梁石日『死は炎のごとく』――凝視される悲劇
I
純然たるフィクションとして書かれた作品でありながらもそれが、フィクションとノンフィクションのはざまについて鋭い、そして根源的な問いかけをつきつける例は、数少ないにしても存在する。本年度(二OO一年)の初頭に刊行された梁石日の『死は炎のごとく』は、なかでもその痛烈な例示である。念のために断っておくが、『死は炎のごとく』は一人の在日朝鮮人テロリストの短い燃焼を描いたフィクション、それもエンターテインメント系から発信された作品である。にもかかわらずこの作品が、先に述べた問いかけを抜き身の刃のようにつきつけてやまないのは、これが「文世光事件」に材をとっているという素朴な理由による。
事件について、朴慶植の『解放後在日朝鮮人運動史』は年表の部分で、「一九七四年八・一五在日韓国人文世光の大統領狙撃事件」と短くふれるにとどめている。しかし年表のつづく行には次の記述がある。
《朝総連中央、「朴正熙八・一五狙撃事件」と関連づけ、共和国と総連に罪をきせようとする朴正熙一味の謀略策動を糾弾する声明発表》
戦後というクロニクルのほぼ半ばに置かれた文世光事件の約二週間後に、日本の首都中枢において東アジア反日武装戦線"狼"を名乗るグループが三菱重工本社ビルを爆破し、多くの死傷者を出した。あとになって逮捕された彼らの自供によって判明するとだが、彼らは文世光事件の一日前、天皇お召し列車を鉄橋ごと爆破するという「虹作戦」の実行一歩手前までいっていた。参考のために彼らの言葉を引用してみる。
《くやしいことであるが、この計画は九分通り準備されていながら、爆弾設置という詰めの段階で中止せざるを得ず、虹作戦は未完に終わった。(中略)天皇ヒロヒトの死刑をしそこなった翌日、八月十五日の朝鮮解放記念日(日本では敗戦記念日)に、在日朝鮮人文世光義士が韓国で決起するという衝撃的なニュースに接し、私たちは自らの無力感を増大させました。骨のズイまでトコトン帝国主義本国人である私たちは何をやってもドジを踏みつづけるのか? 片方がドジッて挫折している時、片方は単身決起を貫徹する。この対照は、ドジッた奴には耐え難い無力感を与えるものです》(『反日革命宣言』鹿砦社)
とはいえ事柄をまずテロリズムというキーワードで解きほぐしていくのは軽率にすぎるだろう。また文世光を「義士」と呼ぶ、パセティックな文書も、ここでは当時をよく呼び起こすための資料とみなすにとどめておくほうがいい。事件に客観的考察をくだしていくには、もう少しひろびろとした視角が必要だ。
現代史のなかには「真相は薮の中」といった事件は数多く散乱している。しかし薮の中をつつくことすら許されない事件となると、これは限られてくる。「許されない」とは幅広い、暖昧な意味合いである。一般的には、事件についてのデータを取得できないケースと理解できる。その内実は、データがすでに存在しないとか、データに近づく者に安全が保証されないとかいうものである。文世光事件はそうした困難な事象のなかでも、とりわけ厳重に封印されてきたケースだといえるだろう。
起こった外面的な事実は明らかである。――一人の在日朝鮮人青年がソウルに渡って、日本の官憲が採用している正式拳銃によって大統領朴を狙撃し、狙った朴には一発も当たらず、大統領夫人を射殺するという結果に終わった。しかしその背景はまったく明らかではない。先の引用にあるように、犯人の背後関係に関する情報はさまざまに飛びかった。それらの真偽を判断するだけの材料がないのである。またこの種の事件には必ず付随してくることだが、大統領夫人に命中した弾丸が文世光の銃によるものではないという説も囁かれる。狙撃事件の犯人は、四カ月後に死刑が確定し、その三日後に処刑された。
つまり文世光事件とは、それを題材にして作品を書くこと自体が事件とみなされるような類のない事例なのだ。事件から四半世紀が経過したのでより客観化が可能になったというわけではない。記憶が風化することによって、事件そのものも、事件を覆っていたどす黒いヴェールも遠く色褪せてしまっただけだ。あるいはこう言い換えてもいい。作者は想像力を駆使したフィクションとしてだから事件を書くことができたのであり、仮に、綿密膨大で決死の取材をつみかさねて事件をノンフィクションとして書こうとした者がいたとしても、その試みは途上で物理的に不可能になったことだろう。
