第八回 十月十一日〜十四日 奈落の底
幻覚の世界にいてほとんど眠らなかった。肉体は現実にとどまり、反応を示す。だがそのレベルは本人にはまつたく別のステージとして知覚されていた。
十一日に髄液検査、二回目。睡眠薬を与えられたが、眠らず。
医師も急激な病状の悪化にとまどっている様子。手術の危機はなくなったにしても予断を許さない状況はつづいている。
これまでの治療法が間違っていたのではないか――。当然の疑問は出てくる。自然とJは医師を問いつめる格好になる。医師の答えは、脳炎の治療法は他にない、というものだった。きわめて特殊な病状だという「診断」もこのさいに下されたのだろう。
まあ、人の数だけ病例もあって不思議はないわけだ。
現実と幻覚が混淆している部分はあるが、幻覚のレベルは主観的には連続している。ほとんど記憶している、という意味だ。現実の進行はそのつど、幻覚の「物語」に翻案されてつながっていく。現実の世界では脈絡のないことを(他者との接点はいっさいなしで)しゃべりつづけている。現実のレベルと幻覚のレベルとに、二重に「存在」していたのだろう。こちらの主観では、それらはあくまで一つだった。現実のレベルはわたしには「夢のように」しか知覚できなかった。うつらうつらする意識に途切れとぎれに浮いては消える夢のようにしか――。
幻覚は一つの長大な物語だった。堅固に構築された物語にはほど遠い。ただ長いだけの、瀕死の蛇のような、切れ目のないストーリーだ。話がもたなくなると、派生的なエピソードがすきまを埋める。行き当たりばったりに引き伸ばされる「大河ドラマ」そのものだった。しかし体験している(けっして「見ている」というだけでは済まされなかった)当人にとっては、あまりに痛烈な大河ドラマだった。人は死の前に自分の人生を巻き戻すようにすべてを「見る」という。わたしが直面した幻覚とは、まさにそうした(終わりのない)巻き戻しだった。これまで会った人間のうち、すでに忘却の彼方に消えていた人たちがぞろぞろと現われてくる。彼らが互いに旧交を暖めたりする場面が、次つぎと際限もなくエピソードをつくっていく。そうした偶然の繰り返しだけでも不自然で、わたしに大きな脅威を与えてきた。
二度と起こらない「人生の巻き戻し」の機会だからこそ、こんな忘れ果てていた人たちまでが後からあとから登場してくるのではないか。?
ストーリーをここで再現することまではしない。退屈きわまりないし、その価値もない。何もかもわたしのなかで残っている、といえば充分だろう。
プロットの中心は自分だ。自分の死。
あらゆる者がわたしを殺そうとしていた。長い物語がたまさか横道に逸れようとも、中心は少しも動かなかった。
被害妄想のたちの悪さについては多少の心当たりはあった。初めてこの種の物語に苦しめられたわけでもない。しかし今回は格別だった。この幻覚は現実そのものだったから。
現実と幻覚との境界がとりはらわれていたのだから。
こんな場所にたたき落とされたのは初めてだった。これまでは、どんなにわずかなものであっても、見ているシーンが幻覚――夢にすぎないことを「知っている」基地が頭のすみに必ずあった。逆にいえば、その基地の存在を信じていたから、わたしは、悪夢を楽しむことができたし、いっそういえば、悪夢を仕事の糧にしてきたのだ。『前世ハンター』の「眠り男」は、ほとんど純粋にわたしの悪夢の切れ端から造型されたキャラクターだ。レプリカントにしたほうが自然だったが、「人間」扱いしたのは、彼がわたし自身の陰画だったという理由による。――そうした創作の養分の安全ネットが突き破られていたのだ。自分の安全を確保する「現実の基地」が喪われていることを知った驚きはいかばかりだったか。「それ以外の」場所がどこにもないと気づいたときの狼狽は……。
