子供たちを救え
神戸の小学生殺害事件のさい、同種の事件がイギリスでも四年前に起こっていることが話題にされた。英国のケースでは、十歳の少年二人が二歳十一ヵ月の幼児を連れ出し、四キロの道のりを引き回した末、惨殺した。そして二人の有罪が確定したあと実名と写真が公開された。何かと「人権派」攻撃に引き合いに出されることの多い事件だが、その犯行の詳細を追ったノンフィクションが翻訳された。『子どもを殺す子どもたち』(デービッド・ジェームズ・スミス著、北野一世訳、翔泳社)である。安逸な比較によってヒステリックな感情論を正当化するよりも、まずこの本にあたって事実を直視するほうがいい。
著者はイギリスのジャーナリスト。できるかぎり少年たちへの感情を排して出来事の再現に努めている。二人の犯行に動機はない。だがある種の必然性はあった、と著者は証明したいようだ。貧困と家庭崩壊、そして劣勢遺伝のように連鎖する家庭内暴力(幼児虐待)と。まとめていってしまえば簡単だが、こうした環境に育っていく子供たちは内面的にはひどく不安定でありながら、大人をも出し抜く狡猾さによって武装していく。見てくれも精神も他の十歳の子供と変わるところはない。しかしかれらのなかには「怪物」が住んでいる(元も子もない言い方だが、うまく凝縮して言い表わせない)。かれらは一人の幼児を見つけ、迷子にさせてやったら面白いだろうと思い付く。親から引き放されたら車に撥ねられてしまうかもしれない。その様子を見物するのも楽しい……。などと最初はたんなる悪意。誘拐の意図まではない。四キロの道のりを歩くあいだに、それは引き返しようのない犯罪にまで膨れあがってくる。そして最後に「その荷物」を扱いかねてレンガをぶつけて「無力化」してしまう。下半身の着衣を脱がしていたずらを試みる。死体は線路に捨て、列車に轢斷させ「犯行」を隠そうとした。
この本の原タイトルは「理性の眠り」。《子ども時代は理性の眠りの時間である》という『エミール』の一節から取られた。力を尽くして「少年の心の闇」は照らされようとしている。しかし殺意と暴力の根拠を語ろうとする子供たちの言葉はあまりにも幼く、大人との接点がない。そのことが余分に痛みを残す。週刊金曜日1997.8.5