金 石 範 の マ ジ ッ ク ・ リ ア リ ズ ム
済州島(チェチュト)では、四七年三月一日、「三・一節(三・一蜂起)二十八周年記念島民大会」を開催したが、これに占領軍と警官隊が発砲して数名が殺害された。それから、済州島人民と軍・警察および極右青年団との対立がつづき、各地で武力衝突が起こった。済州島人民は、ついに四八年四月三日を期して一斉に武装蜂起し済州警察署など官公署を接収した。
これにたいして占領軍は、本土(陸地)から大量の軍・警を派遣して「鎮圧作戦」を展開した。それは、焼尽、殺尽、奪尽の「三光作戦」であった。結局、済州島人民の武装蜂起(パルチザン闘争)は、四九年末にほぼ終幕をみた。この四・三蜂起のとき軍・警および極右青年団による人民の殺害は、当時の済州島人口二四万のうち八万〇〇六五名が殺傷(死亡者は約三万ママ)され、島内の七万五〇〇〇戸のうち一万五二二八戸が焼き払われた。
済州島人民の武装蜂起のさなかの四八年十月十九日に麗水(ヨス)駐屯の韓国軍が叛乱を起こした。これは、陸軍本部より「済州島討伐に出動せよ」との命令を受けたが、「同胞相戟には耐えられない」として叛乱を起こし、麗水市内にはいり警察署その他の重要行政機関を接収した事件であった。そして、市民とともに麗水人民委員会を組織して麗水市を完全に解放した。こうしたのち叛乱軍部隊の一部は北上して順天駐屯軍の 叛乱を起こし、順天(スンチョン)市を完全に解放した。そしてさらに光陽(クワンヤン)を解放した。
――高峻石『韓国現代史入門』1987年1
『火山島』は青春の文学である。
この途方もなく長くそして重量にみちた小説はどんな意味において青春の一過性をわれわれに突きつけてくるのか。まずもって強調しておきたいのは、「青春の遺書」とでも呼びたいような小説の荒々しい輝きだ。人はこのものに目を灼かれないだろうか。あまりに猛々しいマグマの奔騰に身をすくめないだろうか。言葉を得ようとして檻にがんじがらめにされた観念のきしみに戦慄を覚えないだろうか。否。すべて否である。『火山島』がはらむかずかずの要素は人を恐懼させ、立ち止まらせ、やがては居住まいを正させしむる。だが人は老い、成熟することに代償に疲弊し、よろばい屈していく存在でもある。いかにして『火山島』はかくも長き歳月を経てなお青く苦く硬い実をたわわに成らせたまま若くありつづけているのか。
最終巻において、ある人物を借りて作者はいっている。なぜわれわれは、ここにこうしているんだろうな。どうして済州島が、このような済州島がこうして存在しているかということなんだが、C通りの撞球場の二階では拷問があり、涯月のK里では死体の散乱と村人の慟哭、他の村もおそらく同じようなものだろう。遠いよその国のことでもなければ、遠い歴史上のことでもない、われわれの現実だ。夢ではない。新聞で見ると、麗・順事件も終局に向かっているようだが、犠牲者たち、殺された人間の数はどうなるのか。どうして、この国土はこれほどまでに疼き続けるのか。不思議な国だ……、不思議な民族だ。そうだ、きょうの中央紙の朝刊が、軍用飛行便で道庁へ二、三部届いたのを読んだ。公開処刑の記事が出ていたよ、順天の。何とか特派員発の記事なんだ。“全邑民が集まった小学校校庭で十五名銃殺執行”という見出しだった。順天は軍指揮下で食糧配給や治安回復が急ピッチで進む一方、反乱軍が逃走したあとの“地方暴徒”、というのは市民のことだ、地方暴徒として警察が罪状を明らかにした者には即決処分の決定がなされた。二十四日、二十四日は日曜だが、こちらではビラが散布された日だな。二十四日午前九時、市民に対する警告の意味があるのでは、と記者は書いていたが、男女老少、学生、少年を問わず全順天邑民が集合した北小学校の運動場で、十五名に対する銃殺が順天地区軍司令官の命令で、警察隊によって執行された。今後も公開銃殺刑は執行される。十五名のなかには地方検察庁の検察官一名がいたという、と記者は書いていたよ。数を問題にするのではないが、K里の、そして他の村での、この済州島での虐殺は何百名であっても、新聞には出ないんだ。ふん、こんなことをいってもヤボだが、いったい、八・一五解放(パリロヘーバン)とは何だったのかなあ……呪うべき 国土……」
『火山島』の成り立ちをかんたんに記しておこう。一九七六年から八一年にかけて、一章から九章までが雑誌連載。八三年に三分冊に単行本化されたさいに、あらたに十章から十二章までが書き足されている。これが従来は、『火山島』第一部と称されたものだ。四千五百枚。下世話にいうと、日本の戦後文学の量的なランクでは三指に入る。野間宏『青年の環』、大西巨人『神聖喜劇』に次ぐ。小説はどんなふうに読んでも完結していないのだが、長大さからいっても一般には「ライフワーク」の完了とみなされたようだ。続編が熱望されたとはいいがたい。俗世間も文学社会も美談を好む点においては五十歩百歩といところだろうか。第二部という名目で雑誌連載が再開されたのは、八七年で、いちおうの終止符は九五年に打たれた。翌年から九七年にかけて加筆をほどこされ、続きの四巻から七巻までの四分冊に単行本化された。全七巻、一万一千枚。量的には『青年の環』をはるかに抜き去った。同時に、一部・二部という垣根も取り払い、全七巻、序章と終章とにはさまれた二十七章の構成となった(あとで述べるが、『火山島』は、必ずしも巻別には従わずに、三部構成として読まれるほうがわかりやすいだろう)。連載開始から二十年が過ぎている。三分冊のときは、中間の休息だったとも考えられる。しかし全巻完結の反響は、中間地点での反響に較べても、いくらか慎ましすぎるようにも感じられてならない。二段がまえの「ライフワーク」を勝手に見立てて、人びとはこの異様な書物の出現を素通りしてしまっているのか。あるいはここ数年の急激な日本社会の解体状況が、もはやこのように通念を破壊する大文学の存在を許容しえないまでに崩れてきているのか……。
二十年という歳月にとどまらず、次の事実に注目しなければならない。済州島蜂起を 描いた金石範の第一作「看守朴書房(ソバン)」「鴉の死」が出るのは一九五七年の時点である。発表媒体が商業誌ではなかったので、一般には流通していないが、ここが出発点だということは記憶されるべきである。少しあとに同じ雑誌に「糞と自由と」を発表した後、年譜によれば、それからしばらく作者は日本語による創作から離れている。三作に「観徳亭」を加えたいわゆる済州島もの創作集『鴉の死』が発刊されるのは雑誌発表から十年ののちだった。これも小出版社によったので流通に限界があった。七一年に、「虚無譚」一編を加えた『鴉の死』が再刊される。ほぼ同時期にやはり済州島ものの一編『万徳幽霊奇譚』が刊行(雑誌発表は前年)され、ようやく金石範の名前は日本語の小説として一般化の通路を見出した。『火山島』は衆目のみるように、初期の済州島ものの全体化をめざした作業だった。そのように数えれば、じつに四十年、金作家はこの作品に、悠揚せまらず挑みつづけたといえるのである。
『鴉の死』は七四年に文庫化され、さらに広範な読者を持った。個人的な事柄を許してもらえば、わたしはやっとこの時点で金石範の世界に遭遇し、衝撃を受けた。長い眼で見ると、呪うべき「悪縁」だったかもしれないとも思える。複雑なからくりは何もない。ただ出会い、重く逃れようのない衝撃に囲まれて言葉を失った。失語ではない。まったく単純なリアクションとして声を呑み、目を剥き、返礼すべき内実を持たない己れの貧困を恥じた……。それらのことは今は遠景に置いておこう。
そしてわれわれが『火山島』の最後の巻の五一一ページにいたって深く感得せざるを得ないものは一つ。カタルシスではなく、いまだ巻を置くことを許さない狼疾に襲われるかのような怖れ、これである。これでしかない。ともあれ作品は終わっているのだが。しかし――。長編小説というものが一種の暴力的な装置であることは誰もが経験的に知っている。それは常人の生理感に背反する秩序体系に属している。このものは形式的には終わっても、終わらないという感覚をわれわれにもたらせる。現実の生とは異なったレベルの体験を強要するのだから当然とはいえ、人は書物の内的な宇宙に取り残され、ページが勝手に終わられてしまったことに不満をおぼえる。しかし『火山島』のラストが与えるアンチ・カタルシスの質感は、そうした一般的な長編ロマンとはまた異なっている。七冊分の集合であるからでは必ずしもない。終わりのときを見つけられない作者のほの暗い執念がぶつぶつと地底からつきあげてきて容易に書物を閉じさせようとしない。末尾の数行がひどく素っ気なく感じ取れるほどに行間からたちのぼってくる妄執は色濃い。