幻覚に嵌まっていたということで誤解している人がいるけれど、わたしは、白昼夢を見たり、日中にだれかの声を聴いたり、いもしない者のすがたを見たりすることはない。その種の精神疾患を持っているわけではない。べつに「精神病者」でないことを声を大にして訴えたいのでもないが、話は正確にしておきたいだけだ。見たのは長い夢だ。じっさいには眠っていなかったにしろ、夢を見るように幻覚のレベルに堕ちていったのだ。四日間の幻覚に、眠って見る悪夢とさして本質的に違ったところはなかった。
恐ろしかったのは、長すぎたからだ。
いつまでも終わらなかったからだ。
そしてそれが現実を侵食していたからだ。
――それを夢だと規定する確固たるベースが喪われていた。夢から醒める場所がなかった。いつまでも醒める気配もなかった。
展開が低調になると、また旧知の者が新たに登場し、いくつもの再会のエピソードを配して、ストーリーはだらだらとつづいていく。中心点は変わらない。わたしを殺そうとする部隊は、およそ三つの部分に分かれていく。協力しあうことはないが、敵は増えるばかりだ思わせる。恐怖が最大値に設定されたままのネバーエンディング・ストーリーだ。
悪夢のきっかけになるものは、病院の現実にいくらでもあった。
前段階的なものは、5AのHCで昏睡から醒めたときにやきついた情景ではないだろうか。いったい自分がどこにいるのか、また何故そこにいるのかわからなかった時間。恐怖はそのあたりから醸成されていたと思える。
そしてごく断片的なものもある。例えば、病院食のポリプロピレン製の食器やお盆。これは痙攣を起こす直前に視界にあったわけだから身近に出てくる。わたしにかつての職場を想い起こさせた。その結果、コックをしていたころの現場が脈絡なく夢のストーリーに組みこまれてくる。あまりおだやかな場面ではなく、脅迫的な色合いをもって、だ。どんなものかというと――大抵は客が殺到して混雑したときの模様に決まっている。レストランでも食堂でも同じだが、休日など特別に忙しいいっときがあり、これを「ラッシュ」という。追い回されて、身体も目いっぱい酷使するが、精神的にも朦朧として意識を半分喪ったみたいな状態になる。関西弁では、これを「ウロがくる」という。ウロがくると、まわりで何を言っても気づかないことがある。夢に蘇ってくるのは、こんな有難くない情景ばかりだった。
それは背景の場面をつくるだけだ。メインは変わらず、わたしは、わたしを殺しに来る者に追われていた。この恐怖に追い立てられて、わたしはふつうなら考えられないほどの力を発揮している。「わたしの現実」(幻覚)では逃げなければならなかった。だが現実(わたしの幻覚におけるなかば「幻覚」)においては、わたしはベッドに縛りつけられていた。――ここからとんでもない行動が現実のレベルでとびだす。
まず、身動きできないベッドから脱出した。少なくとも二回。正確には何日のことか、わからない。
いちどは九時消灯の後。みなが帰ってからだから、十一日のことらしい。幻覚のストーリーも、この日に集中していたとも考えられる。
深夜の時間帯は、看護婦さんも三人か四人の体制なので、ひとりだけ特別に看てもらうことはできない。監視カメラが28号室に設置された。そこに、ベッドを脱け出し、表に面した窓ガラスを叩いているわたしが映ったのだ。
腰ベルトを必死で外そうとしていた記憶は、幻覚のストーリーのなかでもハイライト・シーンみたいにして残っている。あるいは腰ベルトをすり抜けようとした。腰ベルトは容易に外したり、すり抜けたりできるものではない。全神経を傾けて、そこから抜け出したのだ。ベッドに縛りつけられていたことを治療のためと了解する理性はまったくはたらいていない。「自分が囚われの身で、いましめから脱さないと殺されるだけだ」という解釈があるのみだ。どんな盤石な腰ベルトであろうと、命がかかっていれば脱出できるという実例?
