植民地学徒兵

 姜徳相(カンドクサン)の『朝鮮人学徒出陣 もう一つのわだつみのこえ』(岩波書店)は、長く放置されてきた歴史の未決事項に初めて光を当てた貴重な労作である。戦争下の皇民化政策によって動員された「朝鮮人学徒兵」のことは少しばかり知られていたとはいえ、その全体像が明らかにされるには本書を待たねばならなかった。一九四三年後半から翌年の初頭にかけて、植民地学生の「徴用」が強行された。けれどもそれは自発的「志願」という美名で「正史」に語られている。その隠された真実を掘り起こすことが何故に困難だったかも含めて、本書は長々しく封印されてきた課題に答えた。
 とはいえ本書の目的は<大東亜戦争>が植民地朝鮮人に残した禍根のグローバルな検討にあるのではない。軍属・志願兵・労働徴用者、あるいは「慰安婦」などの歴史については、また別の書物に譲らねばならない。
 ここで採られるのは、虫眼鏡を這わせるような方法だ。植民地社会のエリートであった学徒が「志願兵」たることを強いられる数ヶ月の過程が綿密にたどられる。そこに凝縮された植民地支配の負性が、現代史の清算しえない項目なのだ。著者の立場は、同胞の朝鮮人にたいしてより過酷であるように読める。それだけ却って、<自由主義史観>とかの厚化粧で武装していない日本人にとっては、苦い問いかけを突きつけてくる。当時のマスコミによる煽動の凄まじさ、親日知識人の跳梁などを、ほとんど日めくりのように再現していく記述には圧倒されるものがある。<大東亜共栄圏>の一角を襲った狂熱は、たしかにわれわれが戦争について都合の悪いことはすべて忘却に流してしまった汚点のありかを思い出させる。それを顧みて学ぶ機会はあったけれど、忌避してしまったのだ。
 くりかえすが、本書は歴史研究として初歩的な文献では決してない。樋口雄一『皇軍兵士にされた朝鮮人』、林えいだい『忘れられた朝鮮人皇軍兵士』、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』などによって、周辺を学んでいなければ、著者のモチーフを「学徒兵の苦悩」ばかり特権化している、というふうに誤読するおそれもある。
 歴史をねじ曲げることは許されない、などと正視(正史)に耐えないねじ曲がった顔つきを晒すことが流行している。そんな風潮に重たい一石を投じる歴史ドキュメントである。

週刊金曜日1997.5.23