では本稿は、『火山島』をいまだ未完の作品として指弾しようとしているのだろうか。違う。まったく逆だ。『火山島』が非難されねばならないとしたら、むしろその「非・未完結性」においてだろう。最初から完結することを運命づけられた小説として、その整合性が問題にされるのではないかと思える。にもかかわらず『火山島』は未だ終わっていない世界を感じさせる。終わっていないのではなく、その事実のあるなしにかかわらず、そう感じさせるのである。『火山島』を青春の文学と規定したい一つのゆえんだ。誤解のないようにいっておくが、わたしは、この小説の達成に不満があるのでもないし、作者がさらに済州島ものを深めるべきだと思うのでもない。
違った視点を引き入れてみたい。『火山島』は世界の長大・長編小説と較べてみても破格さが目立つ。作品の軌跡が作者の際立った逸脱を映しているという意味で破格だ。これに並べうる二十世紀小説は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』か、ジョン・ドス・パソスの『U・S・A』か、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』か、あるいはわが中里介山の『大菩薩峠』ぐらいではあるまいか。中里を引き合いに出すところで明瞭だろうが、ここでは、作者が作者の万能を行使しすぎて作品構成をぶち破ってしまっているというマイナス面も考慮されている。ただしプルーストもドス・パソスも中里も帝国主義国家に属する文人である。アイルランド系のジョイスのみが金石範との親近を持つが、それもたんなるアナロジー以上のものではない。わたしのいいたいことは一点だ。在日朝鮮人文学というカテゴリは、特殊な脱植民地化過程を負わされながらも、その特殊を突き破って(あるいはその特殊をさらにさらに極めるといったほうがいいか)世界の普遍を克ち取るであろう。――これである。二十世紀文学の死屍累々たる光景についてなら少しばかりは知っている。負の遺産項目をつくることはむしろたやすい。またそのなかに在日朝鮮人文学の少なからぬ部分は回収されていくだろう。
破格という位置づけについて注釈しておきたい。金石範の作家活動において『火山島』は必ずしも絶対不可欠なコースではなかったのではないか、という評価がある。全面否定ではないにしろ、またはっきり批判として提起するほどの主張ではないにしろ、ありがちな観測だ。これがたんに、『火山島』という長すぎる小説への当惑とばかりいえないところに問題があるのかもしれない。――曰く、金石範は『鴉の死』や『万徳幽霊奇譚』で「書き尽くした」テーマになぜ執拗にこだわらねばならないのか。それは文学的にいって退行に近いのではないか、と。さきほどわたしは保留なしに『火山島』は『鴉の死』の全体化をめざした、と書いている。全体化とは全体小説化というほどの意味だが、『火山島』には明確な全体小説論が特別に内包されているわけではない。小説の方法論としては借り着といった程度の追求しかないようにも思える。何から借りたのか。日本の戦後文学の一方の頂点たる『青年の環』からである。
周知のように、野間は戦後すぐ『青年の環』の第一部を書きはじめながら、長い中断をはさまねばそれを完成させることができなかった。中絶の時期は長く、野間がその大部分を書くのは六〇年代に入ってからである。結果的に完成まで二十年を越える歳月を要しているが、そのなかば以上は他の作品の執筆に向けられていた期間だ。野間がもっとも苦しんだのは小説の方法論である。とくに半分近くの分量をしめる後半二巻に向かうためにかれは『サルトル論』という評論を副産物として書かねばならなかった。それゆえ野間の全体小説理論の輪郭は明晰だ。かれは人間を社会的・心理的・生理的な複合体として捉え描写せねばならないと主張し、その主張を、野間イズムの口ごもり粘りつき読む者の退路を断つような濃厚で饒舌な文体をつかって実践してみせた。アヴァンギャルドとサンボリズムと社会主義リアリズムとが野間という類いまれなインテリゲンチャのなかでドロドロと混合した文学的達成は一つの時代を風靡した。野間文学はまた、在日朝鮮人文学にも多大な影響を与えたと思える。『火山島』にはとりわけ野間理論の痕跡が大きい。
『火山島』の人物描写の根幹にあるのもまた、各人物の性格を社会的・心理的・生理的に捉えようとする方法だ。ただこの方法意識は自ら苦闘し、追い求められたものではない。もともと金石範の小説は理論によって補強されねばならないような質とは無縁だった。ところが『火山島』のみが過度に方法意識に頼ろうとしているのである。否定的な意味でしかいえないが、ここで依拠されるのは「全体小説論的アプローチを試みた」といった程度の方法論だ。このあたりに自覚的たりえなかったことに、『火山島』のマイナス面の要因を考えうるだろう。素朴にいって、この小説のウィークポイントはかなりはっきりと露呈されている。しばしば読まずに済ませて遠くから吠えかかろうとする輩に正当化の口実を与えかねない弱点である。わたしはこうした弱点を必要以上に拡大したくはないが、また弱点を擁護するような行論も慎みたいと思う。欠点の明白さを隠したまま『火山島』をもちあげることは批評精神の衰弱にしかつながらない。たしかに念入りな人物描写が空転すれば、人物像はかえって朦朧たる霧に包まれ、小説はさらに長大さを浪費して延々と停滞する。長編小説の長さは、書き手の必然の生理によるものであると同時に、作品統括の失敗の烙印でもある。『火山島』の少なからぬパーツがわれわれの寛容さへの挑戦であることは認めざるをえないだろう。形式的にこの作品を美化することも儀礼的に絶賛することも正しくはない。長大さが価値につながらず、かえって読者の憤激を呼びかねないところが、『火山島』に皆無であるともごく少ないとも断言することはむずかしい。だが次のことも否定しえない事実だ。……しこうしてなおかつ『火山島』は日本人にとって避けて通ることのできない重大な文献たる位置を要求するのである。
野間の全体小説のロマネスクは金石範のものではない。野間の全体を辿ることによっては金石範は全体を手にすることはできなかった。隔絶した位置に自覚的でありえなかった方法論の借り着は作品を解き放っていない。
『火山島』を金石範の最良の作品ではないと指摘しても作者にたいして礼を失することにはならないと信じる。きわめて多義的な反応を、少なくともわたしはこの作品について持たざるをえないし、それらは互いに反撥しあう解釈をすら含んでいる。唐突ではあっても、いっておきたいことがある。金石範文学は、市民権を得ていないという意味とはべつの審級で、充分には理解されていない。それは、理解されるべき部分にすら理解されていないという意味であり、では、理解するためには何をせねばならないのか。――一つの答えは、金石範を在日朝鮮人文学の大きな幹線と考える従来の議論を解除すること、である。金石範を理解するためには『火山島』を読まねばならないが、同時に、『火山島』に対峙してそれを読むことは、金石範を理解しそこねる岐路に立たされる経験でもある。……わたしは混乱したことを述べているつもりはない。『火山島』の方法意識は、作家のごく自然な創作の流露を抑圧しているところに成り立っている。かつての社会主義リアリズムのようにある種の政策に従って(それをいうならあらゆる公的な政策から背反してといわなければならないが)作品が構築されたということではなく、作家の主体のなかで一つの選択はなされたのである。
それは、金石範のなかで、夢の追放というかたちをとった。夢は別レベルの現実といってもよい。現実の全体性から阻まれている者にとっては、現実否認のための武器ともなりうる。夢は金石範文学の重要なキーワードである。夢において時制は反転し、反転した時間軸のなかで(したがって、あえていえば)被抑圧民族の収奪された時間は想像力的に回復され、復元されるのである。夢のリアリズムはリアリズムの夢を急追する。逆は真ではない。リアリズムの夢は夢のリアリズムにいつもことごとく敗退する。野間のロマネスクは金石範のロマネスクと絶対に一致することはない。<帝国主義本国−植民地>構造が連綿としてつづくかぎりそのことは転覆しえない。帝国主義本国が勝ちつづけることに照応して本国のリアリズムの夢は自堕落に敗退しつづけるだろう。夢はあまりにも少なくしか『火山島』という小説世界の時間を支配していない。ある意味では、石範氏は作者の横暴をもって、かなうかぎり作品を正調リアリズムの正史に似せて打ち立てようとしたのだろう。幸いにして、生き物としての作品は多くの部分で作者の専横を免れてもいる。だが夢の抑圧は大長編のなかでは歴然たる傷痕をいたるところに残しているのではないだろうか。
