ゾルゲ  モルガン・スポルテス

 二十世紀が戦争と革命の時代だとすれば、それを彩る影の主人公はスパイだ。歴史の表舞台には現われてこないシークレット・エージェントのなかでも最も高名な人物の一人がゾルゲ。ゾルゲについてはおびただしい記録・資料が刊行されている。あえてそこに小説という形式の「ゾルゲ伝」をつけ加えるにあたって、著者はいっている。
 ――彼の矛盾にみちた性格、絶望的な内面にふみこむためには、フィクションこそが最良の手段だと。
 数かずの「ゾルゲ本」は、第一頁を、先行する著作への非難から始めているような印象がある。「あまりに多くの虚偽と歪曲にみちている」と。この小説は、虚偽と瞞着はゾルゲ個人の本質の一部であるという前提に立っているかのようだ。
 諜報員にとって真実とは多面的なモザイクの一欠片にすぎない。あるいは、そんなものはこの世界に存在しない。したがって、或る思想への絶対的な忠誠ほど無意味な事柄はない……。この種の「二十世紀的人間」を解明するために、世紀後半のスパイ小説の多くの頁が費やされた。ジョン・ル・カレの『パーフェクト・スパイ』を頂点とする作品群が。
 本書は新しいゾルゲ像を更新することに成功しただろうか。それとも、最初からそんなことは目論見から外されていたのか。
 物語は三十年代の全般をあつかう。舞台は東京。登場人物は――すでに「ゾルゲ伝説」の沿革を知る者にはおなじみの名前が並ぶ。この小説は、「新説」を、新発掘資料を駆使した新しい解釈といったものを、披露するものではない。主人公を待っている破滅についても、読者はすでに結末を知っているわけだ。ではこの作品が与える独自の価値とは何なのか。「憑かれた人」の果てもない混迷とニヒリズムの深淵への照明――それのみなのか。
 ナチス党員の通信社記者にしてスターリンの秘密諜報員。酒色に溺れる毎夜のすさまじい狂態は、彼の本質ともいえるし、偽装ともいえる。民主主義、ナチズム、コミュニズム。三つ巴の闘いの趨勢が世界戦争へと突入していく三十年代の狂乱にあって、二つの体制の内部に潜入し、二面的忠誠の仮面をかぶりつづけたゾルゲは、ある意味では、時代の盲目的矛盾を一身に体現した存在だったかもしれない。破滅の先に待っているのは――ドイツの収容所かシベリアの収容所か。複雑怪奇な欧州情勢において、一つの思想に忠誠を捧げることが別の側に対する反対を意味するという単純な原理は成り立ちようがなかった。
 この混濁こそがスパイの生き場所だった。どちらをも裏切り、どちらにも献身する――。精神を麻痺させるための、酒と薔薇の日々。
 当時、司法当局の目的であったゾルゲ追跡は、戦後、多くの現代史家を捉える情熱と変性したようだ。ゾルゲに憑かれた人は常軌を逸する、というのはわかりやすい表象だ。
 三十年代が光明を閉ざされていた時代だとすれば、それはいっそう現代にも当てはまる。《思想は殺すものじゃない、一つの思想は、すべての短剣を合わせたよりも強く、すべての銃殺班を合わせたよりも、すべての欺瞞よりも強い!》 だが、人間はそれを貫き通すには、あまりに弱い。ゾルゲの常軌を逸した姿は、そのまま今日のわれわれの混迷に重なるのかもしれない。
週刊読書人 2005.11.18