舞台の方向は、まったくの闇でしかない。闇のなかにうごめく人影がかすかに認められただけだった。それから漆黒のなかに一つまたひとつと、星が輝くのにも似た光るものを見つけた。小さな小さな光は宙空に流れるように止まっていた。光をいくつか結んでいくところに緩やかな線が描かれることに気づいて、ようやく日置高志は、小さく光るものが人間の眼なのだと理解した。
役者たちの眼なのだ。
人間の眼がそれほどに光りを帯びるものだとは知らなかった。眼球の白い部分が闇に抗って、闇に風穴をあけているのではない。黒い瞳、ほんらいなら闇に同化してしまうだろう黒い瞳の部分が、内部から閃光を放って、闇をぶち抜くように透明さを発しているのだった。いったいどんな精神がこのような透明な雄叫びを眼に宿らせることが可能なのだろうか。一点の濁りもない清澄な心というのみでは充分ではない。もっと徹底して現実を否認する力がそこに作用しているのだ、とかれには思えてならなかった。
ホリゾントに弱い燭光が灯った。後ろからのかすかな灯りに役者たちのシルエットがぼぅっと浮かびあがる。すでに全員がそこに立っているようだ。異形の者たち。幕があがる替わりに、漆黒の闇を薄い灯りが照らしていくと、舞台の開幕だった。
役者たちのおおかたは土間に立っていた。テントのなかの舞台は、劇場のようには高くつくられていない。背景に置かれた大道具から直接、地べたにつづき、そこに役者たちの姿があった。ドーランをべた塗りにした白い顔に、グロテスクなほど誇張された目張り。どの顔も仮面さながらにメイクされていたが、闇のなかほど際立たないとはいえ、尋常でない眼の光は少しも弱まるわけではなかった。
中央に、背中にこぶのある小さな男が、醜くまがった身体で立ちつくしていた。足も不自由なのか、上体は目立って一方に傾斜している。斜めにかしいだ肩に黒い鴉がとまり、片目もつぶれていることを示すように、半顔を血で汚れたボロでおおっている。かたわらに、日の丸の鉢巻きをしめたもんぺ姿の女が寄り添っていた。女のくちびるは毒々しいほどに大きく紅が塗られているが、姿は戦時中の女子挺身隊員のものだ。うしろには、二人にのしかかるように、巨大な坊主頭の山伏が邪悪な笑いを浮かべて立ちはだかっていた。一メートルもありそうな高下駄をその足元につけているのか、山伏は空中に静止したように動かない。
中心にはその三人がいた。両側の視界は、依然として薄い暗がりにある。
音楽が始まった。
役者たちがいっせいに動いた。動くといってもごくわずかな動きで、身体が数センチ移動したくらいだろうが、音をたてて世界が切り裂かれるような衝撃が走った。影絵に浮かびあがっていた単色のポートレートの衣装がばりばりと壊れて、そのなかから生命の宿った本体が、不快な響きとともに踊り出てきたようだった。
照明があがった。あかあかと照らされた舞台に十数人の役者が立っている。眼の光が照明に中和され、狂気が封印されるごとく、内部へしめやかにしまいこまれるのがわかった。
声が発されてきた。錆びついた扉をこじあけるような不協和音が耳を襲った。身体がわずかに移動したときに数倍する不快な響きがあたりを圧して耳を打ちつける。質の悪いマイクをとおして割れたような声に聞こえたが、だんだんと肉声であることがはっきりしてくる。肉体の管という管を引き絞って、ひび割れるばかりに絶叫しているのだった。言葉としては一語も聞き取れない。一語も聞き取れないにもかかわらず、その声がいっていることを、かれは明瞭に理会した。
言葉になる以前の魂の焔が、ざらついた粒子のかたちで吐き出されてくる。肉体の管のなかが裂けて、血がほとばしるようだ。粒子はかれのなかに受け止められて、ふたたび赤い炎をともして一気に燃えあがる。
声はさいしょ、だれのものかもわからなかった。鴉が叫んでいるといわれても信じられたほど、黒い鳥が発する音声に酷似していた。鴉を肩にとまらせた畸形のカラス男が叫んでいるのだ。芝居が始まってすぐに、かれは、そいつをひそかに呼ぶ名を決めた。カラス男、あるいはカラス小僧だ。
声がかたわらの女に移った。音の質は細く、かん高かったが、やはり金属と金属とがこすれて、きりきりときしむような声だった。
こちらは、いくらか人間の声に近く、かろうじて聞き取れる単語がとびとびにあった。