『鴉の死』の新版に付加された「虚無譚」の末尾近く、作中の「私」の表白として次の一行がある。まだ私の内には二日酔のように夢の跡が残っていて死に絶えていなかった。それは軽い酔いといっしよに皮膚の下ににじむように拡がる。
読者が金石範の作品において親しく出会うことになる「時制の混乱」意識のイメージが早くもここに捉えられている。
この短編は、作家自身を主人公としたエッセイ風小説もしくは中野重治調の「小説の書けない小説家」小説ともいうべきもので、その語り口が日本的伝統にある私小説のスタイルに表向き背反していないという意味から、おそらく「鴉の死」連作以上に日本の風土には受け入れやすい作品だった。「虚無譚」はしかし、《約十年ぶりに日本語で書いた小説。ふたたび日本語で書くことについてかなり苦しむ》と著者自筆年譜に注記されている(筑摩現代文学大系95 一九七七年 470P)。日本語で書くことの苦悩は、もちろん一時期の金石範を呪縛した看過しえない問題である。だが本稿は小文の容量ゆえに「作家と言語」という根幹のテーマを外してさきに進まざるをえない。他日を期すことで寛恕されたい。
ここで問題とされるのは、日本的な形式の取りこみではなく、作家の日常に滲み出てきた一つの明瞭な酩酊感である。それが引用箇所には、二日酔い、夢、軽い酔い、といったシグナルをもって畳みかけられてくる。それらが皮膚の下の具体的な生理感として「にじむように・拡がる」と捉えられている。夢のリアリズムにおいては現実の時間は解体されるだろう。酔いは、どんな場合であっても金石範の世界では、単独の酔いではない。酔いは存在が揺すぶられる反現実の時間への招待なのである。酩酊は一つの武器ですらある。夢はほとんど必ず、金石範においては、酔いにいざなわれて現われる。時制が混乱し、通時のシステムはばらばらの断片となって逆巻いてくる。金石範文学を特異な幻想小説の体系として読むことはそれほど不当ではないと思う。しかるに『火山島』は例外的に幻想の時間を排除して成り立っているようにも印象される。むしろ大長編連載の副産物として随時発表されていった「私小説」的スタイルの短編のほうに、夢は直接に姿を見せるのである。ただこれはごく見やすいかたちで顕にされているというにすぎないのだが。
作家の日常をおびやかす夢の奇怪な圧制が早くも「虚無譚」に明瞭になっていることに注目しておきたい。そしてこの短編は、作者が「約十年ぶりに日本語で書き、そのことに苦悩をおぼえねばならなかった」小説である。のみならず金石範が日本の商業雑誌媒体に初めて発表した小説でもある。早くもそこで、夢は皮膚の下ににじむように不気味に拡がっていたのである。
『火山島』とは、それでは何なのか。金石範にとって。またわれわれにとって。困難な回答を次の言明によって代替することは可能だろう――。ジャン・ポール・サルトルは『 地に呪われたる者』の序文でいっている。「これは別の物語(イストワール)だ、別の歴史(イストワール)なのだ」と。
夢のリアリズムを廃して全体小説を志した『火山島』はそれ自体において一つの歴史たることを主張している。幻想の時間を引き入れた小説ではなく、まるごと幻想の時間そのものなのだ。かかる壮大な試行が試みられようとした根拠については、現代史の暗渠が説明するだろう。ここに描かれたのはたんに済州島パルチザンの無念に消去された歴史の全過程だけではない。特殊からたちあがってくる普遍の否定しようのないかたちだ。『火山島』は自らを歴史そのものに擬することによって歴史の審判を問うている。いったいこのようなことが一個の小説に可能なのだろうか。その意味で作家は自分の作品の外に流れる現実の時間の一切を幻想として否認したのである。2
そう。
フランツ・ファノンならば、こういうはずだ。いかなる名称が使用され、いかなる新表現が導入されようとも、非植民地化とは常に暴力的な現象である。だれとだれが会合し、スポーツ・クラブの名称がどう変わり、カクテル・パーティーや警察や、国立ないし民間銀行の重役会議の顔ぶれがどうなったか――これらのいかなる水準で検討しようとも、非植民地化とはただ単純に、ある「種」の人間が別の「種」の人間にとってかわられることにすぎぬ。過渡期も経ずに、全的な、完全な、絶対的な交替が行われる。
非植民地化を裸形のまま示せば、その毛孔という毛孔を通して、赤く染まった砲弾、血のしたたる短剣の存在が察せられる。――『地に呪われたる者』一九六一年(鈴木道彦・浦野衣子訳 一部略)
済州島事態を、ファノンのいう「非植民地化」=脱植民地化過程の一分岐と捉えることは可能である。しかし現代史にはその項目がない、なかったのだ。済州島の、毛穴という毛穴から血がしぶく虐殺の史実は、同時に、かき消された歴史でもあった。項目がないと
ころに「別の歴史(イストワール)」をつなげること。いや、つくるのである。小説という厄介で調停的な形式を無理やりに「歴史」に変身させようとしたのである。いったいどんな無謀な作家がこのような途方もない実験に自らを放りこむというのだろうか……。いや、われわれは現に『火山島』という雄弁な書物のかたちをもって、その成果を目にしているのである。もし歴史が少しでも書かれていればかかる壮大な文学的実験もなされなかったかもしれない。……と仮定を語ってみても意味がない。済州島の歴史が消されるべくして消されたのなら、その「必然性」を少しばかり考察してみるべきである。
まず日本帝国主義。われの側から始めよう。個別の済州島には、沖縄戦に次ぐ戦闘の要諦として十万の兵員が当てられていたという。結果は敗戦。朝鮮半島全域と同じく戦勝国に植民地を奪われるかたちを強いられた。日帝にとっては「無血の脱植民地化過程」だ。ここで免れたかずかずのダメージは後の復興にさいしてどれだけ有効にはたらいたことだろう。ファノンが激越に指摘した世界史的普遍は、われわれの戦後史には当てはまらない。無傷のままに「歴史は進歩する」というのは戦後日本が長く手放せなかった居心地のいい幻影かもしれない。人民にとって都合の良かったことは同様にして日帝にとっても都合が良かったのである。自らの血を流すこともなかったし、旧植民地人の血を(直接には)流させることもなかった。旧宗主国で体験される脱植民地化過程とは、朝鮮という「外国」で流される血を自分とは無縁のものとして眺めることでしかなかった。これが日本的特殊というものだった。「外国」の事象としてしか観察されなかったのだ。そこにおける歴史の項目が欠落していても旧帝国主義本国人の意識は痛まずに済まされた。ましてや虐殺の事実は米軍支配下の出来事である、というわけだ。しかし脱植民地化過程の暴力の爆発にたいして旧宗主国は果たして無責でありえるのだろうか。道義心を問われずに通過できるのだろうか。
そして朝鮮。当の解き放たれた地である。解放がもたらせた政治的自由は結果として半島の分断の固定化のほうへ動いて行く。『火山島』は血をしぼるようにして「不思議な国だ、不思議な民族だ」とつぶやいて慟哭する。だが歴史を決定づけるのは一民族の主体性のみではありえない。一点だけ疑いないのは、脱植民地化過程において流された血の総量を朝鮮民族は自らだけで贖わされたということである。事柄の特殊さにあらためて注目されねばならない。こうした不当な不均等な血の血債は連続した朝鮮戦争において頂点を極め、今日のポスト冷戦時代にまで残留されている。半島全域を戦場に変え、一民族が憎悪の血を流しあった内戦。その不吉なプレリュードともいえる殺戮が済州島事態だったのではないか。さらには記憶に新しく同様のことが、開発独裁型の社会でまがりなりにも「近
