ドライヴィング・ヤンソギル・ワールド 本書『タクシードライバー ほろにが日記』は、一九九三年三月、書肆ルネッサンスから発刊(発売 三五館)された。著者の実体験をもとにしたドキュメントとしては『タクシードライバー日誌』『ドライバー・最後の叛逆』につづく三冊目となる。一点目がストレートな体験記、二点目が交通ポリスとの対決姿勢を鮮明にした「実用本」という側面が強いのに比較して、本書はタクシー業界の現況を取材したルポ風のものを含んでいる点が貴重だといえるだろう。梁石日はいくつかのテレビ番組でレポーターをやっているが、取材記録を文章にしているのは本書のみである。
こうした著書歴にも明らかなように、元タクシードライバー作家というイメージはかなり長く梁石日を規定していたのかもしれない。『狂躁曲』(あとに『タクシー狂躁曲』と改題)に収められる連作の一つが『文芸展望』二二号に発表されたのが一九七七年、その続編が『同時代批評』二号に発表されたのが一九八〇年だった。同年に詩集『夢魔の彼方へ』が刊行されている。これらの詩の大部分は著者の十代後半から二十代前半に書かれたもので、詩集のまとまった時点とは二十年の歳月を経ている。そして『狂躁曲』が一冊となって発刊されるのが翌年のことだ。
わたしが梁さんと初めて会ったのは、それより少しあとのことだったと思う。申しわけないことに、『狂躁曲』を読む前のことだったか読んだ後だったか、よく覚えていない。雑誌の集まりの流れで、場所は西新宿の墓地の裏のつれこみ旅館の横を入ったところの、板張りの床がギシギシと鳴る古びた二階の飲み屋だった。他のことは遠く遠景に薄れてしまっているけれど、今でも鮮やかに焼きついているのは、梁さんがたくまざるサービス精神をもって語ってくれた「アパッチ族」の体験談である。これは、いうまでもなく、のちに『夜を賭けて』で全面展開されることになる「一大冒険譚」の核心なのだった。だいたい酒が入ったときの梁さんの話は文句なしに面白いが(酒の入らないときの梁さんのとくにシリアスなテーマの話が必ずしも面白くないというつもりはないのだが)、このときの印象は、「最初の衝撃」にふさわしくその語り口の一動作一動作が格別の残像として残っている。まるで幻想の激しさがポツリと取り残されたように、あの夜の残像は今も鮮やかであり、『夜を賭けて』を読み返すたびにその頁の紙背から立ちのぼってくるのだ。もっともわたしは不遜にも、その話を半ば架空のものみたいに楽しんでしまったようだった。語り手のサービス精神を取り違えたというか、それが体験談とは結び付かないままに聞いていたのだ。というのも、大阪兵器工場跡の鉄スクラップをめぐる在日朝鮮人と日本官憲との攻防の話は知っていたが、その時期を敗戦後から朝鮮戦争勃発までのあいだというふうにズレて思い違えていたからだ。たんにこちらの高慢な誤認によって、その話の面白さの蔭に隠れた「痛切な想い」を受け止めることができなかったのだ。痛切な想い、などと愚劣なクッションの置き方だが、とりあえずは、それだけの距離があると認めるところから始めるしかないだろう。距離とはもちろん日本人と在日朝鮮人との埋められない断層ののことである。とにかく、そのときはズレを意識できないまま語りの面白さだけをわたしは受け取るにとどまっていた。
やはり当初は、詩人でもある元タクシー運転手作家というようなイメージを前提して見ていたのかもしれない。詩人を投げ捨てた梁石日の「歌のわかれ」の体験の苛烈さは、おいおい知らされていくことになる。
十数年前の私的なメモリアルを勝手に引き出してきたのも理由がある。あの時点に溯ってみるならば、いや、そこから数年を経てさえも、今日の梁石日があることを充分に予測できたわけではなかった。そういう回顧には、どちらかといえば感傷ばかりが増大してしまう。個人的な事柄はべつにしても、何という激動の社会状況をわたしたちは生き延びてきたのかと、そんな感慨を自分に許してしまいたくなるのだ。変わらずに生き延びたわけではない。たしかに個体としてみるなら、誰もが変わったのだ。梁石日にしても然り、である。ポジティヴな意味で変わったということだ。単純にいえば、ビッグになったのだ。当然そうなるべくしてなったのだ。それが現象的な側面にすぎないにしても、そのことは確認しておくほうがいい。現在、梁石日を元タクシー運転手の変型労働者文学の書き手などという限定的に位置づけて済ませるような不見識の評論家はいないだろう。