問題は他にもあった。尿管だ。縛られているだけでなく、さまざまなチューブにつながれていたのだ。尿管と尿パックを慎重に取り扱わなければいけなかった。これも、幻覚のストーリーのなかで苦労したのを憶えている。尿管を無理に引っ張って外すと、たいへんな痛みと出血を伴うとおどかされていた。何回も聞かされたような気がする。ということは、じっさいに外そうと試みたのだろう。
ベッドから降りて窓ぎわに行ったとき、尿パックも片手に持っていたらしい。記憶にはないが、それが理にかなった行動だ。窓は当然のことに、両サイド五センチずつしか開かない。そこから脱出するつもりだった。なぜか病室は一階だと思いこんでいた。ところが夢で憶えている窓外の風景は、高い階からの、とても外には出られそうもない、きりたったものだった。この光景は、現実の七階の病室の窓からのものとよく似ている。
窓から飛び出そうとして、監視カメラに捕らえられたことは、現実レベルの事実だった。否定する材料がない。
幻覚のストーリーのなかでは、これは必死の逃亡なのだった。いつの間にか部屋を移動させられて、窓からは脱出できなくなる。
廊下側のドアが視界にへばりついて離れない。開いている時もあれば、閉められている時もある。閉まっている時、人の影が見えたり、気配がすることが恐怖だった。これは、現実のレベルでいえば、簡単なことで、要注意患者を当直医や看護婦さんが気にかけている結果だ。だがそのすがたは、こちらのストーリーでは、「とてつもない大男」がわたしを襲うチャンスを狙って潜んでいる、という具合に翻案される。男はなぜか様子をうかがっているだけで入ってこない。そのことはわたしを安心させるどころか、恐怖を引き伸ばしてくる。廊下に人通りがあるので、男は入ってこれないだけだ。
「今のうちに逃げなければ……」
その想いにどれだけ駆り立てられたか。
個室にある電話に頼ろうとしたこともある。なんと、救いの神、一一〇番だ。ところが、プッシュホンの三つの数字を押すことすらできないほど、手のふるえが激しかった。
まあ、つながらずに幸いだ。
ここがどこで、自分がだれで……と、最低限のことすら伝えられなかっただろう。「殺される。助けてくれ」と、あまりまわらない舌で繰り返すのがせいぜいだったのではないか。
腰ベルトを外したことは、もう一回ある。Jが泊まりこんだ夜(だと思う)。Jがちょっとトイレに立ったすきに脱け出した。側にいてもらうことで軽減されていた恐怖が、少しのあいだだけでも耐えがたかったのだ。これは、たぶん腰ベルトのストッパーを外したのだと思う。
前のケースに追加する事実を書いておく。腰ベルトから脱け出したのみでなく、点滴の針を自分で抜いた。身体を固定するベルト、尿管、その次に肉体を縛っているのは点滴のチューブだ。これは針が二、三センチ血管に刺さっている。邪魔だと感じるのは当然だ。抜いたというような生易しいものではなかった。むしり取ったというほうが、そのときの精神状態からは近かったか。
ベッドが血だらけになった。
左腕には内出血の跡。
ベッドが血だらけになったことについて、べつのエピソードがある。――手首の固定帯のナイロンのネット部分を歯で噛み裂いて、歯間から出血してしまったという話だ。これは記憶はあっても、純然たる幻覚レベルのものかもしれず、現実にあったかどうか未確認。看護婦にさんざん叱られて「弁償してもらいます」と言われている記憶があるが、これが現実レベルのものだったか確信はない。理由の一は、その言葉や怒りようは板橋病院の看護婦さんの発しそうにない態度だということ。しかしこれはわりと薄弱な理由だ。もっと決定的なのは、ナイロン製のネットとはいっても、手首固定帯のその部分はメガホンほどの大きさと形状で、かなり丈夫なものだ。狼の牙ならともかく、わたしの歯ごときでは引き裂けるはずもないと思われる。ただ「信じられないほどの力を出した」という可能性を考えれば、あるいはやったかもしれないと思うのみだ。