代化コース」が実現していた一九八〇年代にも光州(クワンジュ)でも起こっている。問題は一つだ。ジェノサイドの質さえ帯びた民族抗争はなぜ済州島においてかくも凄まじい規模で展開されたのか。この問いは一種のトートロジーを生起させる。済州島事態は済州島でしか起こらなかったのだ、と。答えは問いそのものの不条理を含みこんで無慈悲に成立してしまうかのようだ。同一民族抗争といいながら事態の一側面は「済州島人」へ加えられた集団殺戮でもあった。単独選挙による南朝鮮政権樹立に反対するための武装蜂起はむろん、一地域闘争に終始するものではない。武装路線の冒険主義の誤りを指摘する解釈も後代には自由だろう。だが虐殺の進行という帰結は単一の歴史理解を拒絶しているようにも思える。『火山島』は結末に近づくにしたがって深紅の慟哭の色を深める。一方で、長期の持久戦に疲弊していくパルチザンの実像を呵責なく見つめながらも、虐殺を回避し、犠牲者の数を減らすような闘争の収束はないか、と小説は精一杯の模索を重ねる。だがこれは『火山島』が最初から宿命づけられていた身を引き裂かれる矛盾命題にほかならない。虐殺の真相が 歴史の頁から消されてしまったからこそ要請された「別の歴史(イストワール)」。このものは虐殺の島の現実を直視しなければならない。だが作家の奥底の声を小説もとどめることはできない。 それは自らが描いてきた「別の歴史(イストワール)」を否定するようにも、こういっている。――虐殺を小規模で収束させる選択は必ずあったのだ、と。終わらない世界を想わせる因子はこうしたところに顕著なのかもしれない。作家が自作について抱く不満というよりも、人が歴史について感じる怨みに似ている。
解放とともにかつての「売国奴」親日派は根絶されたわけではない。かれらは己れの正当化のために敵を求めた。済州島で勢力を持った反共暴力集団「西北(ソブク)」はそもそも「北朝鮮」出身者によって占められている。地縁集団というより「故国」を共産勢力によって追われた恨みで結ばれた反共原理主義ファシスト集団なのである。支配を簒奪しようとする層と暴力の犬たちは、共通の敵を見つけて血まみれの哄笑を響かせた。戦場は中央から遠 く離れた反乱の島、密島(ミルド)だった。人口二十数万の島で八万もの人命が虐殺によって失われた。今日の観光の島チェジュドの風光明媚からは想像もつかない。おびただしい血しぶきが、この島の脱植民地化過程の一年ほどの期間に舞い、無数の骨が埋められたのだ。ここで起こったことは済州島でしか起こらなかったとするのは一つの答えだ。しかし答えは少しも答えとしての安息をもたらさない。
歴史的にいえば陸地(ユッチ本土という通称はあまり使われない)からあまりに遠い。かつては流刑の島であり、中央政治にたいする反逆の伝統を持った。逆に日帝の植民地時代には、本国(日帝本国のことだ)にかえって近づいたのだ。あまりにも陸地(朝鮮半島)から遠く、あまりに本国のとりわけ大阪に近い、という構造ができた。これは比喩ではなく、『火山島』を支配するじっさいの位置関係を示している。のみならずこの構造こそが、『火山島』を比較を絶する日本語文学として可能ならしめた現実の条件とさえいえるのである。 《イワシも魚か、済州野郎(チェジュセッキ)も人間か》……。イワシなどの雑魚も魚の仲間であるのと同じく「済州島人」も人ならざる被差別民というわけだ。半島「本土」と島との構図は、国内植民地とも呼びうるものだ。だが当時も現在も国内植民地規定は正確なイメージに不足する。やはりここは、従属理論による<中枢−衛星>構造を援用するほうが理解しやすいだろう。先進的中枢諸国(メトロポリス)と低開発的衛星諸国(サテライト)は相補的に存在する。そしてこれは国と国との関係を説明するだけではない。これらの中枢−衛星の関係は国際段階にとどまらず、ラテンアメリカの植民地や諸国の経済的、政治的、社会的生活を貫くものである。地方の中枢は国内中枢に対する衛星でありながらその地方における中心となり、まわりに地域的衛星をはべらせる。地方の中枢は、世界的中枢の衛星たる国内中枢を通じて(世界中枢に結びつく)。この星座のような結びつきが、ヨーロッパやアメリカ合衆国の中枢からラテンアメリカの片田舎にいたる全体系を構成するすべての部分を関係づけているのである。
――A・G・フランク『世界資本主義と低開発』一九六六年(大崎正治訳 一部略)
ここで従属学派を引用したことに他意はない。済州島事態の具体的なイメージを思い浮かべたいからだ。つまり――。脱植民地化過程で、旧植民地内中枢が旧植民地内衛星(この場合はチェジュド)に、流された多くの血を集中して押しつけた、という構図を明らかにしたかったのである。
「低開発は低開発を低開発する」とは従属アプローチの有名なテーゼだ。それとまったく同一の構造において、脱植民地化過程の矛盾の多くは朝鮮のなかの衛星地域にに集中して発現したのである。流血は流血を呼び、殺戮はマグマになって地面を走った。故郷を追われて南端の島に毒々しく花咲いた「西北」の青年たちの暴力も、中枢センターに統御された衛星の質を持つのである。暴力が果てまで先鋭化したとき、真っ赤な血に彩られた島はアカの砦に見え、したがって皆殺しの号令はごく自然にかけられていたのだ。こうした歴史理解をまずもって『火山島』は要求しているだろう。否、すべて正史に成り代わって
正当に記述しているのだ。もう一つの「歴史(イストワール)」として。
パルチザン闘争の敗色も色濃くなりつつある時期にいたって、『火山島』は血を吐くように語っている。周知のように、四・三事件は起こるだけの必然性があった。そうだろう。でなければ、全島民的な蜂起、その支持には至らん。しかしだ、勝敗に関する限り、矛盾するが、おれは否定的なんだ。つまり勝算のないたたかいをはじめたということだよ。つまりは失敗ということだ。ここで言及することもなかろうが、去年の三・一(サミル)独立運動記念日のデ モ隊に対する美(ミ)軍の射殺事件。それに続く官憲側の全島民を敵に廻した重なる弾圧が、四・三蜂起に至る道を開いたのは、警察首脳、道警の前身の済州監察庁長さえ認めているところだ。三・一デモ事件後に“アカ”狩りの特攻隊として入島した“西北”やそし て 本土出身警官たちの横暴。済州島民はすべて“アカ”だ、“イワシも魚か、済州野郎(チェジュセッキ)も人間か”……。“西北”たちによる略奪、強盗、殺人……。うん、日帝支配下でさえ、こんな無茶なことはなかったはずだろう。済州島民は虫ケラか。これらのことだけでも、“暴動”、蜂起は起こるべくして起こったものなんだよ。そして、南朝鮮だけの五・一〇単独選挙、祖国分断に反対する全国的な闘争のなかでの、済州島における武装蜂起。済州での五・一〇単選実施の失敗……。自衛、自らの生存のための蜂起であって、それをおれは否定しないんだ。しかし勝算のない冒険的なやり方、たたかいを持続する長期的な展望のない、無計画なやり方ではないのか。ゲリラ司令官たちの脱出に見られるように、尻拭いをしない無責任な闘争ではないのか。せめて、彼らが武器弾薬、援助物資、今後の闘争の展望を持って、ふるさとの人間が待ちわびているこの土地に一刻も早く帰ってきたのなら、おれはこんなことはいわんよ、え、いわん。結局、大きなツケを残して指導層は逃亡してしまったことになる。指導者たちの敵前逃亡じゃないのか。こんな話はないね。
そしてこうした分析は、パルチザン組織のなかでは敗北主義として一蹴されるのである。 「鴉の死」は一九五七年に発表されている。蜂起と虐殺から十年と経ていない。作者は直接には四・三蜂起を体験していない。金石範は戸籍の上では大阪生まれである。故郷の済州島には、年譜によれば、十代の短い期間を滞在しただけである。済州島ものの創作は、大阪に密航して逃げてきた生き残りの証言をもとにして書かれた。かつての帝国主義本国は皮肉なことに恰好の亡命地のベースを形成していた。これは植民地支配の賜物ではなかろうかと、作者は回想している。多くの在日同胞が定住する場所がなかったらそもそも「亡命」すらも不可能だった。島民にとって陸地(ユッチ)こそ危険な敵地であり、かつての植民地支配のセンターが安全な逃亡の地に変わったのである。ここには深い幾重にも屈折した歴史のアイロニーが見え隠れしている。
これは同時に、「鴉の死」という一種異様な亡命者小説の成り立ちを鮮烈に語っているのである。そして金石範という希有の「亡命作家」の出立をも。これは決して単線的に了解しうる事柄ではあるまい。のみならず、何らの予備知識もなしにこの小説を読む日本語の読者にいったい何が伝達されるのかを考えると、底深い怖れにとらわれるのである。