さてどんな事件であるにしろ、歴史のなかで単独に突発的に起こることはない。文世光事件に最も直接的な関連を考えられるのは、前年にあった金大中控致事件である。この事件と関連させることによって、文世光による大統領狙撃事件の本質はいくらか一般的な理解に近づくだろう。周知のように、当時朴の強力な政敵であった金大中は東京のホテルで拉致され、ひそかに韓国に送られたが、その中途でか到達地点においてか、密殺されようとした。アメリカの介入によって生命は救われたが、政治的生命は確実に、 数年のあいだは、刈り取られてしまった。今では、直接に拉致に関わったKCIA(当時)の存在にしても、逃走ルートの確保に一役かった(らしい)日本の暴力団のことも、事件の概要はおおまか明らかにされている。つまり文世光事件がヴェールに包まれているのとは逆に、金大中事件にはほとんど謎は残っていない。金大中自身も、その長い政治的キャリアの後期になってついに民主的選挙によって大統領職につくという念願を果たした。
とはいえ、二つの事件の関連を探るだけではまだ不充分だ。冷戦体制の奇妙な前線をつくった日韓の戦後について基本的な知識が欠けていては、決して文世光事件は理解できないだろう。冷戦は過去のものになってしまったが、その清算されない残滓はいくらでもこの日本社会に転がっている。朝鮮半島の分断国家と旧植民地宗主国日本と日本に定住する在日朝鮮人が形作るトライアングルは、いまだに不可解な停滞状況を呈している。在日朝鮮人という存在にはいわゆる少数民族問題に共通する事項が少ない上に、日本社会もまた多民族構成国家というありようの合意が育ちにくい不寛容な社会でありつづけている。韓国社会のみをみるなら、アメリカに見放された朴が悪あがきしてその後数年も権力にしがみついたにせよ、また彼のあとを纂奪した朴と同タイプの軍人たちの政権がさらに十年近くつづいたにせよ、かつては悲願であった民主化が現実のものになっていることは否定できない。そしてまた分断国家をめぐるパワーゲームがいまだに錯綜しているにせよ、南北統一は「近づき」つつあると認められるだろう。
しかしそのなかにあって在日の置かれた状況は何らかの前進をみせているのか。
唐突な転調を許していただきたいのだが、他ならぬこの点こそが、『死は炎のごとく』が書かれた第一のモチーフだったと思える。梁石日は、現実の事件に材を求めながら、それに解釈を与えるのではなく、事件を描くことによって在日の現在に何かを訴えようとしたのである。
2
人はしばしばフィクションを事実と誤認する。いっそういえば、事件の絵解きを小説に要求するといった初歩的な誤読ですらそれと意識せずに積極的にやってのける。ここまでのわたしの論述は、そうした誤読を助長するようにも、『死は炎のごとく』を現実の事件と結びつける方向に傾きすぎたかもしれない。ここではっきりさせておきたいのだが、それでは作者のモチーフを曲解する結果になる。 作品そのものに簡単な注意を向けてみたい。
当然ながら、現実の文世光と作中の宗義哲は一致しない。作者は、現実の事件の「栄光」を作品に密通させるような不見識を試みているわけではない。作中の宗義哲を支援し、またコントロールする複数の、そして利害をともにしない集団にしても、現実との相関を暗示することを作者は慎重に避けている。
シーンを例にとろう。朴暗殺に失敗した宗義哲は四人のSPによって現場で射殺される。
《壮絶な最後だった。朴正照大統領暗殺は失敗に終わったが、これほど果敢でおそるべき執念を燃やして自らの命を賭した人間を見たのははじめてだった。池順玉は激しく胸をゆさぶられ、しばし茫然とした。宗義哲が何のために死を賭してまで闘ったのか、その答えは必要なかった。宗義哲にとってすべての答えは無意味だったのだ》