あたしは……。あたしは……。と。
そうなのか。かれはまっすぐにメッセージを、言葉としても、受け止めた。病院での自分たちの芝居を観た者に「似ている」といわれた意味が納得できた。たしかにそっくりだ。こいつらは、病院で芝居をやった患者たちとまったく同質の人間ではないか。女子挺身隊員の恰好をした女は、「アリス」だった。夜の国のアリスと同じだった。自分を捜して必死になっている人間なのだ。
芝居としての舞台も、役者の力量も、比べるまでもなく天馬団がはるかに上をいっているけれど、本質は同じだと思った。こいつらも、病者に「正気」が欠落しているように、自分に欠けている何かを狂いまわって求めずにはいられない人間なのだ。
稚拙なばかりの自己表現欲に患者たちが囚われていたことを、日置高志は、身近に見てきた。かれらはそれでも、自分が楽しんで解放される以上のことを、あまり視野には入れていなかった。素朴なままで完結していたし、完結の先には一つの興味があるだけだったと思う。かれらは、いつも自分の現存と、治って正常になった未来という二重性を意識しつづけていた。だからかれらの芝居は、学芸会みたいなものであっても、祈りであり叫びなのだった。観るにたえない下手くそさでも、心をじかに打つ何かを発していたのだ。
天馬団が発信しているぎりぎりのものも、かなり錯綜した様相をみせているけれど、同じ二重性なのだと確信できた。
こいつらは何に囚われていて、自分の何を解放したいと思っているのだろう。そもそも何が欠けていて、何を取り戻したいと願っているのか。かれ自身が遠いむかしに摩滅させてしまった渇望を、こいつらはロケット・エンジンの燃料に変えて、どこかへ飛びたとうとしている。それはどんなところなのか、知りたかった。強烈に知りたかった。
病院の外に、たまたま病院に入らずに済んでいる境界線上の者がいることなら知識にあった。村八分のチャー坊の歌声など、何回か聴いたあとでなければ、「おでのことを、わかっちぇ、くじぇ……」が、何をいっているのか頭に入らなかった。自分のことをわかって欲しいと必死の叫びを、必死に叫べば叫ぶほど、だれにもわからない戯言に聞こえるという回路の哀しみは、経験した者でなければ絶対に理会できない。他人にわかって欲しければ、わかってもらえるような言い方を工夫することが、常識的な選択であるだろう。ただ常識的な選択であれば、常識外の感性についてわかってもらうことは、はなから断念せねばならない。
天馬団について何も知らずに芝居を観にきていたとすれば、日置高志は、かれらが故意に病者のまねをしているのだと勘違いしたかもしれない。
しかし冒頭のオープニングを少し観ただけで確信できた。こいつらも、合わせ鏡がなければ一人では立っていられない人間なのだ、と。人を求めることと芝居をすることは同じだ。人を求めなければならないのは病いに等しい。病いだ。自分では埋められない心の欠落を他人に委ねてどうするのか。言語同断な勘違いだと、かれは思った。度外れた勘違い、それ以外のなにものでもない。
求めた者を殺すことになるぞ。いいか。求めた者の首を絞めることになるぞ。おれは……。
だがこいつらは欠落がエンジンだと信じている。こちらにも信じさせるつもりであることは明らかだった。人はその欠損をもって、心の不具をもって、空を羽ばたく翼に変えられるというのか。こいつらは出来るといっている。かれは、答えを観せて欲しかった。そんな答えがあるならこの目で見たかった。
何も喪うものはない。すでに喪ったもの以外は――。
患者たちは喪ったところから始めて、取り戻す権利は自明にあると思っていた。こいつらは何を喪っていると主張するつもりなのか。何を喪って何を奪い返さないといけないと決めたからあんなにも透明な瞳の光を放つことができたのだろうか。かれには不思議でならなかった。病院に入らずに済んだ者たちが、どうして患者たちと似ているのだろうか。
挺身隊の女の言葉の切れ端が、かれ一人の想念を破って、かれを捕らえた。
姉さんは……おまえを……捜す。