ここでもういちど個人的な追憶の引き出しを開けてみよう。日本語でありながら、われと彼の作品のあいだには玄海灘のように黒々とした隔絶があった。一般の日本人の反応は知らない。わたしのことを語れば問題の一端は少しばかり鮮明さを増すかもしれない。今、『火山島』への登攀を試みるにあたっても、ファノンのテーゼと従属理論を援用してくることが必要だった。ここにいたるまでもじつに長い時間を要したような気がする。
最初に言葉を失わせた「鴉の死」の蒼白な衝撃とはいったい何だったのか。陰鬱なかけ声とともに生首を入れた竹かごをかついで徘徊するでんぼう爺いや、女囚たちにエロティックな妄想を抱きつつ「大韓民国」の成立を否定する朴看守のグロテスクな像に震撼させられたことは初歩的な鑑賞にすぎなかった、ともいえよう。だがそこより奥に進まなかったことも確かなのだ。いたいけな少女の死体の胸に青年が撃ちこむ三発の銃弾の音は海鳴りのようにこだましていた。本を閉じてさえ虐殺の島に漂う腐臭が鼻先にあり、死体をつつくために舞い降りてくる鴉のはばたきが耳元にあるようだった。歴史の事実についてどんな感想を持ったのかはつまびらかではないが、原色の映像的イメージと執拗な死の臭いに捕らえられてしまったことは今もありありと覚えている。日韓の現代史についても、文学の関連項目の知識も、いくらかは身に付けていただろうか。しかし済州島事態については最初の衝撃だったのである。キム・ジハの訳詩は暗記するほどに親しんでいた。しかし旧植民地への正確な問題意識がどれほど育っていたかは、まことに心もとないかぎりだったのである。「鴉の死」を読んで、いったい自分が何を鑑賞したのか、正当に了解するだけのインデックスを持たなかった。東欧のユダヤ人がジェノサイドを生き延びて、アメリカ語やフランス語で書いた報告の翻訳においてなら相似の世界が描かれていたような気がした。そうである。わたしは金石範を、日本に住んでいること自体信じられないような「亡命作家」として位置づけないと安心できなかったのだ。いや、読んでしまったものを安心して了解できなかった。日本国が外国人の亡命先として開かれた社会など持っていないことは、わきまえていたはずだったが……。金石範の書く日本語は日本語のように読めなかった。故意に生硬に翻訳された日本語であり、あまりうまくない翻訳の内部にどこか知らない国の言語による硬いダイヤモンドのような原文が隠されていると思えてならなかった。そうした翻訳小説として納得するなら、ようやく描かれた世界の生々しい衝撃が自分のうちに安心できる場所を確保できそうだった。
在日朝鮮人文学には以降も折にふれ接触していったが『鴉の死』は何か別のカテゴリに分類される小説のように思いなしてきた。今ここに追憶的な事柄を記すのは、若年の自分の愚かな直観がそんなに間違っていなかったことを確認できているからでもある。たしかにわたしは『鴉の死』を一読し、それもあまり深くもなく一読し、すっかり怯んでしまった。しかし怖じ気づいたことはそれほどに不当な反応ではなかったようだと今は思える。少しあとだったはずだが、雑誌『文学』の一九七〇年十一月号を古書店で見つけて読んだ。「日本語で書くことについて」と題された金石範を交えた座談会が巻頭に載っていたのだった。そのころ自分は本を読みつつ書きこみを入れる習慣があったので、どんな読み取りをしたのかほぼ復元できる。線が引かれているのは金石範の発言部分だけで、他の話者のところには罵倒や不信の断片が書かれていた。着目するところは今と変わらない。むしろむかしのほうが鋭敏であったかもしれない。……怖じ気をふるった直観について書きたかったのだが、この点はあとでまた戻ってくることにする。とにかく『鴉の死』一冊は金石範を別格の文学者として刮目させるに充分だったのである。
3
成り立ちとして明らかなように『鴉の死』に収められた済州島もの三編は、輝きにみちた作品ではあっても長編小説ではない。かき消された歴史を回復するためには断片にすぎるのである。苦悩の日々をかいくぐったあとに描かれた『万徳幽霊奇譚』は、より完成した語り口に支えられた傑作といえよう。済州島もののベスト作とも位置づけられる。万徳というネガティヴな民衆像の造型は、金石範文学においても不朽の価値を持ちつづけるだろう。しかしこれも一冊の単行本にはなっているが、ふつうにいう中編の長さである。技法的には洗練されたとはいえ、飛躍的な質は獲得しえていない。
それらは作家金石範を最終的に癒すことはなかったと思える。別の「歴史(イストワール)」が描かれるまでは癒しはついに訪れなかったのだろう。
『火山島』を除く金石範の作品目録をあげておく。『鴉の死』 一九六七年 新興書房
『鴉の死』 一九七一年 講談社
『万徳幽霊奇譚』 一九七一年 筑摩書房
『夜』 一九七三年 文芸春秋
『1945年夏』 一九七四年 筑摩書房
『詐欺師』 一九七四年 講談社
『遺された記憶』 一九七七年 河出書房
『マンドギ物語』 一九七八年 筑摩書房
『往生異聞』 一九七九年 集英社
『祭司なき祭り』 一九八一年 集英社
『幽冥の肖像』 一九八二年 筑摩書房
『金縛りの歳月』 一九八六年 集英社
『夢、草深し』 一九九五年 講談社
『地の影』 一九九六年 集英社これらは『万徳幽霊奇譚』とそのジュニア版『マンドギ物語』、そして『祭司なき祭り』の他は、すべて短編集である。別に評論・エッセイ集が六冊ある。
『ことばの呪縛』 一九七二年 筑摩書房
『口あるものは語れ』 一九七五年 筑摩書房
『民族・ことば・文学』 一九七六年 創樹社
『「在日」の思想』 一九八一年 筑摩書房
『故国行』 一九九〇年 岩波書店
『転向と親日派』 一九九三年 岩波書店『万徳幽霊奇譚』の少年用読み物版として『マンドギ物語』が書かれている。平明に書き直された読み物に、作家の秘密の一端は横たわっているようにも思える。金石範文学の魅力はもちろんその独特の語り口に見出せる。語り口は屈折と苦渋の堆積でもあり、決して馴染みやすいものではない。もっとも完成されたフォークロアの通路を備えている『万徳幽霊奇譚』にしても、ナラティヴの流れは現実の時間軸とは一致していない。一致しえないところに金石範の世界の基底があるのである。かれは語りの熟練者ではあっても耳に快い話の語り部ではない。しかるに『マンドギ物語』には、語り聞かせる啓蒙家の姿勢が明確である。金石範がおそらく初めて見せた「大衆的な」構えなのである。はたして『マンドギ物語』の平明で時制の流れにしたがったストーリー構成は、『万徳幽霊奇譚』の謎めいた奥行を損ねているであろうか。いや、この設問にはさして意味はない。あとがきのところで作者は書いている。
私はいま、自分がはじめて書いた「物語」まえにして、少年少女のみなさんに読んでもらえるというよろこびで、胸がみたされているのです
いくぶんよそよそしくも思えるあいさつだが、これが金石範の書いた唯一の「物語(イストワール)」であることは否定しようがない。物語とは、ここでは、読み物といったほどの意味だが、大きな「イストワール」の意味にも拡大できないわけではない。平明に書かねばならないとは作家にとって一つの断念を強いる姿勢でもある。それはいっそう金石範にとっては顕著な断念を要求される作業であったに違いない。おそらく日本語で創作することへのかれの抵抗感は、平明な語り口という限定を与えられたとき、さらに不快な軋みをもって高まったはずなのである。
図式的にいえば、『万徳幽霊奇譚』と『マンドギ物語』との関係は、『鴉の死』から『火山島』へと飛躍していった作者の投企に照応するだろう。プロセスはまったく逆である。『火山島』に作者が要求していったのは別の「物語(イストワール)」ではなく、別の「歴史(イストワール)」である。断念の激しさは較べるまでもないが、読み物への道は金石範が一回きり試みた秘儀であると見なせるだろう。ある種の自己告白を読者がそこに受け取ることも自由といえはしまいか。すでに歴史記述としての『火山島』の連載は始まっている。作家は一方では自己の位置をたえず測定しておきたい不安を同居させていたのではないだろうか。不安は思いもかけない様式で『マンドギ物語』に流れこんでいったとも読むことはできる。『マンドギ物語』は済州島事態を子供向きに書き直した「寓話」であるにとどまらない。わかりやすく噛み砕かれた読み物の叙述は教師のように冷たいものではない。かえって作家の素顔をナイーヴにさらす「告白」という質すら帯びるだろう。「物語」の書き出しはこうなっている。