メガホン状のネットを手首にすっぽり嵌めて、それを布製のごつい帯でベッドにしっかりと縛りつける。腕はもう二、三センチしか動かせなくなる。顔が痒くなったら、顔のほうを手に近づけるしかないのだ。ネットに噛みつくことはできる。だが、それ以上の行動となると、今となっては、何の確信も持てない。手のひらばかり見つめ、五本の指がウィンナ・ソーセージに見えると騒いでいたのは憶えている。「可哀相に。よっぽどお腹が空いてるんだ」と妙な同情のされ方をした。たしかに空腹感はあった。それ以上に、縛られた手首が耐えがたかったのだ。
だからこれは、血だらけのベッドから派生したフィクションのイメージかもしれない。幻覚のストーリーのなかでのみナイロンのネットをずたずたに噛み裂いていた……。
縛りつけられている姿勢は、たえず悪夢のプロットをより恐ろしい方向にねじ曲げていった。肩を縛られていることは、いつも背に重たい荷物をくくりつけられているように感じさせた。夢のなかで歩いていても、足元は覚束ず、背中をだれかに引っ張られているようだった。そんな条件で夢のなかのわたしは逃亡をつづけたのだ。
十二日、睡眠薬。きかない。
十三日、べつの、きつめの睡眠薬。副作用のおそれがあるというが、使ってもらう。
日、未確認。両腕の上腕部に注射され、ものすごく痛かった。痛みはずっと尾を引いていた。このシーンは幻覚のなかでもあった。注射によって腕が持ち上がらなくなった。医師にさんざん毒づいた。これも現実が脚色されて幻覚の記憶になっているのだと思う。上腕部への注射も点滴の針を入れるときだったかもしれない。その医師を目の敵にしてなんども罵ったのだが、それが悪夢のレベルにおいてだけだったことを祈る。
日、未確認。足を縛られることに抵抗して、看護婦さんの腹を蹴った。痣になったという。後で深くお詫びをしようと思ったが、どの看護婦さんだったかわからなくなる。幻覚のレベルではおおむね看護婦は敵方だった。味方のふりをして近づいてきて、わたしが逃げられないように縛ってしまうのだ。わたしのストーリーのなかでのみいえば、反撃は正当だった。この行為だけは「ただ暴れた」のではなく、目的をもった攻撃だった。この一点でのみ、現実と幻覚とが合わさり、それをこちらの(常では考えられない力の)暴力が結んでしまったのだ。いずれにせよ、陳謝の言葉もない。
日、未確認。肩にインシュリン注射。回数、分量、ともに不明。
四日間、ほとんど兄夫婦が来てくれる。
悪夢から抜けられないわたしはたえず何かをしゃべっていた。それは必ずしも見ているストーリーの報告ではなかった。しゃべることとは別個に、ストーリーを体験していたのだ。
Jも合わせて三人が、頭を撫で、腕や足をさすり、「ここにいるよ、ここにいるよ」と言ってくれていた。小説なら、悪夢の異次元に完璧に連れ去られてしまわないように身体のふれあいで引き止めてくれたのだ。――こんな解釈は非合理すぎるかもしれないが、これが起こったことにたいしてもっともふさわしいようにも思える。病室の情景やベッドに縛りつけられた姿勢は恐怖のイメージばかり培養した。逆方向の牽引も考えられて当然だ。いや、それがなければわたしのストーリーはどこに暴走していったかもわからないのだ。
けれど「現実に」わたしがそれを認識していたわけではない。だれが何をしてくれているのか、まったく理解の外だった。Jには「どちらさんですか」と言い、義姉には「いらっしゃいませ」と言った。目はうつろだった。それでも腕や足をさすってもらえたことの効果は絶大だったのだろう。スキンシップを認知したとき、悪夢は恐怖を軽減するほうに向かったのだと思う。間近に迫っていた処刑がしばらく猶予されるとか、そんな方向にストーリーは伸びていった。それがなかったら――恐怖はもっとすさまじいものだったに違いない。
家系が一つになったと感じるのは、こうした場面においてだ。ここでいるべくしていないのは、異母姉だけだ。姉に連絡がいかなかったことにさしたる理由はないし、排除したわけでもない。母親にはこの前後に伝わっている。後遺症が残るだろうという前提の話だ。要は、どれくらい軽い後遺症で済むか、といった話になったのかもしれない。おやじが倒れた時、おふくろは三十四歳。未亡人ならざる「未亡人」として後半の人生を過ごすことになった。それをもたらした「病」についてだれもが想いをいたさずにはおれなかっただろう。何も残らずに「生還」してくるとは、まわりのだれの念頭にも浮かばなかったのだ。
