2002年ミステリ概観 同時多発テロのあとに来る世界はどういうものになるのか。情勢は、ますますアメリカ〈帝国〉への一極集中をみせている。ブッシュ大統領のいわゆる〈悪の枢軸〉攻撃が秒読みの段階を思わせて、二〇〇二年は過ぎた。日本はイラク攻撃の「後方支援」と称してイージス艦をペルシャ湾に配備させた。イギリスのスパイ小説作家ジョン・ル・カレはブッシュ政権と石油メジャーの「癒着」を激しく非難する一文を雑誌に載せた。ル・カレがパセティックに指摘するように、「アメリカが(記憶するかぎり最悪の)狂気の時代に突入している」かどうかは異論もあろうが、現代最強の〈帝国〉の動向が世界大の狂気を引き起こしかねない瀬戸際をみせていることは、だれにも否定できないだろう。
英米ミステリを中心に消費するわが国の市場も、そうした時代色を濃厚にこうむらざるをえない。ブッシュ・ドクトリンのスポークスマン(?)であるトム・クランシーの作品は(共著もふくめて)今年も大量で、計五点が刊行されている。戦争が一種のキーワードとして現在の作品をおおっているというのは極論だが、そこからいっさい無縁であると主張することも空想論におちいりかねない。
さてミステリ界の一年に焦点を合わせて回顧すれば、第一の事件として、笹沢佐保と鮎川哲也の逝去があげられる。かたや最大量の著作数を記録し、時代もの風俗ものと多彩に書き分けた人気作家。かたや本格一筋の作品軌跡を残した「本格の鬼」。セレモニーをふりかえれば、横溝生誕百年、清張没後十年、新本格十五年と、さまざまな区切りも話題になったが、二人の大家の死の「事件性」がそれらを凌駕したようだ。
新本格十五年のかたわらには、常に大きく鮎川の名が象徴的に置かれていたわけだが、それとは別に一冊の翻訳ミステリが大きく評判を読んだことも、十五年祭典にふさわしい風景だった。ポール・アルテ『第四の扉』(早川書房)。さして特筆するまでもない作品が一種の事件たりえた理由は、次の二点にある。一、アルテが「ロマン・ノワール、シリアル・キラー、郊外といったフランス・ミステリの現代的流行に逆行して」あえて謎解き型を選んだこと。二、そしてその第一作『第四の扉』が綾辻行人のデビューと同年だったこと。十五年をおいての初紹介となったわけだが、「フランスのディクスン・カー」なる称号はご愛嬌で、日仏のポストモダン文化に発現した興味深いシンクロニシティに注目するべきだろう。
以下、翻訳作品から目立ったものをあげておこう。
SF作家として高名なJ・G・バラードは、昨年の『コカイン・ナイト』につづいて『スーパー・カンヌ』(新潮社)が紹介された。高級リゾート地に展開するバラード的悪夢。夢幻的リアリズムの両作は双子のように似ているが、ミステリ要素は後者に整備された。ミステリ・タッチの実存小説からより平明なサスペンスに移行している。これも、SF、ホラー系で一家をなしているダン・シモンズは、『ダーウィンの剃刀』『鋼(はがね)』(ともに早川書房)『諜報指揮官ヘミングウェイ』(扶桑社文庫)と、いづれも作風のことなる冒険アクションが三作ならんだ。ホラー系で出立したジョー・R・ランズデールも評価が定着し、『アイスマン』(早川書房)、『人にはススメられない仕事』(角川文庫)にくわえ、旧作の『テキサス・ナイトランナーズ』(文春文庫)が出た。ジェフリー・ディーヴァーも、映画化された人気シリーズの新作はなかったが、『死の教訓』(講談社文庫)、『青い虚空』(文春文庫)で人気を保った。ロバート・ラドラムは、遺作となる『シグマ最終指令』(新潮文庫)の他にも共著二点を数えた。ベスト作『暗殺者』が原タイトルの『ボーン・アイデンティティ』で映画公開されることもあり、ラドラム的謀略史観の人気は今も根強いようだ。
スティーヴン・ハンター『最も危険な場所』、クレイグ・ホールデン『ジャズ・バード』(ともに扶桑社文庫)、T・J・パーカー『サイレント・ジョー』(早川書房)、R・N・パタースン『最後の審判』(新潮社)、ロバート・クレイス『破壊天使』、マーティン・クルーズ・スミス『ハバナ・ベイ』、グレッグ・ルッカ『暗殺者(キラー)』、ロバート・ゴダード『今ふたたびの海』(以上、講談社文庫)、ピーター・ストラウブ『ミスターX』、ミネット・ウォルターズ『囁く谺』(ともに創元推理文庫)、マイケル・スレイド『髑髏島の惨劇』、D・W・バッファ『審判』(ともに文春文庫)、シェイマス・スミス『わが名はレッド』(ハヤカワ文庫)など。
初紹介では、ジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗の農場』(創元推理文庫)、ジョン・コラピント『著者略歴』(早川書房)、ブラッド・ソー『傭兵部隊〈ライオン〉を追え』(ハヤカワ文庫)、デイヴィッド・K・ハーフォード『ヴェトナム戦場の殺人』(扶桑社文庫)など。