朝鮮の地図をひらくと、朝鮮半島の南の海に、済州島(チェジュド)という東西にのびた楕円形の島 が見えます。長崎県五島列島のま西のほうになりますが、日本からさほど遠くありません。
チェジュ島はこの物語の舞台になるところで、面積千八百四十平方キロメートル、大阪府とほぼおなじひろさの、朝鮮でいちばん大きな島です。人口は現在約四十万、この物語の時代になる一九四八、九年ごろは二十数万でした。そして島の歴史からパルチザン闘争に至るまでが、かんたんに説明されたあと、次の数行がつづく。
島のまん中にハルラ山(一九五〇メートル)という、人びとから霊峰としてあがめしたわれている、けわしく美しい山があります。島民たちも武器をとって立ちあがり、ハルラ山を根拠地にして、はげしい血みどろのゲリラ戦をつづけました。
「大阪府と同じ広さ」とごくさりげなく書かれるところに筆の自然な勢いがある。そして漢拏(ハルラ)山への想いがこれまた自然に吐露される。現実の出生地である帝国主義本国の都市と、失われた故郷とは、自然な対位法のうちに絶望的に引き裂かれた姿を現わす。奪われた故郷の遥かに美しい山はおごそかに眠っているわけではない。無数の人びとの血を吸って慟哭にむせぶ山河である。読み物の語り口は、ごく自然に作家の無惨な内面を映しだしてくる。済州島の風景はただ失われたから美しいのではない。激越に血を流して失われたからこそ、幻想のヴェールをまといつかせて逆立的に美しいのである。
帰れない故郷とは、文学的テーマとして一般化してしまえば手垢のついた題材でしかない。しかし生き延びて逃げてきた同胞の口から虐殺の島のうめきを聞かねばならなかった作家の魂はいったいどうやって普遍化されえようか。また、どうやって浄化されえようか。『鴉の死』における、どぎついばかりのイメージの先行、それとうらはらな文体の発作的な口ごもりとは、構成の美とはおよそ背反している。そこから出立するほかなかった。そこにしか条件は見出せなかった。断片的な証言者となることに満足せず作者は『火山島』に向かうのだが、それは長編小説の豊富なデータが集められたことを意味するのではない。むしろ集められなかったことを意味したのである。
歴史の不在については別の言及がある。その重要性にもかかわらず、済州島四・三蜂起についてはこれまでほとんど研究されていない。英語の出版物でこれについてふれているのは、数パラグラフにも満たないし、どこの国の言葉でもこれについて詳細に論じたものは一つもみあたらない。四・三蜂起についての利用しうるおもな資料は、朝鮮人関係者の断片的な証言や、最近になって機密から解除された大量のアメリカの公文書である。
――ジョン・メリル『済州島四・三蜂起』一九八〇年(文京洙訳)第一次資料すら乏しいことについては金石範自身も書いている。
こんどの長編執筆で、事件がタブーになって来たものでもあって資料がほとんどないこと(一応まとまったものとしては、金奉鉉、金民柱共編『済州島人民たちの<4・3>武装闘争史』[朝鮮文、一九六三年]、金奉鉉『済州島血の歴史――<4・3>武装闘争の記録』[一九七八年]があるだけで、それもこの日本で出版された)、その他苦労話には事欠かぬが、私はやはりいまの済州島ではあっても、故郷の土地へ“取材”のためにでも行って来ることができないまま、執筆を続けたことがいちばん苦しかったと告白せねばならない。
――『火山島』・あとがき 一九八三年歴史的な位置づけとは、一般には、歴史的な資料を要して初めて成立する。しかし『火山島』とは、資料の欠けたところに自らを資料としてさしだす類いの試みなのである。かれは、これほどまでに奪われた故郷に戻れないままその土地の惨禍を描かねばならなかった。歴史の頁はいっさい与えられておらず、血の文字を一から刻みつけねばならなかった。物語よりも歴史を書かねばならなかった。しかもかれはそれを旧宗主国の言葉を用いねばならなかったのである。『火山島』を一般の近代小説としてのみ扱うことの不当さはいくら強調しても足らない。
在日朝鮮人文学は、金石範を例外にするしないにかかわらず、旧植民地人の文学でありつづけた。こうした側面を本質的な要素と捉える視角は、戦後の良心の虜となっている旧本国インテリゲンチャ(なかでもとくに在日朝鮮人文学に近親をもって相対する善良なタイプ)によって、ある種の後ろめたさからなのか、忌避されつづけたようだ。そして一部の論者による告発主義の論調もその忌避感覚を助長した。しかし疑いもなく、大日本帝国における特殊な脱植民地過程は、在日朝鮮人文学に独特の欠損を刻みつけている。旧植民地人の文学が全体化のプログラムから阻まれているという事実は、残念ながら、ささやかな客観性を持たざるをえない。これは帝国主義国家に属する文学が豊かな全体性を保証されてるという優位の価値判断とはまったく別の事柄だ。しかし厄介なことに、帝国主義国家に属する書き手の「虚構の普遍性」を自明のものとする前提は疑われていない。こうした自明さによりかかって旧植民地文学の地方性を指摘することは、悪質な差異化・差別につながるほかなかった。しかし差別をおそれるあまり、客観的測定を回避し、在日朝鮮人文学に不均等な価値を付与することは、逆の硬直性を呼び寄せざるをえないだろう。われわれに貸与された全体性とは、たかだか「欠損を持ちえないという欠陥」の消極的な発現にすぎない。それは完全性とは似て非なるものであり、たんに己れの欠損について対象化することのできない歪んだ眼鏡をもって外界見ているにすぎないのである。われわれが通過してきた特殊な脱植民地化過程がわれわれをそこに立たしているのだ。それを仮借なく見つめたうえで、旧植民地文学の「非全体性」を正当に位置づけようではないか。共通の歴史の傷を表と裏の両面から負っているのだなどとものわかりのよいことはいわない。また彼我の欠損はあたかも鏡像のように互いを映しだしているなどと倒立した認識を語ることも間違っている。そんなふうに擬似的に歩み寄りうる親近性などわれわれとかれらのあいだにはかけらもない。今もかつても。不幸な植民地支配を幸運にもわれわれは血を流すことなく脱却することができた。不幸とか幸運とかいう感受性は流血の記憶がもしあれば産まれようのない感情であるだろう。血は充分すぎるほどに旧植民地においてだけ「一方的に」流されたのである。
野間の全体小説論を金石範は参考にすることはできても、同化することは絶対にできないのである。イギリスのマルクス主義文学理論家テリー・イーグルトンは、主要にアイルランド文学についてだが、次のようにいっている。《植民地に住む書き手は、シニフィアンの溢れんばかりの豊かさと、指示対象の貧困さがいかに不調和であるか、辛辣に意識している》と。イーグルトンはここで、旧植民地文学の断片性に注意を向けているのである。リアリズム小説が植民地の現実にとっていつも彼岸のところにあるという指摘は正しい。また《彼らは、自らを生み落とした国民からも、作品を読んでくれる読者層からも、同じ程度に疎外されていた》とする、うがった不愉快な観察も見当外れとはいえない。かれらは《現実そのものの貧弱さと、その現実を記録するために用いられる自意識的に練りあげられた言語のあいだ(にあいた)アイロニーに満ちた裂け目》に苦悩しているのである。ただ「植民地に住む書き手が……辛辣に意識している」という評価は微妙にズレているように感じる。「辛辣な意識」という自己判断ははたしてかれらのものなのか。かえってこれは旧宗主国インテリゲンチャの辛辣な観測の一貫なのではないかと思える。
イーグルトンはつづけて書いている。アングロ・アイリッシュの長編小説がきわめて多義的な意味でしかリアリズム的でないということは、別にそれ自体の落ち度というわけではない。スウィフトの『ガリヴァー旅行記』、エッジワースの『ラクレント城』、マチューリンの『放浪者メルモス』、シェリダン・レ・ファニュの『サイラス叔父』、ストーカーの『ドラキュラ』、ジョイスの『ユリシーズ』といった、おおむね非リアリズム的といってよい作品を含む文学的伝統 は、なにかプラトン的な模倣(ミメーシス)の規範からの逸脱という理由で、咎められる必要はない。アイルランドのフィクションは、それが記録にとどめなければならない経験と、その経験を明晰に表現するために用いられる約束事のあいだの断絶によってしるしづけられることとなる。それらの約束事によって、混乱に陥り、幻想に支配された社会の全容をとらえることはできそうにない。その社会にあっては、真理はとらえがたく、歴史それ自体も、あたかも煽情小説であるかのように読めるものと化しているのだ。洗練された様式的な闊達さと高度な道徳的まじめさ、厳粛な調子と錯綜した内面性は、分裂と、慢性的な暴力、そして免れがたい政治性を秘めたアイルランドにとっては、ふさわしい媒体とはいいがたかった。というのも、そうした<文学>の言説は、なによりもまず第一に、その種の現世的な関心事に代わる、代替的選択肢として発明されたものだったからである。
