国家と権力に凶弾を撃ち続ける  梁石日

 野崎六助の広範な批評は独特の切り口を持っている。その基底には帝国主義本国に対する徹底した批判と挑戦があり、同時に従来の左翼的言説をも批判の対象とする。戦後文学は結局のところ膨張を続ける経済大国日本のアジアに対する侵略を許してしまったと野崎は見る。
 「戦後批評は宿命的にアジアが視えない、視ることのできない形式である」(『物語の国境は越えられるか』)と書くとき、近代文学と戦後文学は本質において共犯関係であったことを野崎は厳しく問うのである。日本の近代化を精神的に支え、見事に翼賛してきた近代文学を徹底的に批判し破壊すべきだったはずの戦後文学が、近代文学の美意識と言語空間をより深化させて純文学(特に私小説)の脆弱な自我の世界にみずからの左翼性をおもねさせてきたのだ。だから戦後文学は戦後の一時期をのぞいて、近代文学の美意識を破壊し新たな言語空間を創造することはできなかった。それどころか戦後文学の左翼性は教養主義と啓蒙主義にとらわれて自家撞着の深い穴に自らを閉じ込めてしまった。「アジアが視えない、視ることができない形式である」とはこのことである。

 野崎が『空中ブランコに乗る子供たち』や『北米探偵小説論』で精力的に展開してみせた世界は近代文学と戦後文学に対する挑戦でもあった。もとより現代文学の危機はその結果である。野崎が『大藪春彦伝説』で「大藪春彦は生涯にわたって自分を棄民と自己規定し続けたのだ。その認識に従って暴力物語を量産しつづけたのだ。外地系日本文学(戦後の作家の多くは旧植民地に生を享け、その出自によってある独特の文学的エコールが形成されている)の蜂起のイメージを一生かかって物語り続けたのである。このような存在を日本の文学史はただ一人も他には持っていない。彼に正義があることは、かつての棄民を生んだ帝国主義の歴史構造が相変わらず廃棄されていないという点によって今も証明され続けている」と大藪春彦に最大のオマージュを奉げるのも、この一点においてである。
 異端は時代を切り開くというが、この徹底した異端は戦後の大衆文学において屹立していた。戦後文学の左翼性と純文学が忌み嫌っていたハードボイルドというおぞましい世界で国家と権力に対したった一人の「戦争」を持続してきた大藪春彦の孤独と絶対の確信に野崎は日本文学の突破口を見るのである。
 脆弱な自我は切捨てねばならない。緩慢な日常を生きる者にとって国家と権力は保護者の役割を演じ続けるだろう。光の中にいる者は闇の中にいる者の姿を視ることはできないが、闇の中にいる者は光の中にいる者を視つめている。アジアが日本を視つめているのだ。だが、光の中にいる日本は闇の中のアジアを視ることはできない。もはや思い出すこともできない戦後五十年という不可逆な時間の推移は大藪春彦を一過性の異端として葬り去るのだろうか。否である。それを許してはならないのだ。野崎が大藪春彦論を全的に展開してみせたのもそのためである。戦前・戦後を通じてこの百数十年の間に形成されてきたいびつな内なる日本的自我を葬ること。でなければ近代的自我の超克など机上の空論にすぎない。
 江戸川乱歩は大藪春彦の『野獣死すべし』の主人公伊達邦彦を『大菩薩峠』の主人公・机龍之助であると直感的に断じている。そして野崎も江戸川乱歩の直感的な見解に驚きをもって同意している。しかも最近、作家や批評家の間で『大菩薩峠』が読み直されているが、この傾向は何を意味するのか。おそらく伊達邦彦を机龍之助の「現代的転生」として読まれているかどうかは疑わしい。戦後五十年の間につくり出してしまった巨大な空虚さに浮遊しているニヒルな気分が机龍之助という奇怪なヒーローに興味をひかれるのか。大藪春彦が戦後一貫して日本的自我に凶弾をぶち込んでいるのもわからずに。