そっけないほどの数行である。「無意味だった」という断定は、いったい誰の内面なのか。これが宗義哲自身の意識だとしたら、構文は不自然だ。引用部全体を協力者の池順玉の主観と読むことが無難な選択なのだが、すると「宗義哲にとってすべての答えは無意味だった」という観察まで彼女がくだす結果になるから、さらに不自然なのだ。つづく末尾の二頁で、池順玉は「何者かに」狙撃されて死ぬ。日本人の協力者二人も「何者かに」殺害される。二人の殺害に、作者はたった二行しか充てていない。また時刻の指定も《その日の午前二時頃》とあって、これだと当の事件より早く日本人二人に刺客がさしむけられたことになる。
細かい点にこだわるのは、引用部分に明瞭なように、作者が、無造作なほどに視点の超越性を物語にたいしてふるっていることに注意を向けたいからである。もちろん「宗義哲にとってすべての答えは無意味だったのだ」と言っているのは作者なのだ。一般の小説作法では避けることだが、『死は炎のごとく』における作者は、どの人物にたいしてもこうした超越性を振る舞っている。 このような乱暴さに比べるのなら、人物が次つぎと謎の 「何者かに」殲滅されてその謎のいっさいが解かれないままに終わるという、一般の謀略小説ではルールに反する処理も、それほど気にならない。
むしろそれ故、宗義哲は史実の世界に迷いこんできた一人の在日青年の典型のように印象させられる。彼の行動は事実をなぞったものだが、さまざまな道具立てに正確な帰属性は必要ない。時代背景はあっても、それは時代そのものを呈示するためのものではない。宗義哲の頼みで交番から短銃を盗んでくる「アジア民族解放戦線」の二人(最後の二行で作者にあっさりとその存在を消される)に、その組織名から錯覚されるようなモデルはいないし、現実に似たような人物がいたかどうかも定かではない。彼らは偽物くさい人物だし、物語に、その役割以外に積極的に貢献しているわけではない。おおむね宗義哲を除く人物は役割としてのみ使い回されていくのだが、この日本人過激派の扱いは極端なまでに便利屋である。
こうして首尾一貫して宗義哲とだけ寄り添う作者の視点に導かれて、読者は、在日の置かれた困難な状況はこの数十年変わっていないという痛切な認識にたどりつくはずだ。一九七四年のテロリストの情念として作者が活写したものは、現代の在日青年の胸に巣くう空虚と激情とに置き換えて読むことができる。いや、梁石日はむしろ積極的に、暴力的なばかりのナイーヴさをもって、現代の在日青年に語りかけているのだ。だとすれば作者が無頓着なまでに振る舞う主人公への超越性(一般の小説作法では傷にな
る)とは、主人公を「現代の在日青年」に重ね合わせて造型していることからくる必然の結果なのだろう。
『死は炎のごとく』は現実の事件から題材をとりながらも、その事件を解釈することから頑なに距離を保とうとしている。常識に照らせばそれは奇妙な姿勢であるが、その常識とは日本人の尺度にすぎない。解釈は「無意味」なのであり、それは作者が特別の注意をもって注釈したように、宗義哲の闘いが無意味であったのと同じく無意味なの
である。
彼が選んだ答えはテロリズムだったが、一九七四年の夏に彼が立たされた岐路は、二十数年後の在日青年の胸に同じ苦さでひらけている。それを作者は訴えたかった。
3
『死は炎のごとく』は梁石日の作品のなかでも悲劇性に比重の濃いものだ。もっとも在日朝鮮人が悲劇的な民族であることを彼は主張してきたのではない。悲劇を凝視する眼の複眼性は彼の文学に特有の視座でありつづけてきた。 複眼とは自身の置かれた窮状を諧謔をもって見るもう一人の自分の視点だ。己れを凝視することの不毛さや耐えがたさが、一転してユーモアに変わる瞬間を、読者はなんども梁石日の小説に見つけているはずだ。こうしたパラドックスは日本人文学には本質的にないものだが、かといって、 それが在日朝鮮人文学の主流を占めてきたとする規定も正しくない。乾いた絶望から発散してくるユーモアは、金石範の私小説仕様の短編、金時鐘の詩、鄭承博(故人)の小説などと共に、梁石日の作品に見つけることのできる、むしろ少数派の傾向かもしれない。『死は炎のごとく』に、いつもの梁石日の磊落な自己凝視がみられないとすれば、それはとりもなおさず、彼が訴えたかった問題の真摯さから発するのである。
國文學2001.11