――テリー・イーグルトン『表象のアイルランド』一九九五年(鈴木聡訳 一部略)
もちろんアイルランド文学論の知識は、在日朝鮮人文学論にとって、アナロジーを与えるものではあっても、直接の参考になるわけではない。ただやはり「周縁的な環境」がリアリズム小説や洗練された<文学>に背を向けさせたという文学史は、逆説的な普遍を指し示しているように思えてならない。<中枢−衛星>構造はさまざまな特殊を世界史過程にもたらせている。しかしさまざまな特殊にも一定のある共通する法則が貫かれていると認めないことも困難である。同一ではないが、同一構造の事象が遠い世界に存在することは、かすかな戦慄さえもたらす。「分裂と、慢性的な暴力、そして免れがたい政治性を秘めた」とは、まさに在日朝鮮人の置かれた状況についての観測ではないのか。
そうであるならなお、われわれは、口達者なイーグルトンとは逆のことを指摘しなければならないような気がする。従属構造を強いられる在日朝鮮人文学者たちは、「シニフィアンの溢れんばかりの豊かさと、指示対象の貧困さとが、いかに不調和であるか」について、むしろ正確な自己認識を持つことから疎外されていると思えるのである。かれらがいくらかの不条理さを感じ取らないなどといえばウソになる。しかし自らの書くべきリアリズム世界が一つの欠損性のもとにあるとは決してかれらは考えないだろう。またそう認めることもないだろう。「アイロニーにみちた裂け目」に無自覚な在日朝鮮人文学者はおそらくいないはずだ(もっとも昨今の何とかいう若い書き手は例外とするべきだが)。しかし自己と現実の置かれた状況を、かれらはアンチ・リアリズムの屈折において処理しようとはしてこなかった。リアリズムは自明の要請であるようにかれらには感じられていたと思える。金石範を特異な幻想小説の書き手と評価したとき、わたしは、石範氏を在日朝鮮人文学における「異端」と位置づけたい欲求にかられていたのである。
しかしながら日本の近代小説のそれなりの伝統を考慮するとき、このものがいったいかれらにとって脅威の敵対物であったのかなかったのか、確固とした回答は揺らいでくるのだ。周縁的なアングロ・アイリッシュ小説にとってイギリス・リアリズム小説が強固なアンチ・テーゼであったほどには、在日朝鮮人文学にとって、日本近代小説が決定的な影響をもたらせたとは思えないのである。けれどもかれらの制作意識を不当に直接に紛糾させるものがあったとすれば、それはやはり帝国本国の公認文学にほかならなかっただろう。弱い作用であるか、強い作用であるかはともかく、従属構造が文学領域にも張り巡らされていたことを否定する材料はない。
例えば李恢成は、つねに作家自身と作中人物を一致させる方法論によって書きつづけているが、そのことにおいて自己と創作との距離感の喪失に苦しめられなかったとは断言できない。これは李恢成文学への非難のために書きつけるのではない。ことはもう少し広いパースペクティヴで論じられるべきだろう。さきほどわたしは、「中野重治調の小説家小説」と与太をとばしてそこに中野の短編のタイトルを隠してみたが、そこに噴き出しかけていたのは、中野はその長い文学的生涯においてはたして真正のフィクションを一冊でも書いたのだろうかという初歩的な疑問だったのである。日本の小説家小説というジャンルはしごく有力なものであったし、今もある。小説家小説といって奇異ならば、教科書通り「私小説」と呼びなおしてもかまわない。とにかく日本のコミュニスト文学者の巨星である中野(もちろんここにもう一人のスター宮本百合子の名を連ねてもいい)が日本的リアリズムの大家であったことは文学史上の事実である。日本のプロレタリア文学運動の輝けるリーダーたちの小説が、かれらが敵対していたはずだった志賀直哉の写実主義の忠実な申し子であるという遺産にわれわれは恵まれているというわけだ。かかる遺産を前にすると、帝国の末裔の愚かな一人であるわたしとしては、ここに「アイロニーにみちた奈落」を見出さないで済ませることは不可能なのである。そうではないか? そしてこれは今日にいたる在日朝鮮人文学の「伝統」と無縁ではありえない。一人の在日朝鮮人作家における自己と創作の問題を引き合いに出したがそこにはとどまらない。とどまりうるわけもない。……またしても問題を広げすぎてしまったようだ。本稿ではこれ以上の掘下げは断念されねばならない。
ただ一つ注意しておきたいのは、『火山島』がそうした連綿たる伝統のいっさいから背を向けた、しかしリアリズムの全体小説の志向だったという点である。その意味では、金石範が野間理論に依拠していったのは正しい選択だったのである。ここまでわたしは、植民地文学論という観点から、金石範の置かれた文学的状況がいかにこうした志向を貫徹しえない条件にみちているかを強調してきた。にもかかわらず『火山島』は書かれたのである。『火山島』は現前しているのである。作品の現前こそは数多の文学批評の右往左往をきっぱりと徒労に流し去ってしまうかのようだ。一個の幻想そのものが現実の総体の代わりに時間を占拠してしまった『火山島』であってみれば、これは当然の決着であるというべきだろう。リアリズムの意味が小説の全体と引き替えに反転させられてしまったのである。
なぜこのような作品が可能だったのか。おそらくわたしは『鴉の死』に怖じ気づいたときの数倍のおののきをもって『火山島』に相対している。書き終えた作家自身、完成することが《どうして可能だったのか不思議な感じさえする》(『朝日新聞』九七年十月一八日)と何やら薄気味悪いことを書いている。こんなさりげない一行にすらきらめいている石範氏のシュールリアルなユーモアはしかし、『火山島』全編において徹底して抑圧されている……。そのことも含めて『火山島』は奇跡の現前なのである。徒労を宣告された批評行為ではあっても、平仄は合わせておかねばならない。なぜ奇跡は成ったのか、なぜこのような作品が可能だったのか。かんたんな回答だけでも探り当てておかねばならない。 二つある。歴史の否定。そして故郷の否定。どちらもそのアイデンティティを作家は徹底的に蹂躙され否定し尽くされた。歴史の空白。そして望郷の想いの欠損。かれにそれを与えたのは脱植民地化過程の総体である。もはやくりかえしになるので、くどくは書かない。かれは否定されたものを奪い返そうとしたのみだ。徹底して否定されたので徹底して奪い返そうとしただけなのである。どんな範型もかれに示されているわけではなかった。かれは幻想のなかで歴史を構築し、幻想のなかで故郷を再現したのである。そこで存分に酔いしれ、蜂起の正当性を幾度も幾度も語ったのである。もしこのものが文学でないとしたら、文学の概念そのものが変わらねばならないのではないか。
かれが描いたチェジュドの風景はかつて見たこともない逆立的な望郷の歌を奏でなかっただろうか。『火山島』のおびただしい人物たちが背中越しに、数えきれないほどの回
振り向いた彼方にけぶる漢拏(ハルラ)山のたおやかな寝姿はどんなにか断念の美しさ彩られなかっただろうか。かれが描いた青年たちはどんなにかたびたび青春の途上・歴史の途上にあって「仕方のない正しさ」という暗い絵を見つめなかっただろうか。『マンドギ物語』の告白は幻想の激しさのなかで全的に蘇ったのである。4
本稿はプランとしては、ここからいよいよ『火山島』本編のなかにとびこんでいく予定だった。