電撃に撃たれたように日置高志は震えた。この者らは姉と弟だったのか。姉は弟を捜すといっている。この者らは恋人たちではなかった。姉弟の絆の深さに根をおいてドラマが始まってくるのだと思うと、かれは、名状しがたい興奮と苦痛にわしづかみにされたように感じて、低くうめいた。姉と弟。戦慄がおれのなかのどこからせり上がってくるのか、よくわかっていた。わからないはずがあるまい。ああ、どうして女子挺身隊員の扮装をしたこの女は、夜の国のアリスのように叫び、そして、そして、そして、背中にこぶのある片足の不自由な弟を捜して歩かねばならないのか。ドラマは答えていくのだろう、もちろん。しかしそれとは別に、姉と弟の行く末についてなら、おれはよく知っている。だれよりもよく知っているのだ。
姉と弟。似ているどころではなかった。姉と弟のあいだを断つおれのような姉の恋人の役は、この芝居ではどんな展開を持たされるのか。
役者たちの瘴気にあてられたように、日置高志は、立ちあがってわけのわからない叫びを叫びそうな衝動にかられた。
そのとき、うしろの高い場所に立っている修験者姿のスキンヘッドが何事かをわめいた。せりふの順だったのだろうが、山伏が何かをいう進行にならなかったとすれば、かれは役者の列に飛び入りしていって、何かを吐き出していたかもしれなかった。一瞬のことだったにしろ、かれは、病院で自分が出演したときの舞台と、今、観ている舞台を区別する感覚をなくしていた。
始まろうとしているのは同じものだ。同じでありながら、はるかに精緻ではるかにダイナミックではるかに魂を抉るものだとわかった。アリスは一人ではなく二人。出会わなかったかもしれない姉と弟。『夜の国のアリス』で自分がやりたかったのは、こんな役だったのか。おれはカラス小僧だ。おれの場合は、身体がふつうでも心が畸形なのだ。
山伏の声は、テント全体がふるえるくらい声量があって、それでいて音が割れていないので、どちらかといえば聞き取りやすかった。そしてせりふの内容は、ドラマの骨格をわかりやすく説明しているのだった。
――愚か者めら。きさまらは、あちらの迷路とこちらの迷路に引き離されて、百年はおろか百万年経とうがかすりもしない運命にあるのだ。おまえたちが少しでも近づいた思えるときがあるとすれば、それは甘い幻想の蜜をしゃぶらされているだけだ。たとえおまえたちが、泪橋の交差点のあちらとこちらに立って、手をちぎれんばかりに振っていたとしても、永遠の断崖が二人のあいだにぱっくりと裂けていることを知れ。いいか。開かずの踏み切りの向こう側に、おまえたちが互いの姿を認めあって狂喜したとしても、踏み切りはいつまでも閉じたままだし、無理にくぐろうとすればおまえたちの身体は一瞬にしてずたずたに引き裂かれた肉片に化するのだ。それが定めなのだ。不服はあろうさ。泣け。叫べ。いくら抗おうと、きさまらの運命は一ミリたろうともびくとも動きはしないのだ……。
明快に修験者は二人の運命を規定した。そしてその運命を左右するのは、自分の超越した力なのだと、忘れずにつけくわえる。二人を迷路に閉じこめる呪縛のおおもとは、この男の魔力にあると。
時間は遠い国の迷路だ。この男は迷路の番人を自称している。もしそうなら、こいつを倒せば迷路は開かれるというのか。
山伏のせりふが終わると、照明がふたたびホリゾントからの逆光だけになった。
歌が始まった。月狂叛乱者のオペラ。
すべてが絶叫に呑まれた。役者たちは全身を使ってリズムをとって歌った。歌は絶叫だった。ミュージカルのようなオープニング・シーンを借りながら、こんなにも一般の尺度ではかりきれない舞台はない。
影絵のように切り取られた役者たちの黒い影は、リズムに沿ってずんずんと膨れあがっていくように見える。巨大な影が舞台を圧し、こちらに向かってのしかかってくる。テントのなかいっぱいにかれらの影がゆらゆらと拡がる。急速に、日置高志のなかで、遠近感が喪われていった。舞台のかれらを一つのスクリーンの映像のように一望にとらえようと努めたけれど、かれらのだれもが静止した画面におさまらずに弾け飛んでいった。一人ひとりが恐ろしいばかりに巨大に迫ってきて、かれを熱い刃で貫こうとする。
わずかに聞き取れた言葉の断片が、かれを襲う。
殺せ……。殺せ……。
と叫んでいる。だれを殺せというのか。
日置高志は、錯乱にさらわれそうになって、必死に自分の膝を抱いた。殺せ。だれを?
だれを殺せというのか。