旧作、未訳復刻に移ると、前年からつづいてアントニー・バークリーの勢いがすごい。『レイトン・コートの謎』(国書刊行会)、『ウィッチフォード毒殺事件』、フランシス・アイルズ名義の『被告の女性に関しては』(ともに晶文社)が並ぶ。いずれも、「ひねくれた古典作家」が迎えいれられる今日のミステリ・シーンの特異さを語ってあまりある。次はヘレン・マクロイで、『家蠅とカナリア』(創元推理文庫)、『割れたひずめ』(国書刊行会)がならぶ。ビル・S・バリンジャー『煙で描いた肖像画』は、二社(小学館、創元推理文庫)からほぼ同時に刊行された。他に、ジム・トンプスン『死ぬほどいい女』(扶桑社)、パーシヴァル・ワイルド『探偵術教えます』、ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』(ともに晶文社)、グラディス・ミッチェル『ソルトマーシュの殺人』(国書刊行会)、ポール・ギャリコ『われらが英雄スクラッフィ』、ジェフリー・ハウスホールド『追われる男』(ともに創元推理文庫)など。
国内作品に先立って特筆しておきたいのは、『幻影の蔵――江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』(新保博久、山前譲編 東京書籍)である。伝説の「蔵の中」乱歩の書庫の映像がCD−ROMにデータ化され、ゲーム感覚でそこに立ち入り、探検することが可能になった。
作品的にふりかえれば、本格系の波の勢いにどうしても関心を奪われる。原書房の「ミステリー・リーグ」シリーズは順調に巻を重ね、さらに、文藝春秋が「本格ミステリ・マスターズ」を立ち上げた。後者からは島田荘司『魔神の遊戯』、山田正紀『僧正の積木唄』などが出ている。新本格十五年がたんなる記念のお題目ではなく、新たな潮流の胎動を感じさせる。
長くミステリから遠ざかっていた連城三紀彦が『白光』(朝日新聞社)、『人間動物園』(双葉社)を送り出した。笠井潔は『オイディプス症候群』(光文社)、山口雅也は『奇偶』(講談社)と、久方ぶりの大作を問うた。笠井は小説と同時刊行の評論『探偵小説論序説』(光文社)でも、精力的な主張を展開している。また、貫井徳郎『殺人症候群』(双葉社)、歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』(角川書店)の達成は、狭い意味の本格にとどまらず、ミステリ全体の可能性を試す水位を示してみせた。一方、有栖川有栖は徹底してオーソドックスな謎解き『マレー鉄道の謎』(講談社)を問うた。有栖川は文庫解説などを集めた評論集『迷宮逍遥』(角川書店)も出した。
本格の思考遊戯が一種の流行現象(局地的な)を呈することによって、不純なパロディ志向が目につくことも否めない。力ある書き手による模索によってさまざまな可能性が試されている。新本格十五年の象徴的名前となっ綾辻行人はホラー『最後の記憶』(角川書店)を出した。
また、二〇〇二年度日本推理作家協会賞受賞の山田正紀『ミステリ・オペラ』、古川日出男『アラビアの夜の種族』はそれぞれ、本格ミステリ大賞(前者)、日本SF大賞(後者)をダブル受賞している。
他に、打海文三『ハルピン・カフェ』(角川書店)、新堂冬樹『溝鼠』(徳間書店)、松井今朝子『非道、行ずべからず』(マガジンハウス)、西木正明『冬のアゼリア』(文藝春秋)、大沢在昌『砂の狩人』(幻冬舎)、真保裕一『誘拐の果実』(集英社)、桐野夏生『ダーク』、横山秀夫『半落ち』、福井晴敏『終戦のローレライ』(以上、講談社)などがある。特に福井作品はスケール雄大な戦争小説の収穫である。
新人では、柄澤齊『ロンド』(東京創元社)、日明恩『それでも、警官は微笑う』(講談社)、横溝正史賞の初野晴『水の時計』(角川書店)など。旧著復刊も、鮎川哲也、土屋隆夫、松本清張を始め、点数はキープされている。
さてミステリはどこへ向かうのか。乙一の『GOTH』(角川書店)への反響にみられるような、新しい読者層にどう対応するか。いまのところ、この点は本格系を中心とした議論に限られているようだが、さらなる視野の拡大が必要だろう。たんに、電子メディアと旧来の活字本世界の分断という視角にとどまらない議論が――。
もう一点、気になるのは、デフレ・スパイラル現象の一貫として、百円ショップのチェーン店で、百円ミステリの新刊が現実化していることだ。旧作を「衣替え」しただけのものもあるが、このシリーズによってデビューした新人もいる。新古書店に出回る百円均一本とは違った意味で、「活字本崩壊」の現在の一駒を映している。
最後に、評論では、高山宏『殺す・集める・読む』(創元ライブラリ)、小倉孝誠『推理小説の源流』(淡交社)、東雅夫『ホラー小説時評』(双葉社)、野崎六助『高村薫の世界』(情報センター出版局)などがある。評論は活況を呈したといえよう。
文藝年鑑 2003年版 新潮社