結果についてわたしが解釈することは大してない。運が強かったのか、回復力が並外れていたのか。どっちをとるにしてもそぐわない気がする。だいたいウイルスとそれに便乗した「悪夢生産工場」に対してどんな対抗力がある(客観的にしろ、自分個人のなかにしろ)のかわからない。想像もしにくい。
ある人が言うには、「創作の神様に、まだまだこれで終わるなと宣告されたっていうことだよ」と。これはまあ、嫌いではないが、やはり落ち着きの悪い解釈だ。どちらかといえば、「もう一つの人生をもらった」と有難がる格好に似ている。
……悪夢のトンネルから抜け出たあとの感慨を報告するような文章の流れになってしまったが、一段落をつける前に、もう一つだけ書いておくことがある。
それは――被害妄想のたちの悪さについてだ。彼らがわたしを優しく抱きとめてくれている現実の、被膜の下の幻覚のレベルではもっとくだらないことが進行していた。それを書くのは気が進まないが、書かずに済ませば公平を欠くことになる。恐怖が軽くなったとしても、ストーリーの中心テーマは変わりようがなかった。わたしの位置は動かない。「みんな」がわたしに対してしてくることも、表面はどうあれ、最終的な目的は一つなのだ。わたしを介抱してくれる者はうわべだけで、やはりわたしを殺そうとしている。直ちにやるか、もっと後で念入りにやるかの違いだ。夢のなかでわたしはそのことを確信していた。それ以外の「現実」など信じられない状態になっていた。
恐怖は軽くなっただけで、完全に消えることはなかった。わたしは感謝よりも新たなストーリーの展開に神経質になっていった。感謝は生還後の感覚だ。どんな意味においても、この時には発生していない。
大河ドラマはまだつづいていたのだ。近親に殺されるという妄想でも一段手の込んだものが前面に出てきた。
しかし、そのうちプロットの中心からわたしが外れていった。
ストーリーは、わたしの子供が四人順繰りに死んでいくほうに旋回する。疫病でみな死ぬ。わたしの処刑はその後に延びたらしい。わたしは子供の死を阻止しようとしてできない。動きまわろうとしても、肩に荷物があり、手首は動かず、足にも力が入らない。結局、あと一歩のところでみんな喪ってしまう。無力感にさいなまれる。悪夢の後半部分だ。ドラマはこうして終局に向かっていく。
けれども疫病にかかった人間を救いに駆けつけるというのもおかしなシチュエーションだ。そこは、夢ならではのルーズさがあって、そのまま語るとおかしいところがいくつも出てくる。
最初の設定から含めて――こうした悪夢を見ることはわたしにとってべつに珍しい体験ではない。むしろ悪夢を見ることが日常だといってもいい。『夢を見る作家たち』というインタビュー集にいくつも症例が集められているが、多くの作家にとって夢を見ることは(悪い夢も含めて)、創作の欠かせない源泉である。夢に頼ることもある。夢にうなされる現実があるとしても、それは普通人のような苦痛とはいえない。それを創作に生かすことができるかぎりは――。ある意味では、見る夢の内容によってわたしは「精神病者」と診断されるかもしれない。そのことの自覚はあったし、今回の入院でいっそうその感を強くした。けれどもわたしは夢をあれこれ解釈することはしない。それを創作にあてはめるだけだ。じっさい書くことなしにはわたしは解放されない。夢が何のメッセージであるにせよ、それが解釈されるのは、わたしの創作のなかにおいてでなければならない。そう信じている。
なんども繰り返すが、耐えきれなかったのは、これらのことが「現実」として体験されたからだ。「いつもの悪夢さ」と確言できる逃げ場所がどこにもなかったからだ。わたしはこの体験に打ち倒されかけた。
悪夢のなかで朝が近づいていた。説明しがたい感覚だが、夢のなかで目覚めが近いことを感じていたのだ。わたしは子供をみな喪って、次は自分が夜明けに殺される運命だと知っていた。それをおおかた受け容れていた。逃げる気もなくしていた。なぜか晴れやかだった。投げやりになったというには明るすぎた。自分でもそれが不可解だった。
こうして長い悪夢のなかで、目覚めが近づいていた。to be continued