読者に対しておのれの位置を鋭く問うような本がある。そのような本はまれである。だが、そのような本に遭遇したとき、読者は、おのれがいまだその本の読者たりえていないこと、その本が固有の仕方で指定する受信の位置をさぐり当て、それに応じてある新しい読み方を発明するまでは、本当の意味では読者たりえないことを痛感する。読むという経験は、経験という言葉の強い意味では、そのときに始まる。
このような本はまれである、とりわけ同時代の著者の仕事には。
読者の位置にかかわる要求のこのきびしさは、しかし、当の本の言葉がなんらかの不動の位置から発せられることに由来するのではない。発信の位置が固定した、硬直した、確定可能な場所ならば、受信の位置も、いわばおのずと決まってしまうからだ。そうではなく、当の本の言葉自体が、おのれの位置を、ある特異な強度で探し求めることを止めないとき、不動のまま、全速力で迷走しているようなとき、その眩暈の外部に留まるかぎり、読者はついに読者たりえないのである。
繰り返そう。このような本は同時代の著者の仕事にはまれである。しかしそれは、われわれの時代がとりわけ[乏しい時代]だからではない。少なくとも、理由はそれだけではない。それは、ラディカルなテクスト経験を、「世代的共感」(あるいは「反感」)が、あるいは「世代間」の確定可能な偏差が、つねに阻害しにやってくるからなのだ。こうしてあらゆるテクストが、読まれる以前に、肯定的にであれ否定的にであれ、「了解」されてしまうからなのだ。
野崎六助の『物語の国境は越えられるか――戦後・アメリカ・在日』(解放出版社)は、このような安易な[了解]を拒絶する、同時代にはまれな本の一冊である。もっとも、この言い方には、どうしても、ある逆説の影がつきまとう。なぜなら、野崎が世代経験の固有性に対するきわめて鋭い、熱情的とも言える感覚の持ち主であることは、彼の仕事に始めて触れる者にもただちに感じられるはずだからだ。だが、この本の、とりわけその第一章「戦後批評史、アジアが視えない」の驚くべき達成は、著者がみずからの世代経験を手がかりに他の世代の経験の「内部」にわけいり、その質を、振幅を問い直すことを通してついには「世代」という形式自体に対する批判的視座を手に入れていることなのだ。そして、まさにそのことによって、読者の側にも、それぞれの世代的定住性から身をもぎはなすことを否応なく強いることなのだ。
「世代」とは何か? この本には、この問いを正面から提起していない個所でも、暗にこの問いに裏打ちされていない文章は一つもないと言ってよい。だが、「世代」とは何か? それはある時点に生を享けたという偶然的な自然的事実の所産なのか、それとも、徹頭徹尾文化的な制度なのか? 人はどのようにしてある「世代」に帰属するのか? この言葉に充填された法外な力はいったい何に由来するのか?
だが、設問のこのレベルでわれわれは、「世代」の本質の問いが「民族」のそれと、少なくともここまでは、形式的にほとんど同型であることに気づく。generationもnationも、いずれも「誕生」にまつわる表現から派生した言葉であり、抗事実的に自己を主張して止まないある種の「自然」性をその本質的述語として持っている。言い換えれば、「世代ナショナリズム」という表現には、おそらく、単なる比喩を超えた何かが含まれているのである。
野崎六助が「このもの」と書くとき、彼はどこにいるのだろう? 何をしているのだろう? この「ナショナリズム」の「内部」から語っているのか、すでにその「外部」に身を置いているのか? 「内部」と「外部」の間に一本の単純な境界を引いているのだろうか?いずれにせよそれは、野崎の固有語法のうち最も注意を引く表現である。
指示形容詞の文体的政治性はよく知られてる。党派的共犯性を組織する特権的な指示形容詞はむしろ「あの」だろう。「この」によって指示された対象は、読者に共犯関係を強いるには著者との距離が近すぎる。それは「内部」をいっそう固有化する。そのことでかえって「内部」の安定は崩れてしまい、そこにある不思議な、測りがたい距離が生れてくるのだ。野崎のテクストにおいて興味深いのは、実は、このようないくつもの「距離」の生成なのである。
《戦後文学は忘却に蝕まれていく記憶を正そうとした。このものは従来の日本近代文学に背反した。『内なる異国』の文学と称された。戦後を用意したあらゆる犠牲、夥しい死者の列、遠い国での従軍体験、植民地で営まれた生のかけら、……そうしたものは未回収のまま、伝統的文学と対峙した》(「物語がそこに蹲るとき」)