わたしは『火山島』のデティールに関しては批判的に感じてきたし、それを書きつけてきた。その点はもっと具体的に展開するつもりで、論証に入る手前で結論だけを先行させてしまった部分もある。デティールとだけ書くと誤解を招くかもしれないが、デティールそのものの力には圧倒された。不審は別のところにあったし、実例抜きではこちらも批評のしようがない。長編ロマンのいちおうのあらすじも掴みだしておかねばならない。青年群像のそれぞれの役割と意味とを紹介していくことも必要だ。ある人物はあまりの長丁場を乗り切れずに途中で精彩を失ってしまうし、逆に、一人の人物は複雑な運命を引き受けすぎてほとんど人物としての統一像から逸脱してしまう。物語はプロットを持つが、歴史はプロットを必要としない、という言い方もできる。だとすれば、武装蜂起勢力が壊滅していき、虐殺が本格化する結末が決定的である世界は小説としてずいぶん制約のあるものだ。元も子もなくいってしまえば、一種の予定調和が青年たちを待ちかまえているだけなら、小説を読みすすめる興味はどこにあるのかと毒づきたくなるのも当然の反応なのだ。主人公は小説の中盤、魅力ある女にとらわれて引き回される。喪のヴェールを垂らしてソ
ウルの街を行く反革命集団「西北(ソブク)」の女に、ニヒリストの青年がぞっこん参ってしまうところはスリリングな感興にみちている。恋愛は成就されるがさて、この女の内部には期待したほどの危険なリアクションが見つけられないので、読む者はがっかりする。それに、この青年は身を灼くように女を欲しているのかあるいはたんに自分でそう思いこもうとしているだけなのかも、はっきり伝わってこないので苛々してくるのだ。
……こうした細かい点の吟味が残された枚数ではとてもできないのである。はしょって書けば、プロットに難癖をつけるだけに終わる。深めたいことはあるのだが、短くはまとめられない。ラストにいたって主人公は自分の身近にいた裏切り者を処刑するが、そこにはふつうにいう内的なドラマが充満されていないのだ。綿密に『火山島』のアンチロマン性を論証していけば、こうしたドラマの不在が理由あるものだと理解できる。だが結論だけ述べると、ロマンの失速を非難するだけに終わってしまう。青年たちの行動も意見も「歴史」のなかでは仮象にすぎない。それ自体では意味をなさないいくつもの虚無のかたまりなのだ。虚無はぶつかりあって音をたてる。群像は終局にいたってそれぞれ人物であることを解除されてしまう。もともとかれらはそうした道具であったようにその解除を受ける。先の引用で、わたしが「『火山島』が語っている」とアクセントを付けたのは、こうした観点からだ。むろん人物の一人が長々と語っているのだが、もはやかれが固有の個性においてそれを語る衝動を持っているというふうには読めないのである。
三部構成で考えると理解しやすいともわたしは予告したが、そのことを示す容量も当然に余っていない。
さらには『火山島』にも、夢が不吉な予感のように現われてくる場面は見つけられるが、それを紹介するスペースもない。夢も酔いも二日酔いも充分すぎるほど詰めこまれている。内的感覚の混乱は『火山島』の人物たちをも浸食してくる。とくに四・三蜂起に主人公の青年が震撼される前後に、かれを襲う錯乱の幻想シーンは出色だ。そうしたところも例示しながら鑑賞していくことはできない。
そして何より特徴的な達成についてももはや言及しえない。『火山島』は酒食の悦びについて描かれた徹底したレポートとして壮烈なものだ。ほとんどラブレー的といってもいい饗宴が涯てもなく繰り返され繰り返され繰り返される。「革命による虚無の超克」をテーマとしたと作者が豪語する小説の内実として、この野放図な快楽主義は奇怪に映る。だがおそらくこの作品ほど酒と食事の愉しみを具体的に喚起する小説は他に見当たらないと思える。酔いが訪れ、拡がり、やがては主体を変容させていくプロセスのじつにさまざまな諸相を、『火山島』ほど豊かに細やかにそして野間的な粘着力で描ききった作品はない。諸外国の作品にも類を見ないのではないか。ヘンリー・ミラーは、貧乏くさいセックスに励む孤独な男がその合間に世界を哲学する奇妙なドキュメントを書いて、世界に知られた。金石範は、酒食の快楽に点綴された革命と虚無とが渦巻く歴史を描いて、唯一無二の宇宙を構築したのである。読みに読んでもどこまでも終わりそうにない『火山島』を読みつつ、いちばんに困ったのはこうした小説世界がとめどなく、そして絶え間なく、酒を飲みたい欲望を刺激してきたことだ。これほどうまそうに作中人物に酒を飲まれて、自分も飲みたくならない読者は(アルコールを先天的に受け付けない体質の者は別にして)いないだろう。
じっさいはひどく飢餓状態をきたして読みつづけた。その擬似的な飢餓において、作者の歴史への渇望、故郷への恋厥の激しさがいくらかでも感得できていれば幸いである。快楽主義の謳歌は、やがては虐殺の一色に染まっていくだろう小説世界に仮にあげられた対抗イメージであるのだろうか……。そうしたことも例示しながら鑑賞していくことはできなかった。
ある程度、下書きは用意されているが、それを生かし敷衍していけば、たぶん倍の分量があっても足らない。もともとは『火山島』のみを対象としても、金石範文学の夢と時制の構造を分析する入口くらいで一段落するような見通しだった。――夢のリアリズムが自在に語られるのは『火山島』以外の作品においてである。したがって包括的な作家論はいまだ課題に置かれている。作者にたいしても読者にたいしても失礼は承知であるが他日を期したい――。などと口上を決めて終わりにできる予定だった。しかしながら……。その半分にも辿り着かないのに、この体たらくで、まったく面目ない次第である。「金石範のマジック・リアリズム」と題しながら、マジックにもリアリズムにも肉迫できなかった。本気で作家論をやれば一冊分全部は占めてしまう、といってみたいのはたちの悪い遠吠えにすぎない。『火山島』は青春の文学である。
小説はさいしょから始まってもいなかったし、したがって終わることもできない。この小説に費やされた時間は一種のありえない幻想の時制にある。この幻想はわれわれの住む現実の時間に、徹底的に非和解的に敵対している。毛穴から毛穴を通して奔騰する真っ赤な血の総量をもって『火山島』はわれわれの時間を否認するのだ。――帝国主義本国と
民地とでは、時計の針は同じに動かない。中枢諸国(メトロポリス)と衛星地域(サテライト)とでは、ときは同一に刻まれないのだ。
本国において空しくめくられてしまったクロニクルは、旧植民地にあっては黒々と塗りつぶされてしまった怨嗟のあとだ。終わってもいないしまた始まってもいない。『火山島』
は「別の歴史(イストワール)」を要請され、その民族的悲願によく応えた。欠損の激しさが小説から「別 の物語(イストワール)」を弾き飛ばしてしまったとしても、本国の尺度においてどうして客観的評定が下せよう。『火山島』はわれわれの引き裂かれた近代の無惨さに照応するように、名づけようのない作品だ。『火山島』のロマンからの背反をわたしは語りすぎただろうか。
じつのところ、この作品を在日朝鮮人文学の巨大な達成というカテゴリで考えることは避けたい気もしている。事実として在日朝鮮人文学であるのだが、別の独自の金石範文学のみが収まる棚を要求したくもあるのだ。代わりに用意されるのは、またしても、『鴉の死』に遭遇したときのあの異様な衝撃に残った「亡命者文学」という日本的には未知の魅力ある言葉だ。在日とはいずれにしろ「かくも長き耐えがたいまでに長き滞在」にすぎないのだとすれば、その命名は、こちらの主体を問われずには済まされないにしろ、外れてはいないと思える。暝い幽冥のなかをよろばい、破片に散らばった歴史体験を、気の遠くなるような鈍重さで拾い集めていく作業は、われわれ定在者の想像をはるかに超えている。
ともあれ偉業は成し遂げられたのだ。
在日朝鮮人文学という範疇にこだわるとすれば、『火山島』の位置づけは疑いもなく明らかである。このものは『火山島』の完成とともに歴史の一頁を終了したのである。べつだん騒々しくいうべき事柄でもない。断定は動かない。文学史の項目のいくつかの積み重ねがいずれ命題をはっきりさせるだろう。……とは、わたしは楽観できないから、機会あるごとにどこにでも書きつけておきたい。終わったのである。感慨も感傷もいらない。別の頁がめくられてきていることを否定する材料はない。崩れ去ったのではない。ただ歳月が降りたのだ。
ともあれ限定された意味でなら、『火山島』は日本の戦後史において都合よく「脱領域化」されてしまった脱植民地化過程のもっとも血なまぐさい本質を直視するための第一のテクストとして輝きつづける。
名づけようのないマジック・リアリズムの独自の鉱脈については、もし機会があるなら、ふたたび挑戦されるだろうと銘記することで、不充分な稿であるがいったんは閉じたい。レヴィジオン1号 1998.6