七色の熱愛者(仮)梗概

 不動産業者のAは、ふとしたことから知り合いのBに交換殺人の話をもちかけられる。交換殺人は一段階だけ実現し、Aは邪魔だった自分の愛人を殺させることに成功した。しかし手違いが生じ、Aはその発見者になってしまった。あやうく容疑者扱いにされる状況は切り抜けたが、Aには深刻な心的外傷が残る。愛人の死体が、何かの過去を呼び戻したのだ。過去の情景は不確かにしか蘇ってこない。
 生活にも支障をきたすようになって、Aはカウンセリングにかかる。カウンセラーのCは催眠療法をほどこして、Aの過去の不快な記憶をずるずると引き出す。Aは京都にいた若いころ交換殺人に関わっていたことがある。過去と現在はAのなかで重ね刷りになっているようだ。しかし、じっさいに手を染めたのか、アイデアを生かした芝居の台本でも書こうとしたのか、Aの記憶は混濁している。あまりに精神のシールドが強すぎて、並みの催眠状態では記憶の鎧が解除されてこないのだ。

 Aはカウンセリングの効果が期待ほどではなく失望する。そのおり、宅配ビデオのチラシ配りの中年男と話をかわし、妙に共感してしまう。男の様子は自分が人生の岐路でおかしてきた失敗の集積のように思えたからだ。男はAを自己啓発セミナーに勧誘する。誘われるままにAはセミナーに参加し、やがては深入りしていく。セミナーの実態は、宗教集団のカルトだった。
 交換殺人の実行者Bは現われない。愛人との暮らしに決定的な不満はなかった。うまく妻子との家庭生活も最低限は維持していた。にもかかわらず愛人を殺させてしまった結果にAは苦しんでいる。
 カルトの教宣者は、Aを教育しながら、自分は二重スパイのような存在なのだという告白も植えつけていく。カルトの教義を注入する一方で、その誘導を解除する術もかけているのだ。コントローラーであると同時に、教団の洗脳の被害者を救う秘密任務も持っているのだという。Aは混乱し、催眠療法をはるかに超える力で、記憶をかき乱される。
 たしかにAはかつて交換殺人を強く望んでいた。だがかれは青年時代の記憶をきわめて変則に断続的にしか持っていない、という事実が明らかになってくる。トランス状態で導き出されるAの記憶は正しくかれのうちに回復されるわけではない。醒めれば、戻ったはずの記憶も消えてしまって、かれには不快な疲労が残るだけだ。記憶の断片と現実のかけらが激しくAのなかでクラッシュする。
 教義の教育者が、じつは組織に潜入した破壊工作員であるという話は、Aにはよく覚えがあるものだった。それは前にかれが京都にいたとき書こうとして胸に抱いた芝居の案の一つだった。いわばかれは過去に芝居台本のプランという形で「予言」した人生をいま追認しているのかもしれない。そこまでAは正確に事態を把握できるわけではない。やはり不完全な虫食い状態でしかAは過去のことを思い出せない。台本の書き割りだと思っているものがじっさいの体験でなかった、とはAには断定できない。前にもカルト教団に逃げ込んだことがあったのか。救出カウンセラーを自称する男に出会ったのは、そのときだったのかもしれない。

 愛人をなぜ殺させたのか、Aは答えを見失っている。計画の時点ではっきりしていた殺意の根拠が薄れてしまっているのだ。あれほど強烈だった殺意だが、それが現在のものであるという現実感が希薄になっている。
 混乱しつつ、Aの意識は催眠カウンセリングの場に移行していく。場面は飛躍し、有機的にはつながらない。カウンセリングが現実で、カルト教団で体験した混乱のほうが、呼び出された過去の断片的場面、催眠療法で引き出された「失われた時」なのだろうか。Aにはどんな確信もない。
 カウンセリングの部屋はいつのまにか精神病院の病棟に変わっている。AとCとのセッションはセラピーを装った患者同士のゲームにすぎなかったようだ。
 自分は逃亡したのだという記憶がAのうちに芽生えてくる。逃亡して教団に逃げ込んだらしい。何から逃亡したのか。ある秘密組織の活動がおぼろげに思い出されてくる。追跡者を怖れた。怖れのために教団の教育係が二重の使命を隠したスパイに思えたのだ。組織の任務とは何だったのか。それに近づこうとすると、炎のイメージがかれを襲う。炎に包まれた何者かの肉体……。だれかを処刑したらしいのだが、それも現実だったのか。想念のうえだけだったのか。
 戻ってきた擬似処刑の断片はさらにAの奥底に幾重にもロックされた記憶を引き出してくる。一人の女。同志でもあり、もっとも愛した女。あの女とのことは、Aのもっとも深く封印された「想い出」だ。だから完全な記憶からいつもかれは遠ざけられている。彼女をもAは殺させたのだろうか。交換殺人というアイデアがかれにまた取りついたのか。愛人の死体を発見したとき(さいしょのシーン)、女の顔から流れ出ていた青バナが何の記憶に結びついていたのか、ようやくAは悟る。
 喪失感からかれの記憶の錯乱がはじまったのは、そのときからだ。以来、Aにとって過去は断続的にしか思い出せないがらくたの集積となった。交換殺人の実行者Bを捜さなければならない。
 Aは自分の現在位置を確定しようとするが、答えは錯綜している。ここが病室だとすれば、カルトによって荒らされた精神の均衡を回復させるための治療を受けているのだ。交換殺人も、去来するいくつかの夢魔の一つなのかもしれない。薬物も投与されているだろう。しかし――。カルトの体験が催眠療法が導き出した「幻影」の一種なのだとすれば、自分の現実は他にあるのかもしれない。だがカウンセリングそのものも病棟で試みられている療法の一つだとすれば……。
 白衣の男がやってきて、ここは病院だと安心させる。医師は患者を集めて治療のための演劇を提案する。役者は患者自身。自分自身を演じることによってコアになる自己を分離する。これはもう一人の自分を捜すための自己治療なのだと医師は位置づける。患者たちが自身を演じることによって芝居も出来上がっていく、と。Aはふたたび奇妙な既視感にとらわれる。これとそっくり同じことが以前にも起こった。病院の外でだったが、同じような芝居の作り方を試みたことがあった。

 演劇の時間になると、Aの意識はさらに現在と過去との区別をなくした。いま起こっていることは、むかし体験したことなのだ。逆も成り立つ。一人の患者(役者)がやかましく「ヤツを処刑しろ」という科白をがなっている。Bだった。患者に紛れていたらしい。Bは芝居の調和を乱しているので、メンバーから外したほうがいいとAは医師に訴える。すると医師はそんな患者はいないという。Aは巧妙に騙されているのだと感じる。
 芝居の稽古で自殺して果てる者が現われ、自然と患者による演劇は解散する。治療のための演劇というフィールドもまたカルトのセミナー・コースの一つだったことが明らかになる。病院で治療を受けているという意識そのものが虚構だったのだ。ますますAの意識は混濁していくが、それは過去の記憶が障壁をくずして戻ってきたということでもある。
 むかしの恋人の死、現在の愛人の死、これらのものがAのなかで一つになる。最愛の者は殺さねばならなかった。なぜなら……。
 右手が描いた左手が、また右手を描いているような互換的な物語の果てに、主人公はもっとも認めたくない真実を突きつけられるに至る。