろうが、かえって、あやふやなままに結論を出しかねている者のみが残されていた、というのが真実だ。あとに残っている者ほど厳しく問われる成り行きだったが、問うほどのエネルギーが決定的に欠けていたのだ。
 こんなことはいつかも経験したことがあった。初めての経験ではないという不吉な発見がゆっくりと降りてくる。互いを結び合わせていたはずの言葉が無力なばかりか、今までは看過できていた差異をことさら拡大する方向に暴走していく。かつての絆の強さは、それが完璧なものだと信じられた度合いだけ、逆に、完璧を追認するほどの激しさで否定の方向に引かれてくるのだ。人間の関係は錯誤にはじまり、短いあいだの同調のときを持って、また錯誤の方に投げかえされて終わることになる。 ――かれにはごく親しい知識だった。
 集団の強さも、つまりは、錯誤の、無様な集合体なのだ。だんだんとわかってきたことはある。だれもが主人だという集団なんかは存在しない。中枢的人物と従属的メンバーとの区別は絶対にまたぎ越せない。清次郎が自分はマージナルだといった意味がようやく理解できた。この集団の一時期が終焉したのなら、自分はあとからついていくメンバー以上の者にはなれない。鬼首という支柱が喪くなっても、中心になる露人とそれを補佐する熊沢が健在であるかぎり、少しばかり変質しても、天馬団は継続していけるだろう。素朴に考えればそれだけのことにすぎないが、了解できるまでかれにはずいぶん時間が必要だった。
 メンバーが少なくなるほど一人ひとりの決意が試金石になってこざるを得ない。己れの強さに賭けて組織集団を維持しようとすればするほど他人の弱さを許容するゆとりを喪う。芝居に賭ける根拠が問われるとき、答えを言葉によって用意できない者を放置することは許されなくなる。居残った者はいずれにせよ、己れの根拠を語るべく迫られたし、それがあまりにあやふやな論理しか備えていなければ、みなによって検証されねばならなかった。そして憂鬱なことに、その対象になる者は少なくなかった。あまりに皮相にしか自らの根拠を開示できない者へと徹底した批判が集中されていく。その者のあいまいさを看過すれば、集団の原則もまたあいまいなままに流れていくしかないからだ。
 何回も、だれか一人がつるし上げを食らう場面が、何回も、回っていった。批判の台に立たされた者はたいてい言葉を喪って答えられず、答えられないことによっていっそう苛烈な批判を呼び起こす。これも――。これもどこかで<見た>光景だった。冬の寒さ。そこは山岳ベースでこそなかったけれど、骨までしみる寒さに近い感覚に、いつも囲まれていた。これは総括なのだ。あの、総括なのだ。批判は相手を殺すことだ……。
 答えられない者は遅れているので、引き上げてやらねばならないのだ。
 批判にさらされた者が、言葉によるリンチからそのまま肉体のリンチにまで移行することはなかった。なんども日置高志は、言葉の糾弾が相手を切り刻み、血をしぶかせるのを、幻影のように見つめていた。そこが稽古場で、だれもがべつに帰る場所を持っているのでなかったら、どうなっていただろう。そこが追いつめられた山岳ベースだったとしたら、言葉は容易に暴力の爆発となって、弱い環に襲いかかったにちがいない……。自分が批判にさらされないためには批判に参加することだ。その理由によって、批判の声が不自然に増大するのだと、かれは知っていた。
 日置高志は、気づいてみると、ふたたび見物人の位置にいた。会合ではほとんど黙していた。かれが批判から免れていたのは、病院からやってきたという特殊な事情によるかもしれない。だが、いつ批判の波がこちらに向かってくるかわからない不安から自由にはなれなかった。おれはどうして芝居をやるのか、是非とも表現しなければならない枯渇を胸に空洞のように抱いているのか。それをみなの前でよどみなく説明できるほど口が達者だという自信はない。
 それに責められれば自制がきかなくなる。
 おれの矛盾を暴きたてたいなら簡単だ。おれはいつも逃げてきた。どっちつかずのゼノン。灰色の答えが許されないときはいつも遁走した。この稽古場に逃げ場所がないのは明らかだった。おれを責めるな。おれを……。恐怖が、無数の刃物となって、肌を粟立たせる。

 「こいつ震えてるぞ。寒いのか」
 「ほっとけ。胸のなかがまだらの穴だらけですーすーと風通しがよすぎるんだろ」
 「こいつが横におるだけで、人生が暗くなってくるぜ。どうにかして欲しいな」
 日置高志は、身体の震えをとめて、まわりのやつらをにらみつける。
 おまえら、ほっとけ。おれがここにいるのは、ここにいる理由があるからだけだ。それ以上に与えるものなんてないぞ。おまえらなどにわかってたまるか。

 おれがここにいるのは、ここにいる理由があるからだけのことや。
 というと、行方未知は、憎悪と軽蔑のほかは何も浮かんでいない絶望的な表情で、かれを一瞥して、かれへの告発をくりかえした。最悪の、いや、最悪よりももっと上のランクがあるとすれば、最悪の上段をいく一瞥を向けて、そしてくりかえした。おまえは行くべきところへ行って、リンチで殺されたほうがいい人間だと。

 日置高志が稽古場に来てから八ヶ月が過ぎようとしたころ、ようやく天馬団の次回公演の方針が決定された。 このかん生きた日にちの数だけかれは解体を体験した、といっていい。もはや現実の解体が起ころうと、心は鈍重に動かなかったかもしれない。
 かれがどうしてこの不毛で長い時期を通過できたのか、確実な理由は何ひとつ考えられない。結果からみれば無事にとどまることができた。それだけだ。心を硬く閉ざして、ただ生き延びただけだ。逃げもせず――逃げるところなどなかった。狂いもせず――狂うという意味は不明だった。稽古場そのものを病院とみなしても何ら不都合はなかったのだから……。