梶山季之の雲
流行作家としての梶山季之の軌跡は、斬り死にという印象が強い。言葉を変えれば、文筆労働者の頂点に立って「過労死」を死んだといえる。トップ屋戦士、性豪作家などと称され、高額所得者の上位を占めた。三日で一冊ぶっ書き飛ばした伝説すら残っている速筆で、どんな無理な注文も断らなかったと語り伝えられる。逆に考えれば、掲載スペースに穴があきかけたとき、常に梶山の仕事ぶりは重宝な切り札として頼られたのかもしれない。
一方で、梶山の作家的赤心は、「李朝残影」や「族譜」などの、故郷朝鮮を描いた作品に脈打っていたという定説もある。さらに、旧植民地朝鮮関連の膨大な資料収集もよく知られた事実だ。その梶山コレクションは現在、ハワイ大学に寄贈されている。朝鮮に生まれ香港に客死したコスモポリタン作家のイメージがあるわけだ。
資料渉猟は気宇壮大な大洋ロマンのための基礎作業だった。二百冊をはるかに上まわる流行小説を多産しながら、梶山は未完のロマンに己れの根拠を書き遺そうとした。このほど上梓された『積乱雲』(梶山美那江編、季節社)は、そうした作者の「果たさざりし志」を記録した千ページを超えるファイルである。朝鮮、広島、ハワイを結ぶトライアングルが、この大洋小説の空間だ。それは、近代の日本人が持った「海外」民族体験を、植民地あるいは「自由移民」というレンズから描こうとした試みだった。梶山の調査は概念的なものではなく、具体的なジャーナリスティックな感覚に支えられている。それだけハワイ移民、ブラジル移民へと拡大していく資料を統括していく視点を見つけだすことは困難である。しかし旧植民地だけではなく移民問題も包括した社会小説の構想は、日本文学のローカリティを打破する可能性を秘めていたと評価できるだろう。
『小説GHQ』や『カポネ大いに泣く』などが、エンターティンメントに終始しているとはいえ、わずかにこうした社会小説の拡がりを持っていた。梶山の積み残した仕事は、その資料の価値ともども惜しまれる。だがその遺志はいくつかの作業に受け継がれているようにも思える。BC級戦犯裁判を克明に追った浩瀚なドキュメントである岩川隆の『孤島の土となるとも』はその雄弁な例である。 『積乱雲』は、個人的なレクイエムの色彩が濃い記録だが、同時に、文学の無念についていろいろ考えさせる。週刊金曜日1998.3.1