《思想の不吉で暗い影。このものを、竹内好にならって《十五年戦争が形成した一つの精神の型、しかも優秀な型》と想定することはできる。そして『関係の絶対性』を、《ぼくは秩序の敵であると同じに君達の敵だ》という認定と、等号で結びつけることもできる。更には、このものを大衆との無媒介な幻想、あるいは大衆の原像との無媒介な幻想と規定することもできる。吉本はここで自分の宿命的な顔貌と向かい合っている》(「プロレタリア文学の旗のもとに」)
《かくて党は、知識人・文学者のシンパシーそのものから、すべて紐帯を切って捨てることになった。党への帰属意識や粘着感は、由来、不可解な文学的標本箱への索引の一つに化してしまった。だが、このものを埃をはたいて引っ張り出してくることなしには、戦後批評史の決定的な局面は把握できないのである》(「擬政の終焉以降」)
見られるように、ここには、「戦後文学」、「吉本思想」、「党」といったこれらのものの内実と、「このもの」という表現から生ずる「距離」との間に、ある二重化された関係が、相互に反照しあう関係が定型的に成立している。これらのものはいずれも「距離」の悲劇であり「距離」についてのある経験と解釈に基づく思想であるがゆえに、これらのものとの近接性を、しかし可視化された「距離」として構成することが、あたかもこの著者にとって、これらのものに十分批評的でありうるためにどうしても必要な挙措であったかのようなのだ。
この特異な批評的運動の軌跡をたどることで明らかにされることは何か? まず第一に侵略戦争に応召した世代が戦後の諸世代の原基であり、彼らの経験の語り方、語られ方が、その豊かさと貧しさの、沈黙と饒舌の両極間の巨大な振幅そのものにおいて、特殊戦後日本的なあらゆる「世代」経験の下地になっていることである。したがって、この世代の物語は、つねに、喪の語りであり、国民の語りである。ところが、この世代の特殊性は、いつしか、世代というものの本質的属性へと転化された。だからこそ、ポスト「戦後五〇年」の今、「世代」間の境界は越えられるかという問いは、「世代」という形式自体への批判を通して、本書のタイトルである「物語の国境は越えられるか」というもう一つの問いに重ならなければならないのである。
《在日朝鮮人文学が一貫して、そして今となっては代行的に、二律背反を負わされているのは、繰り返しになるが、このものが事実としても出立としても、背理である他なかったからだ。政治は南北分断というにとどまらず、南北各々に政治指導部が反対派から暗殺もしくは粛清を受けるという内部分裂の軌跡を描いている。在日とはこうした四分五裂をそのまま反映せざるをえない様態だった。そして反映せざるをえないにもかかわらず、分断された祖国は、このものを認知しないのだった》(「迷走する在日」)
「在日朝鮮人文学」を「このもの」と名指すときの著者の心のふるえ(「わたしを戦慄させるもの」)を感じ取ろうとすることは「世代的共感」の誘惑に屈することだろうか? しかし、この対象こそは、日本人のある一「世代」の特権的経験の対象としてはならないもの、けっしてそうはなりえないものだろう。野間宏の死に際して「わたしは戦後文学者ほどに頑固な同質性を形成した世代を同世代として持ちえたわけではない。だが文学生活における父性には恵まれた」(「おおゼノン!酷薄なゼノン!」)と記した野崎が、「在日朝鮮人文学は特権的テーマではない。何故これが己れのテーマであるのか、少なくともわたしは簡明直截に語ることができない」(「戦後・アメリカ・在日」)とも書くとき、そして同じ文章のなかで同年(一九四七年)生まれの日系アメリカ人女性ノーマ・フィールドとの距離を慎重に、厳密に測定していくとき、私たちは彼が、問題の所在に十分自覚的だあることをあらためて知らされる。
野崎六助が「このもの」と呼ぶものは、すべて、後続の“世代”に、「世代」なき世代に伝達されなければならない。その不可能性の可能性に、祈りにも似たこの本の全パトスは賭けられていると言っていい。そのために見出されるべきものがなおあるとすれば、それは、アポリアを、決定的に未来を閉ざされた出口のない悲劇をそのままの強度で喜劇に反転する力、映画『アンダーグラウンド』がみせつけた、ヨーロッパではおそらくセルバンテスに遡る反時代性の巨大な「狂気」の力ではなかろうか。本書で扱われたテクストでいえば、花田清輝が日本の過去に探し求めて果たせなかったもの、梁石日の「迷走」のうちに電光のように走ることのあるもの、北米黒人女性の最良の作品のなかには確かに息づいているもの、そのような「狂気」が批評を見守り始めるとき、ある不可能な未来が「このもの」たちをきっと訪れるに違いない。鵜飼哲 『抵抗への招待』 みすず書房1997.9より