そうした今日の姿をきっぱりと予見できたわけではない。それでも、現在かれが受けている賞賛や期待は、当然の結果なのだと思う。多少とも見当外れの賛歌も目立ったりしているけれど、それらも含みこんだうえで梁石日ワールドはその内実にふさわしい評価を受けているのだ。だがそれも、ここ数年のことにすぎない。あえていえば、その評価が遅きに失したことについて、わたしは憤慨に近い感情を持ってきた。『夜を賭けて』が直木賞候補になったことが、日本文学にとっての事件だったとするなら、そういう情勢論を認めてもいい。むしろ『夜を賭けて』にとってではなく、瀕死の日本文学にとって起死回生の事件として望まれたわけだが、そうした倒立した認定であっても、客観的に否定はしない。それは梁石日の現在にふさわしい一つのコンセンサスといえるようだ。だから、ニューカマーの梁石日ファンにたいしても寛容に接したいとは思っている。『族譜の果て』(八九年の作品だ)のときに、また、『断層海流』(九三年の作品だ)のときに同様の賞賛を与えることができなかった人たちの遅れた熱狂ぶりには、「何をいまさら」と舌打ちしたくなっても、そういう見苦しい感情は抑えるように努めている。
長年の愛読者などと恰好をつけても、わたしの場合、書評などで絶賛して取り上げる他は、遠慮のない会話になるとまったく著者の逆鱗に触れるスレスレまできわどいことばかり口にしているようだ。「『ナニワ金融道』の暗黒小説版を書いとくなはれ」とか、「『断層海流』の第二部はまだでっか、三年越しでっせ」とかいっているうちはまだマシなほうで、乱れてくると、次第にあの作品この作品と思い出すままイヤミやら苦言やらあら捜しが始まり、しまいには「『Z』には、絶句です」などと、ついに蹴りを入れられそうなところまで放言してしまうのが常なのである。
それはそれとして――。
本書も含めた著者のドキュメント作品は、たんなる実体験の報告にとどまるものではない。その点、余計な注釈になるかもしれないが、注意を引いておきたい。――梁石日はタクシー労働を描くことによって、その労働条件を生産し、かつ自分にそうした労働現場を強いた社会構造の矛盾を正面から問うている。そしてその問いかけは、在日朝鮮人が異国で生存することから生ずる困難とかたときも離れることはない。この点を読み外しては、本書の魅力と危険さを充分に味わったことにはならない。著者はたえず自分の個性や極端な無頼の生き様の延長に、転落の人生の見本のように、タクシー運転手稼業という「下層労働」が待ちかまえていたのだと強調している。しかしそれは著者の誠実すぎるほどのレトリックというべきで、事態は個人の生存の条件を超えていたとする大きな視点が必要なのだ。つまり紋切り型を恐れずにいってしまえば、在日朝鮮人であることの端的な延長にそうした苛酷な労働現場があったと理解しなければならないのだ。選べない、あるいは選択肢が狭く限られている。
著者がくりかえし書いているように、日給月給で貯金もできないタクシー稼業から何とか「足抜け」が可能になったのは、事故による重傷で保障金を得たからである。生命をマトにしてやっと「自由」を克ち取ったといえば、ロマンに流れすぎるけれど、この日本の社会構造の堅固さを想像するためには、そうした理解こそが手がかりになるだろう。
本書のエピソードは、梁さんに特有のサービス精神で面白おかしく語られている。だがそこに見え隠れする「痛切な想い」を受け止めるのでなければ、梁石日を半分しか読んでいないことになる。どれほど猛烈な人生の辛酸を報告しようと、かれの文体は、そのことを他人事のように諧謔的な視点で見下ろす闊達さにあふれている。しかし読者がたんにそれを楽しんで済ましてしまえば、ドライヴィング・ヤンソギル・ワールドの滑らかな片側車線しか走っていないことになる。諧謔という方法はいかにして作家のものになったのか、それを少しでも想像してみるなら、おかしさに彩られた哀しみの世界の闇が必ずやひらけてくることだろう。
タクシーという箱のなかからは、都市の風俗とその移り変わり見て取れる。法制度の網の目、経済社会の凹凸が自ずと像を結んでくる。たんに苛酷な労働現場なのではない。かつてそのなかに囚われた「詩人」は獣のような飢えた目付きで都市の迷宮とその内臓を睨みつけていた。そしてかれは見るべきものを見て、それを獲物のように喰いちぎりながら、文学の世界の生還してきたのだった。――少し恰好よくいいすぎたが、その苦闘のプロセスをごくさりげない平明な言葉つきで綴った一冊が、本書『タクシードライバー ほろにが日記』なのである。
ほろにがいというには、あまりに重たい。しかし、おかしくて、やはり笑える……。1997.10 幻冬舎文庫 解説