『異端は未来の扉を開く』アートン1999.3 より



棄民と親殺しをめぐって    長谷川靖

 野崎六助がその2冊目の著書にして、最初のハードボイルド小説論集『獣たちに故郷はいらない』を刊行したのは1985年のことだった。その序章において語られた「総和と消去。/計算することもできない加算。不可能性の彼方にある加算、それはすでに、ただどうしようもなく生の瞬間々々が減算されてあることの換言でしかないのではないか(中略)消去される人間を、統合過程、同化過程にある民族と等記号で結ぶことは可能である。(中略)そうである。このように人間は消去されていくのだ」という実に蠱惑的なテーマ設定のもとに、USA、日本帝国内における暴力とその対抗暴力としての、あるいは抵抗にすらなり得なかった抵抗としての文学を論じ上げたこの書物において、最も多くのスペースを割いて論じられたのが大藪春彦であった。
 それから十年の月日を挟み、今年2月26日(どうでもいいことだが、わたしの誕生日である)の作者の死去をきっかけに、野崎六助は再び大藪ワールドへのフル・コミットメントを行った。それが本書『大藪春彦伝説』である。
 第1章のヒーロー像分析、第3章における全作品解題への取組み、第4章での戦後史実との対応に挟まれて、もっとも大きな部分を占めるのが第2章「獣たちに故郷はいらない」である。ご覧のように11年前の本と同じタイトルを頂いている。ただしそのまま再録されているわけではなく、その後10年間の大藪の著作活動を受けた上での全面的な新稿となっている。しかし同じだ。原稿の量や、取り上げる作品が変わっていても、何も変わっていない。野崎六助が言っていることはそういうことなのだ。大藪にとっても野崎にとっても極めて名誉なことに、大藪春彦の文学とはその出立から終了まで「獣たちに故郷はいらない」とだけ言い続けたものだったということなのである。
 ならば獣とは何か、それは例えば「自分の尻の下で物体と化している女について、死んだ後もまだ残っているだろう利用価値を徹底的に計算した」伊達邦彦の姿である。ただ生きるためだけに生きているもの。その目的のために自らの肉体と知性を鍛え上げ、銃や車といった道具を操る技術を高めていく。仮に小説の中で金や名誉といった、差し当たって具体的な目標が設定されていたとしても、決して彼らはそれに飢えているわけではないのだ。そしてかれらにとって、故郷とは「ない」ものではなく、あくまで「いらない」。熱烈に否定し、拒否し、できるならばそれを滅ぼし尽くしてしまいたい対象であるのだ。
 野崎六助にとって大藪春彦とはあくまで「棄民」された植民者の文学のジャンルに属する作家である。それは必ずしも幾つかの類似点や共通項によって括られるものではないが、少なくともかれらは自分たちがかつて間違いなく「棄てられた」のだという事実に基づいた喪失感、不信感を所有している。大藪はかれらの典型というわけではないが、少なくともその突出した表現者であった。
 野崎は繰り返す、執拗なまでに繰り返す。大藪は戦後日本に対してたった一人で戦争を挑み続けていたのだと。「棄民」子弟は自ら人であることをも棄て、獣となった。それは戦争のためである。「赤子」を棄て、時にその血肉さえも食らってまでも生き延びた「親」としての日本国家。棄てられても生き延びてしまった子供たちが成すべきことは、その親を殺すことでしかない。実は野崎六助という批評家=作家はその出発から現在に至るまで、ひたすら「失敗した親殺し」を見つめ続けてきたのだった。そう、まるで魯迅のように「子供を救え」と叫び続けてきたのだ。そして大藪も、大藪のヒーローたちもまた、彼らがこしらえた幾万もの血河屍山のなかに、ついに「親」の屍を見つけることはなかったのだ。そしてそこではただ棄てられた死骸の数字だけが消去されたのである。

スタジオ・ボイス1996.11