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書いているうちはもちろんのこと、書き終わってしばらくしても、この煉獄から抜け出しにくかった。この点は、あからさまに次の小説を書きあぐねるというかたちで影響した。
主人公の無様な生きようはおまえの人生そのものだ。まるきりの私小説。……などなど、身近な人間からの反応はとりわけ手厳しかった。「おまえの人生そのもの」という言葉には、度はずれた身勝手、エゴの強大さへの嫌悪と非難がとうぜんのように付属している。この小説のほとんどの人物にはモデルがいる。すべてわたしの人生に決定的な陰影を刻みつけた者ばかりだ。なかにはモデル化作業の小説的処理のいいかげんさに怒ってわたしに背を向ける者もいるかもしれない。その覚悟があったのかなかったのか。
ただわたしに反論があるとすれば、『煉獄回廊』のすべてはわたしの人生であるがわたしの人生のすべてが『煉獄回廊』のなかにあるわけではない、ということに尽きる。
すべてを描ききることは、不可能だ。
例えばわたしの人生を決定づけた人物で小説のモデルにしていない者はおおぜいいる。その理由も、人物の数だけさまざまだから、ここには記さない。もともと現実の人物から素材をとるという方法はわたしの流儀ではない。そのことについては自分なりにずいぶんと苦しんだ。だが小説は人生の補完ではない。埋め合わせなどできない。また復讐でもない。作品がその位置を要求すべきところはもっと別にあるのだ。
なぜ「ディレクターズカット」をつくるかについて、いずれにせよ有効な答えがあるわけではなかった。
2002年11月8日、加筆。しばらく、煉獄回廊ディレクターズカットのページを埋めていくことにする。
連続していくのは曲馬館(小説では天馬団)に関連したエピソード。
精神病院の患者たちによる創作芝居に天馬団のメンバーがのりこんできて、記念写真を撮るみたいな芝居をするなと恫喝するシーンから。本では33から34に切りかわる中間になる。かなりまとめてカットして継ぎ合わせた。それを初稿の状態を復元してみる。
やはり冗長で説明に流れているので割愛して正解だったが、これはこれで作者としては捨てるにしのびない未定稿だという気はする。この流れのなかでいわゆる「不敬シーン」も出てくるが、これだけが問題になるとすれば本意ではない。あとの挿話ともども、何か「捨て子」にたいするかのような錯綜した感情が湧く。
いずれにしてもこのあたりの周辺が(実人生のうえでも)エピソード過剰であり、フィクションに吐露しようと試みても、あまりうまくいかない。「自伝」としても空転してしまうし、つくりすぎても意味がない。のみならず、つくらなければ読まれるほどの価値もない過去の遺物だ。
皇族の一員に扮装することが「歴史」をポートレートの額縁におさめてしまうような芝居に結果する。作り手の誠意を裏切ってしまうようにも。――そういう気の毒な失敗は、芝居の現場でけっこう目にしてきた。たとえば1977年の10月から11月にかけて、京大西部講堂で打ち上げられた芝居&映画&音楽の複合イベントのときのこと。三里塚全作品上映から故阿部薫のソロ、曲馬館の芝居など合計八プログラムの総合プロデュースといった役どころにわたしはいた。
そのなかの芝居のひとつが上に書いたような額縁芝居の終わり方をしてしまった。当時の現場としては、ただちに客席から「なんちゅう芝居をやりさらしとるんじゃ」という声があがることになる。ここから「セイブでつまらん芝居するやからはぶっつぶしたる」という直接行動まで、あと一歩だ。この抗議は間接にであれ、プロデュースしたわたしへの非難でもあり、「ぶっつぶされる」ときは区別なくひとからげにされる。結果的に騒動はおさめたけれど、自分が黒衣のような役にまわることに嫌気がさしてしまったことは否定できない。
このときのエピソードは下書きくらいはつくったのだけれど、どうにもストーリーの流れにはめこむことができなくて、あきらめてしまった。情景だけが浮き上がってしまうのだ。打ちこみのデータとしても残っていないだろう。データでかろうじて残った未定稿をこうして再生していると、またその前の段階で断念したエピソードが、二十数年たっていま初めて思い出すものも含めて、まざまざとよみがえってくる。それらの多くはすでに、語られる価値もないゴミなのかもしれない。輝く石だとはとてもいえない。
けれども。そうでないとしたら、それらはわたしという不当にとらえがたい断片をいくらか解明するに役立つのだろうか。いつの日にか、遠くない未来にでも。
加筆は以上。復元した39章の前後はかなりまとまって削除した部分。それは単行本の33−37章あたりに縮小されている。比べてどちらがいいとかは考えない。そういう問題ではない。削除されたパーツのトーンは自分の目から見ても削除されるだけの理由があったと思われる。それだけ感情や言葉が直接的すぎる。対象への距離が甘く幼いのだ。こういう観点をとるなら、それは活字化されたパーツにもあてはまってしまうかもしれないが。愛着があるといえばあり、愛憎なかばするといえばそれも否定できない。
復元した54章のこと。これは単行本の44と45章のあいだにあって、一章まるごと削除された。削っても前後のつながりに影響しないので切った。けれども挿入して読み流していってもトーンが外れているという意味での違和感はない。主人公の、七〇年代に閉じこめられた「夜の果ての旅」の様相としてごく自然に叙述が流れている。しかし実のところこの章のシーンは、作者の実体験にもとずいているように読める――他の章のたいていはそうなのだが――にもかかわらず、まったくの空想の産物だ。その意味では、わたし自身にとっては奇妙なシーンだと思える。章中に出てくる映画監督は明らかにある人物を想起させるだろう。モデル化といってもいいくらいに。しかしこれは、現実にわたしが体験したことから描かれたシーンではない。『煉獄回廊』の執筆時間に浮かびあがってきた完全なフィクションだ。
あるいはわたしは事実としてこれに近い話をだれかから聞かされたのかもしれない。その記憶をそのまま「剽窃」するように想い出してしまった可能性はある。つくり事にしては自然の流れで描けているからだ。それにしてもこのシーンをわたしが現実に体験したという記憶ははない。小説のあるシーンがわたしのうちに訪れてくることについて、ほんとうに不条理な想いにとらわれることは少なくない。
とにかくこの章については、横道にそれているという観点から削除することにした。
このあたりの章の数かずは、アメーバが拡がるように伸びていった。触手が奈落に転がり落ちるように、と言っても同じことだ。言葉として捕捉していけば直線的になった。直線とは、ほとんど転がり落ちる感覚をもたらす。終わりの見えないときの不安はめったに体験しない種類のものだった。転がり落ちた結果が『煉獄回廊』という作品なのだろう。作者の意識では、これは回廊ではない。直線に見える。
公平にいえば、もっと豊かな時代が記憶されていてしかるべきだ。
イメージがアメーバ状に拡がるとは、その豊かさの伝達であるはずだったが。
この作品においてはそこまで回帰を果たすことができなかった。